慶応義塾高校が107年ぶりに、全国高校野球選手権大会で優勝した余韻を味わいながら、本書『かたばみ』(KADOKAWA)を読み終えた。この小説の一つのテーマは「野球」だ。平和な環境で野球に打ち込む選手のプレーを、テレビ観戦で享受できる幸せをつくづくかみしめた。
作者は『漂砂のうたう』で2011年に直木賞を受賞した木内昇さん。時代小説に定評があるが、昭和戦前、戦中、戦後の混乱期を舞台にした本作でも時代考証を踏まえた、きっちりとした庶民像を描いた。
主人公は、太平洋戦争直前、故郷の岐阜から上京し、日本女子体育専門学校で槍投げ選手として活躍していた山岡悌子。背丈五尺七寸(約172.5センチ)、体重二十貫目(約75キロ)の堂々たる体格。地元の岐阜で競技会に出場するたび、「男女(おとこおんな)」という野次やからかいの声が観客や他校の生徒たちから浴びせられたものだった。
上京したのは、幼なじみの神代清一が前年に早稲田大学に入学し、野球部で活躍するさまを近くで見守ろうと決めていたからだ。
学校の放課後になると、雨の日以外は清一自作の球を使い、二人でキャッチボールをした。清一は手に入る限りの野球解説本を読み込み、その知識を悌子にも伝えた。その教えはのちに槍投げ選手となる悌子の技量を下支えした。
早稲田への進学が決まると、清一は「とうとう六大学野球の選手になれるんや」とはしゃいだ様子で報告。
「悌ちゃんも、そのうち東京に来たらええ。体育の学校もあるでね。そしたらまた一緒にキャッチボールできるな」と悌子の手を強く握って言った。
この言葉が悌子の誤解を生み、さらに運命を変えるとはまだ誰も知らない。
槍投げの競技生活に見切りをつけた悌子は国民学校の代用教員となり、東京・小金井に赴任する。住まいは惣菜店の二階の四畳半の貸し間だ。店主の朝子は亭主が兵隊にとられたのを機会に、下町を離れ、郊外の店舗付き古家に移ってきたということだった。
清一は早稲田大学を卒業、社会人野球チームのある電鉄会社に入社。仕事をしつつ投手として活躍していた。代用教員になったことを手紙で知らせたが、返事はなかった。もしかしたら召集されたのかと不安な悌子に、清一から短い手紙が届いたのは夏の終わりだった。
「夏の間、岐阜に帰っていた。東京に戻ったから、近く会おう。また連絡する」
10月、戸塚球場で開催される早慶戦で会うことになり、そこで入隊と結婚を告げられる。相手は悌子の尋常小学校の同級生だった。
「必ず無事に戻る。雪代のためにも。立派に戦って、帰ってきてまた野球をする。そしたら悌ちゃん、またキャッチボールしょうな」
笑顔で話す清一だったが、悌子の記憶はそこからない。
朝子の兄の権蔵が登場し、物語は動き出す。早稲田を出たが、定職につかず、今はラジオ機材の搬送の手伝いをしている。小金井の家に寄った権蔵は、店の前でラジオ体操をする悌子に釘付けになった。
「妙にでかい。遠目にも肩幅が広く、足腰もがっしりしている。目方も権蔵の倍はありそうだ。髪は顎のあたりで切り揃えられ、体育着らしい白シャツに、今にもはちきれそうなパツパツのもんぺを身につけている」
家族を黙らせるため、放送局に勤めているとウソをつく権蔵。悌子に「立派なお仕事ですのね」と褒められ、声を荒げる権蔵だった。
昭和20年になり、岐阜が空襲されたことを知り、帰省することになった悌子。権蔵が用心棒としてお供することになった。清一の実家をこっそり見に来た二人。清一は「神代神」と学生たちの間で呼ばれていたことを権蔵が教える。
その晩、家族から岐阜に戻り、結婚するよう勧められた悌子は、とっさに権蔵と付き合っていると口走り、東京に帰る。
終戦。権蔵の母親からも結婚を懇願された悌子は決意する。人生は競技。よい監督が必要だ。「私が教師としてやっていくには、権蔵さんのような真っ正直な人がそばにいたほうがいいと思うんです」。
放送局に出入りしていた伝手を生かし、ラジオ番組の手伝いをするようになった権蔵と民主的な教育方針の下、新たな学校作りに取り組む悌子。そんな二人の新生活に思わぬ試練が訪れる。血のつながらない親子は戦後の混乱を乗り越えていくことができるのだろうか。ここでも野球が家族の絆となる。悌子と権蔵。まったく異なる二人の人間像が魅力的だ。
初出は北海道新聞、東京新聞、中日新聞などに2021年8月から2023年2月まで連載された。NHKの朝ドラにふさわしい題材だと思った。映像化が望まれる。
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