「この部屋の住人は、みんないなくなる?」
第66回群像新人文学賞を受賞した、村雲菜月さんの『もぬけの考察』(講談社)。ごくシンプルな舞台設定、閉鎖空間で繰り広げられる意外性のあるストーリー、どこか怪しげな登場人物たち。本書は異色づくしの一冊だった。
物語の舞台は、都市の片隅にあるマンションの408号室。前の住人が去り、新しい住人が越してくるのだが、一人残らず数奇な運命をたどることになる。もはや呪われた部屋としか言いようがない。舞台が限定されているので、じっと定点観測しているような感覚で読んだ。
「都市の片隅にあるマンションの一室、408号室に入れ替わる住人たち――。奇想天外な物語が、日常にひそむ不安と恐怖を映し出す。」
働く気になれず、3ヶ月前から会社に行かなくなった「初音」。夜の繫華街で女に声をかけまくる大学生の「末吉」。住人が友人から預かった文鳥の「こがね」。部屋の絵を描いている画家の「私」。408号室に越してきた者は、本人の意志とは関係なく、何らかの事情で去っていく。この部屋では、同じことが何度も繰り返されていた――。
「初音」の趣味は、蜘蛛を飼い殺すこと。主な対象は、部屋に侵入してきたハエトリグモ。捕獲して空き瓶に収め、干からびたころに蓋を開け、マンションと向かいの建物の隙間に落とすのだ。
ある日、隣の409号室に女が越してきた。インターホンが鳴り、引っ越しの挨拶かと思ったら、「お願いしたいことがあるんです」と女は言った。ドアの鍵が開かなくて困っている。ただ、ベランダの鍵は開いているので、初音の部屋のベランダから移動させてほしいという。警戒する初音をよそに、女は強引に入ってきた。だいぶ非常識である。
女が越してきてから、初音はあることを不審に思いはじめていた。夜中にこん、こん、という音がする以外、女の部屋からは生活音が聞こえてこないのだ。そしてついに、408号室に異変が起こる。ドアが開かなくなり、初音は部屋から出られなくなったのだ。管理会社に何度電話をかけてもつながらず、ゴミ出しに行けないので虫が湧き、ハエトリグモが現れた。
「部屋に閉じ込められた初音はこの時ようやく他人事ではなくハエトリグモに共感することになった。」
部屋も隣人も管理会社も、すべてがおかしい。閉じ込められてからこの部屋を去るまでの間に、初音の身にいったい何があったのか。
家賃が安いので、408号室はわりとすぐに借り手がつく。引っ越してきた者は、まずポストを見て驚く。大量の郵便物が押し込まれて鍵が壊れているのだ。宛名は前の住人のものと思われ、光熱費の検針票は数ヶ月分が「0」。ドアは閉まりづらく、床の一部はくぼんでいる。窓から見える廃屋の屋上にはゴミが散乱し、汚くて太った野良猫が居座っている。
初音から数えて3人目の住人となる「私」は、408号室で部屋の絵を描きながら、ここでこれまでに何が起こったのかを考察している。残された郵便物から、前の住人は何らかの事情によって退去手続きをしない(できない)まま姿を消したのでは......と思ったからだ。
「考察するだけであれば無限の可能性がそこには広がっており、私は飽きることなく記し続けることができた。」
私は絵を描くことと考察することに打ち込んだ。その先で私を待ち受ける運命が、個人的には一番の衝撃だった。
著者の村雲さんは、商品企画のプランナーとして働くかたわら、3年前に小説を書きはじめたそうだ。「好書好日」のインタビューで、「小説が趣味の会社員」と自称していた。美大出身で、物語を創るなら漫画を描くべきと思っていたが、あるとき絵を描こうと思ったらパソコンにペンタブ(デジタルイラストを描く道具)がつながらず、それで小説を書くことにしたという。何がきっかけになるかわからないものである。
ちなみに408号室のモデルは、村雲さんが実際に住んでいるマンションなのだとか。あまり落ち着く環境ではなさそうだが、そこでの気がかりや引っかかりを種に、こんなにもインパクトのある物語を創り出せることがすごい。
見るもの聞くものすべてが怪しく、この部屋に安心できる要素はない。この不気味さに引っ張られて、新しい住人が来てからもぬけの殻になるまでを、この先も見ていたくなる。
■村雲菜月さんプロフィール
むらくも・なつき/1994年、北海道生まれ。金沢美術工芸大学美術工芸学部デザイン科視覚デザイン専攻卒業。「もぬけの考察」で第66回群像新人文学賞を受賞。
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