『川のほとりに立つ者は』で2023年本屋大賞にノミネートされた寺地はるなさん。中学・高校入試で扱われた作品もあり、世代を問わず、いま注目の作家の一人だ。
この8月に刊行された『わたしたちに翼はいらない』(新潮社)は、心の傷が産んだ「救済」と「再生」のサスペンス。「人間のドス黒い部分を描く黒テラチの真骨頂!」ということで、なにやらこれまでの作品とは違うにおいがした。執筆期間は5年。付き合いが最も長く、精神的にも肉体的にもこれまでにないほど消耗しながら書いた大事な作品だという。
本作の構想はどのようにして生まれたのか? 書いているときの頭の中はどうなっているの? 気になるあれこれをオンラインでお聞きした。気さくに、一つひとつ丁寧に答えてくださった寺地さん。興味を惹かれる話が尽きない濃い時間だった。
■『わたしたちに翼はいらない』あらすじ
「他人を殺す。自分を殺す。どちらにしてもその一歩を踏み出すのは、意外とたやすい。」
4歳の娘を育てるシングルマザーの佐々木朱音(あかね)。朱音と同じ保育園に娘を預ける専業主婦の中原莉子(りこ)。マンション管理会社に勤務する独身男性の園田(そのだ)律。3人は同じ地方都市で生まれ育ち、いまもそこで暮らしている。
小中学校時代のいじめ、ママ友のマウンティング、王様気分の夫のモラハラ、母親が呪文のように繰り返した言葉と手のひら返し。一度心に負った傷は、なかなか消えない。それはやがて恨みとなり、復讐心となり、しだいに抑えられなくなっていく――。
――タイトルの「翼はいらない」に意表を突かれました。本作は「黒テラチ」を出すことを意識して書かれたのでしょうか。
寺地さん(以下略) 今回は黒くしよう、白くしよう、とは考えないです。わたしの場合、「こういう話を書こう」と思って書き始めるのではなく、「なんでだろう?」と疑問に思ったことを、ある人物の目線から考えてみる。それが小説になる感じですね。小説を書き始めたころは、自分が思ったことやわかることをよく書いていたんですけど、ここ数年、わからないことを理解するために小説を書いて、考えたり向き合ったりすることが増えました。
本作を書き始める前は「一生における10代の価値、意味ってなんだろう?」と考えていて、それがわからなかった。わたし自身、作家として名前が知られるようになってきて、元同級生から「すごいね。昔は目立たなかったのにね」と言われることがあるんです。そこで「ん?」と思って。わたしはいまも大人しいし、なにも変わっていないのに、どうしてわざわざ10代のころを持ち出すのかと。
――そういう違和感や疑問が出発点に。
その言葉が出てくるに至った、その人の気持ちを知りたいなと思いました。
――朱音と園田は、昔いじめられた記憶を胸にしまいこんで生きています。言わないだけで、実際にそういう人は多いかもしれないですね。
嫌なことはなかなか忘れないものだし、忘れないといけないものでもない。わたしは心の中で、嬉しいも悲しいも、好きも嫌いも、同じ棚に置いています。どんな感情も同じぐらい大事にしたいし、わたしのものなので。
つらい目に遭った人は幸せになることが最高の復讐とか、いつまでも過去を引きずるのはよくないとか、そういうメッセージは世の中にあふれています。だから、わたしだけでも言いたいと思ったんです。ずっと怒ったままでもいい。その感情を手放す必要はないんだと。
――第一章の冒頭、園田がマンションから飛び降りようとしている場面が衝撃でした。「死にたい」と「死にたくない」の間に「殺したい」が唐突に浮かんでくる。そこに人間の危うさを感じます。
ある状況で被害者だった人が、別の状況では加害者になることもあります。誰もがどちらの側にもなり得る、という目で書きました。
――感情のリアルな描写は、ご自身の実体験が反映されているのでしょうか。
わたしの場合、実体験をそのまま書くのではなく、何十年も前に抱いた感情が残っていて、それを小説の場面に乗せています。実体験と言えば実体験なんですけど、自分の感情をそのまま書くことはしません。
――なぜそのまま書かないのでしょう。
完治していない傷をいじっている行為のようで、単純にあまり楽しくないんです。感情は生っぽいと扱いにくいんですよね。何年か置いて、干して、水分が抜けた状態で扱うと、うまくいく気がします。実際、渦中にあるときは感情の整理ができていなくて、書けなかったりするので。
―――執筆しながらかなり消耗されたそうですが、とくにしんどかったことは。
わたしは小説を書いている間、頭の半分は自分で、もう半分は主人公たちに貸しています。その人たちの目から、わたしの普段の生活を見てもらうんです。本作は主人公が3人いるので、ワンルームに4人で暮らしているみたいでした。
――頭の半分を貸す! 面白いですね。日常の各場面で、わたしはこう思うけどあなたは? という感じですか。
そうです。身長が違えば、見える景色も違うし。人から言われたことを、この人だったらどう受け止めるかなと考える。それが、頭の半分に登場人物が住んでいる状態です。基本は1対1なので、1対3はしんどかったですね。
あとは常に闘いなんですけど、わたしの癖なのか、どうしても綺麗に進めて綺麗に終わらせたくなるんです。いい感じに心が通じ合う場面を入れたりして。でも本作では、安易な解決策を提示したくなかった。忘れなくても許さなくてもいいと最後まで言い続けながら、どうしたら彼らが納得できる場所にたどり着けるか、ずっと悩んでいました。
――こうなったらいいなと期待して、そうならなかった場面もありました。綺麗にまとめたくないという意志を持って書かれたのですね。
いろいろな分岐があって、どうにでもなり得ると思いながら書きました。最初に結末を決めないので不安ではあるんですけど、この人ならこうするだろうという考えに沿って書いていくので、収拾がつかなくなることはなかったですね。
――アルバイトを始めた莉子は、おじさんたちにちやほやされて満足する半面、「わたしはほんとうはこんなところにいるべきじゃないのに」と焦ります。30代ぐらいから始まるこのもやもや、心底共感しました。寺地さんは35歳で小説を書き始めたそうですが、なぜその一歩を踏み出そうと思えたのでしょう。
通勤電車に乗るのが嫌だったんです。それで家でできる仕事を探して、消去法で残ったのが作家でした。ちょっと図々しいんですけど、文章を書くことなら自分でもできるんちゃうかなと思って。
――消去法で作家! 文章を褒められた経験があるとか、自信があったからではなく。
褒められたことは一切なかった。でも書くことは全然苦痛じゃなかったんです。当時は経理の仕事をしていたんですけど、ほんの少しの工夫で能率が上がることもあって、小説も同じようにしたら行けるんじゃないかと。そこまでハイリスクな賭けでもないし、もし公募に落選しても恥ずかしいことではないと思っていました。
でも、ちょっと頭がどうかしていたのかもしれないです。子どもがまだ1歳半ぐらいのときで、睡眠時間も短かったし、いま思えば正気じゃなかった。常識的な判断ができていれば、作家への一歩は踏み出していなかったかもしれません。
――結果的にものすごい扉が開きましたね。
運がよかったという話ですよね。正直、最初からいい作品を書けるとは思っていなくて、それがよかったのかもしれないですね。
■寺地はるなさんプロフィール
てらち・はるな/1977年佐賀県生まれ。大阪府在住。2014年『ビオレタ』で第4回ポプラ社小説新人賞を受賞しデビュー。2020年『夜が暗いとはかぎらない』で第33回山本周五郎賞候補。2021年『水を縫う』で第42回吉川英治文学新人賞候補。同年同作で第9回河合隼雄物語賞受賞。『川のほとりに立つ者は』で2023年本屋大賞9位入賞。他の作品に『カレーの時間』『白ゆき紅ばら』などがある。
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