細い線画で描かれる表情豊かな登場人物、思わずクスッと笑っちゃったり、グッと心に刺さったりする物語で、子どもから大人まで人気の絵本作家、ヨシタケシンスケさん。5月31日に出版する『メメンとモリ』(KADOKAWA)で描かれる「生きる意味」について、存分に語っていただいた。デビュー10周年を迎えたヨシタケさんが今、伝えたいこととは――。
――『メメンとモリ』、聞いたことのあるフレーズですが、なぜこのタイトルに?
ラテン語に「メメント・モリ」という言葉があります。「いつか死ぬことを忘れるな」という意味だと、なんとなくは知っていました。ただ、今回このタイトルにしたのは「ト」を「と」にしたらダジャレになるな、それをタイトルとして言ってみたいな......って思っちゃったんです(笑)。でも、そういうタイトルの本があったら、どういうことだろう? と僕だったらちょっと読んでみたくなる。「メメント・モリ」と聞くと「死」のイメージがあるかもしれませんが、「死」についてというより、むしろ「生きるとは?」を書きました。
「ト」を「と」に変えてダジャレにしたら2人の名前みたいになったこともあって、タイプの異なる2人が生き方について語り合うのがいいかなぁ、と。かたや情熱的で、かたやすごく冷めている2人の掛け合いがおもしろいと考えたとき、何も知らないからこそポジティブな弟と、そこそこ知っているがゆえに冷めた姉、というのがしっくりとくる気がしたのです。
姉のメメンが作ったお皿を割ってしまった弟のモリ。クヨクヨしているモリにメメンがかけたことばは...。「メメンとモリとちいさいおさら」をはじめ、「人は何のために生きてるの?」を問う3話を収録した長編絵本。かわいらしい絵と物語に込められたヨシタケ哲学に注目。
――「何のために生きるのか」をテーマに描こうと思ったのはなぜですか?
人が生きるってこういうことなんじゃないか、こんなふうに考えられたらちょっとは楽になれるのでは?......などと考えることが、僕はもともと好きなんです。今年50歳になるのですが、この5年くらいで老眼になったりトイレが近くなったりと一気に老いが進み、「人生後半戦感」を痛感するようになって。ある意味、死が近づいてきていると感じたことで、これまで以上に生きることについて考えるようになり、5年先、10年先の自分のために、お話として残しておかなくては、という気持ちもありました。
また、自分のことだけでなく、この10年余りは東日本大震災や、コロナ禍、戦争など、想像もしていなかったようなことが起きて、生きること、死ぬことというテーマに向き合わざるを得なかった。作家になってちょうど10年を迎えましたが、生きる意味って、生きる目的ってなんだっけ? と考えながら創作活動を続けてきたように思います。
――『メメンとモリ』で伝えたい「生きる意味」「生きる目的」とは?
普通に考えたら「幸せになるため」「自己実現するため」「楽しむため」といった理由が正解なのでしょう。もちろん楽しく生きた方がいいに決まってるんだけど、思い通りにいかない人もいれば、思うようにいかないときだってある。それだけを目標に生きていくのは辛いだろうな、そもそも幸せにならなきゃダメなの? と、僕はかねがね思ってきました。
大切にしているものを失ってしまった、こんなはずじゃなかった、この先つまらないことばかりだったらどうしよう......。『メメンとモリ』では、予想や期待と違ってびっくりしちゃうこともあるよね、でも生きるってそういうことだよね......と、ある意味、身も蓋もないことを言っています(笑)。でも、「人は思いもよらないことにびっくりするために生きている」とすれば、幸せな人だけでなく不幸だと感じている人も全部ひっくるめることができ、誰も置いてけぼりにしないと思うのです。身も蓋もないけれど、そういう言葉の中に希望を見いだせるときもある。だからこそ、身も蓋もないことをちゃんと、しかも、おもしろおかしく言えるか。僕はそこにチャレンジしたいと思ったのです。
――ヨシタケさんの作品は、子どもには子どもの、大人には大人のものの見方、感じ方、考え方があると気づかせてくれ、「当たり前」や「正論」をちょっと違う角度から見てみよういう気持ちになります。
正論っていくらでも言えるし、言うと気持ちがいいんだけど、言われた方はイラッとしますよね(笑)。じゃあ、正論をどんなふうに言われたら、僕みたいなひねくれ者でも素直に「だよね~」と受け止められるんだろう。その選択肢を自分のために作っているのが僕にとっての絵本づくりだし、僕自身が「こういう風に伝えてくれたらもうちょっと気軽に悩めるのに」という言い方、表現を探しているとも言えます。
また、よく「親だからできることがたくさんある」と言いますが、親だからこそできないこともいっぱいある。どんなにいいことを言われても、子どもって親の言うことは素直に聞かないものです。友達から言われたら「だよな〜」って素直に受け入れられるのに。僕も2人の子どもの父親ですが、全然信用されてません(笑)。僕が書いたものは、僕の子どもには届かなくても、ほかの子が受け取ってくれるかもしれないし、ほかの作家さんが書いたものがうちの子に届くかもしれない。大人ができることは、そうやって子どもの選択肢を増やすこと。逆に言えば、選択肢を増やしてあげることぐらいしか、大人にはできない。その中で、自分で選んでいいんだよ、と伝えられたらいいな、って。
――ヨシタケさんご自身も、親御さんの言うことには反抗したのですか?
僕には反抗期がなかったんです。それが悩みでした。子どもは親の言うことに不満を感じ、反抗する中で親とは異なる自分の価値観を作り、成長していくわけですが、僕にはそもそも、特に不満がなかった。生まれたときから不自由がないのに、一体何に対してハングリーになればいいんだろう? 満たされているのに「足りない何か」を探さないとダメなのか? そう疑問に感じながら、反抗すべきときに反抗できないなんて、自分はロクな大人になれないんじゃないかという恐怖感があったのです。
だから、今の「いい子」たちが奥底に抱えているだろう戸惑いや恐怖心がすごくよくわかります。でも、不満がなくて反抗できなくたって大丈夫、どうにかなるよ、と。僕もそうだったから言えるし、言わなくちゃ。そうすることであのころの僕を救わないと、という思いもあります。
――周りや世間と違うことをよしとしない「同調圧力」がますます強くなっているように感じます。
そうですね。でも、社会の不幸と個々人の不幸は別物です。世の中の雰囲気にあなたが合わせなきゃいけないわけじゃない。一方で、何者かにならないといけない、という圧も強くなっています。でも、何者にならなくても、目立たなくても、幸せに生きている人はいっぱいいる。そういう世界の広さや奥深さ、たくさんの選択肢を絵本の中で伝えていきたい。ひねくれ者で、でも特に不満もなくて反抗もできなくて、いろんな圧から逃げて作家になったおじさんもいるよ、ってね(笑)。本にはそういう力があると信じています。
■ヨシタケシンスケさんプロフィール
1973年、神奈川県生まれ。筑波大学大学院芸術研究科総合造形コース修了。スケッチ集、児童書の挿絵、装画、イラストエッセイなど、多岐にわたり作品を発表している。『りんごかもしれない』『ぼくはいったい どこにいるんだ』(ブロンズ新社)、『しかもフタが無い』(筑摩書房)、『りゆうがあります』(PHP研究所)、『それしか ないわけ ないでしょう』(白泉社)、『にげてさがして』(赤ちゃんとママ社)、『その本は』(共著、ポプラ社)、『日々憶測』(光村図書出版)など著作多数。
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