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晩年の家康はロリコンだった?...東大教授が教える戦国恋愛事情

恋愛の日本史

 2023年7月10日、『恋愛の日本史』(宝島社)が発売される。著者は東京大学史料編纂所教授の本郷和人さん。2024年の大河ドラマ『光る君へ』の主役・紫式部や『源氏物語』などに言及しつつ、日本の性愛・恋愛・男女の歴史に迫る内容だ。今回はその中から、徳川家康の性愛事情について紹介しよう。

武田信玄が怖くて女性を抱けなかった?

 家康の性愛について有名なのは、若いころ、なぜか側室がほとんどいなかったこと。さらに、武士の嗜みであった男色にふけっている様子もなかったこと。子どもをたくさん持つことを良しとした戦国時代の武将として、これは不思議なことだという。

 例えば、生まれながらの武士である織田信長は、森蘭丸をはじめとした才能ある美少年を傍に置くのを好んでいたとされている。逆に、低い身分から成りあがった豊臣秀吉は女好きで、家臣が用意した美少年に対しても、「お前に姉はいるか」とだけ聞いて何もしなかったという逸話が残っている。

 ところが家康は、正妻である築山殿とも別居し、側室も1人しかいなかった。しかも、この側室を溺愛したわけでもない。本郷さんは「甲斐の武田信玄が本当に怖くて、ストレスのあまり、とても女性を抱くなんていうことをイメージすらできなかったのではないか」とも推測しているが、実際のところは分からないという。

75歳の家康に19歳の側室

 家康が性愛に積極的でなかった理由の一つには、嫡男の信康がすでに生まれていたこともあるとされる。この信康が大変優秀だったので、家康が「そこまでがっついて子作りに励まなくてもいいだろう」と考えた可能性も指摘されているという。

 実際、信康が謀反を疑われて自害すると、家康は今までの消極性が噓のように子作りに励みはじめた。しかしこの時、自分の相手に確実に子どもを産んでくれる女性を選ぶため、わざわざ経産婦である子持ちの未亡人を側室に迎えたというエピソードもあり、これも性愛というよりは後継者作りのための計算づくの行動に近いとされる。

 では、家康の「本当の趣味」はなんだったのか。本郷さんによると、「ロリコン」こそが「家康の本性」であるかもしれないという。実は家康は、仕事のストレスからも子作りの責務からも解放された晩年、立て続けに13~15歳の側室を増やしていた。晩年に側室となったお六の方に至っては、家康が75歳で亡くなったとき、まだ19歳だったというから驚きだ。


■本郷和人さんプロフィール
ほんごう・かずと/1960年、東京都生まれ。東京大学史料編纂所教授。東京大学・同大学院で石井進氏、五味文彦氏に師事し日本中世史を学ぶ。史料編纂所で『大日本史料』第五編の編纂を担当。著書に『新・中世王権論』(文春学藝ライブラリー)、『権力の日本史』『日本史のツボ』(いずれも文春新書)、『乱と変の日本史』(祥伝社新書)、『日本中世史最大の謎! 鎌倉13人衆の真実』(宝島社)ほか多数。


※画像提供:宝島社

  • 書名 恋愛の日本史
  • 監修・編集・著者名本郷 和人 (著)
  • 出版社名宝島社
  • 出版年月日2023年7月10日
  • 定価990円(税込)
  • 判型・ページ数新書判
  • ISBN9784299042972

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