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すべての言語は即興のジェスチャーから自然発生した!

言語はこうして生まれる

 言語学をかじったことのある人なら、これまでの学説は何だったのか、と愕然としてしまいそうな本である。何しろ20世紀の言語学の巨人、ノーム・チョムスキーを真っ向から否定しているのだから。

 認知科学と行動科学の専門家であるモーテン・H・クリスチャンセン、ニック・チェイター両氏による共著『言語はこうして生まれる』(新潮社)は、サブタイトル『「即興する脳」とジェスチャーゲーム』からして刺激的だ。

 本書は1769年の南米大陸でのエピソードから始まる。英国人探検家クックの乗った船が南米大陸南東端に初めて到着し、クックは上陸。そこで狩猟採集民ハウシュ族と遭遇した。当然言葉は通じない。しかし、双方はお互いに敵意のないことを即興の身振りで示し合い、贈り物をしたうえ、ハウシュ族の一部は船にまで乗り込み、酒を飲んだりしている。

 最後までお互いの言葉はわからなかったが、最低限の意思疎通はジェスチャーによって可能だった。しかも、クックに同行していた植物学者は、ハウシュ語のうち「玉」と「水」という単語だけは推測できたと書き残している。それまでまったく接点がなく、文法構造も(ハウシュ語にそれがあるとして)異なる言語話者同士が、なぜ理解し合えたのか。

チョムスキーの「普遍文法」は存在しない

 本書の核心は、原題である"THE LANGUAGE GAME"(本書では「言語版ジェスチャーゲーム」)が言葉の起源だ、という理論である。いまでも7000を超す言語が世界に残っている理由もそこから導かれる。

 ジェスチャーには音声が伴うこともあり、それが話し言葉になるところから言語は始まった。それは必要に応じて自然発生し、そこから初期言語が生まれただろうし、違う話し言葉の種族が出会えば、再びジェスチャーが交わされ、お互いの話し言葉が影響し合う。クックがハウシュ族と出会ったときのように、だ。徐々に話し言葉は効率的に様式化され、さらに文字や文法が統一されるのは、気の遠くなるような時間がたってからであり、現生人類の歴史からすれば、つい最近のことだろう。

 こうした説を様々な論拠をもとに説明していく本書は、赤ちゃん時代から言葉を覚える過程を経て、第2言語の学習経験などもあるわれわれにとって、非常に腑に落ちる内容になっている。

 しかし、言語学の歴史からみると、つい最近までは異端に見えたかもしれないのだ。冒頭でも触れたチョムスキーは、人間は生来、どの言語にも共通する「普遍文法」を身につけているという「言語生得説」を主張した。

 普遍文法は、ダーウィンの進化論と結びつき、長い歴史の末の自然淘汰ではなく、ある人類の突然変異によって獲得されたとされる。チョムスキーは、約10万年前に突然変異が起きたその人間を「プロメテウス」と名付けてもいる。その後、言語に関係する人間の遺伝子発見というニュースも出るなど影響力は大きかった。人間の赤ちゃんだけがなぜ、言葉をあっという間に話せるようになるのかという謎も生物学的に説明できるとあって、言語学の教科書には必ず載っている。

 だが、プロメテウスが存在した証拠は見つかっていないだけでなく、現生人類の前にも生きていたネアンデルタール人にも先述の言語に関係しているとされた遺伝子が見つかったこともあげ、本書の著者たちは「普遍文法」を否定していく。

チンパンジーのコミュニケーションとの根本的な差

 言語版ジェスチャーゲームによって言語が生まれていく背景には、人間のコミュニケーションに関する特質がある。それは、コミュニケーションを氷山に例え、言語は水面から上の氷山のごく一部であり、実際のコミュニケーションは水面下の膨大な情報や感情、記憶を駆使した推測や推理であるというものだ。赤ちゃんの時代からこれを繰り返していくことで、人間は聞いて理解すると同時に話せるようになるし、自然発生したコミュニケーションのできる集団は同じ言語を伝え合い、変化させていくという。ここでは、人間が生み出した「言語という生物」という表現も出てくる。そう、言語は人間の脳に適合した生命体のように振る舞い、今後も変化していくと説明される。

 興味深いのは、進化的には人間に近いチンパンジーなどのコミュニケーションと人間の言語の違いである。彼らも何らかの意思を伝えるジェスチャーや声、音声を発生することはあるし、人間の言葉を理解することもあるという。しかし、チンパンジー同士の場合、基本的に「敵対的なシナリオ」でしかコミュニケーションを理解せず、「協力的なシナリオ(相手が親切に有益な情報を伝えようとしているという文脈)」ではコミュニケーションを理解しないというのだ。人間の言語は、この「協力的なシナリオ」を含めて理解することで発展・進化したというわけである。

 本書ではほかにも、言語によって人間の世界認識は変わるという「サピア=ウォーフの仮説」や、AI(人工知能)が全人類の知能を超える「シンギュラリティ」についても、従来の常識とは違う見方が示され、言語に関する固定観念を破壊してくれる。

 人間にとって言語は、生産力を上げ、科学を発展させる原動力となった。結果として、世界規模の戦争を2回も起こし、核兵器を生み、インターネットによって世界を結びつける役割も果たしてきた。

 いま、世界は再び核による脅威の淵に立たされ、そこで交わされる言葉は憎悪とプロパカンダに満ちている。チンパンジーにはない「協力的なシナリオ」を起源に持つ人類の言語が、人類自身の破滅を防ぐことができないとすれば、これほど皮肉なことはない。





 


  • 書名 言語はこうして生まれる
  • サブタイトル「即興する脳」とジェスチャーゲーム
  • 監修・編集・著者名モーテン・H・クリスチャンセン、ニック・チェイター 著 塩原 通緒 訳
  • 出版社名新潮社
  • 出版年月日2022年11月25日
  • 定価2970円(税込)
  • 判型・ページ数四六変形判 384ページ
  • ISBN9784105073114

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