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なぜ人は「推し」を推すのか。科学的に説明すると......?

「推し」の科学

 あなたには「推し」がいるだろうか? アイドル、俳優、アニメなど、今多くの人が「推し」をもち、日々「推し活」を楽しんでいる。令和は空前の「推し」ブームだ。かく言う記者も、「推し」という言葉が一般的になる前からアイドルを「推し」てきた。

 「推し」がいない人にはピンとこないかもしれないが、一度「推し」の沼にハマった人にとっては、「推し」なしの人生は考えられない。「推し」がいるから毎日が輝き、明日も頑張れる......。では、その「推し」とはいったい何なのだろう。なぜ私たちは「推し」を推しているのか?

 その謎を、科学的に解明している本がある。久保 (川合) 南海子さんの新著『「推し」の科学 プロジェクション・サイエンスとは何か』(集英社)だ。

キーワードは「プロジェクション」

 「推し」をもつ人はよく、「『推し』に救われた」と言う。でも、「推し」が直接ファンの前に現れて、何かをしてくれているわけではない。では「救われた」と思うとき、ファンの中では何が起こっているのだろうか?

 キーワードは、本書のタイトルにもなっている「プロジェクション」だ。プロジェクションとは認知科学の用語で、脳内の認識をちょうどプロジェクションマッピングのように、見えている世界に投影するという心のはたらきだ。私たち人間は実は、世界をありのままに認識しているのではなく、頭の中でさまざまに意味づけて認識している。

 たとえば以下の場面をイメージしてみてほしい。ある茶碗を何の気もなく使っていたところ、横から「実はそれは人間国宝が作ったもので......」と言われたとする。すると、茶碗自体は何も変わっていないのに「人間国宝の作品」という意味づけがされた瞬間に認識が一変し、扱いが丁重になるはずだ。

 同様の意味づけを、「推し」をもつ人たちも日々おこなっている。たとえば、ファンが身の回りの持ち物を「推し」のイメージカラーでそろえる例がわかりやすい。その「推し」を知らない人にとってはただの「青」でもファンから見れば、その「青」は特別な意味を持つ。その持ち物には「推し」が投影されているからだ。

 久保さんは「プロジェクション」について、「こころと世界をつなぐ働きをしているもの」と説明している。

 同じモノを見ていても、人によってその意味が違う。同じモノであるのに、この前といまでは自分のなかで意味が違う。日常でも本当によくあることです。私たちの世界は、ただ物理的なモノが存在しているだけではありません。プロジェクションによって、物理的なモノにひとりひとりが「意味」をつけているのです。そのような心の働きによって、世界はモノと意味とで彩られています。 (本文より)

 実際に「推し」をもつ人の言葉からも、「推し」とプロジェクションの関係が読み取れる。コラムニストのジェーン・スーさんは、『ひとまず上出来』(文藝春秋)に収録されているエッセイの中で、「推し」にハマったときのことを、道の角で人とぶつかって「あれ?」と思った直後「街中のビルボードやら交通安全ポスターやら、とにかく目に入るすべてが、さっきぶつかった人の顔にすり替わっていた」と喩えている。見える世界の全てが一気に「推し」で意味づけされてしまった瞬間を、的確に表現していると言えるだろう。

「『推し』に救われる」の正体は

 ファンが「『推し』に救われた」と思うのは、「推し」に何かをしてもらったからではない。ファン自身の中にすでにあった答えが、「推し」へのプロジェクションを通して引き出されたからだ。プロジェクションにおける意味づけは、見る人の脳内でおこなわれる。つまり、ファンが世界に投影する「推し」像は、ファン自身の中で生まれたものだ。「『推し』に救われた」と思うとき、ファンは「推し」を通して自分自身を見つめる。そして「推し」の意味を生み出すと同時に、自分の中にあったその意味に気づくのだ。

 本書の冒頭で久保さんは、娘さんが中学受験に失敗した直後に母子で観に行ったアニメ「KING OF PRISM」の映画の応援上映で「とても力づけられた」エピソードを紹介している。不合格の通知を受け取ってから、もやもやした気持ちを抱えていた久保さん親子は、その気持ちを「推し」に映しだすことで、自らを見つめ、自分に気づき、それぞれに得た答えをこころから納得して受け取ることができたという。それは「救い」ともいえるような重要な体験で、「自問自答の結果とたとえ内容は同じであっても、その人にとっての意味はかなり違う」と分析している。

 また、ジェーン・スーさんは先述のエッセイで、「推し」を「自他の境界線が曖昧になる対象」と表現している。これこそまさにプロジェクションだ。ファンの中の「推し」像が「推し」に投影され、「推し」の見せる姿がファンの心に影響を与える。プロジェクションを通した相互作用で「推し」とファンの境界は曖昧になっていき、直接会ったこともない「推し」を、まるですぐそばにいるかのように感じるようになる。

人間ならではの、「尊い」営み

 プロジェクションのはたらきは、「推し」という現象が登場するうんと前から、宗教や芸術、果ては太古の人類の住処の移動まで、人間のあらゆる文化・文明の根幹を成してきたのだという。「推し活」は、人間の脳だからこそ生み出された「尊い」営みなのだ。

 プロジェクションの恩恵を感じた記者自身の体験が思い当たる。記者の「推し」以外のメンバーのファンに会ったとき、そのメンバーの話(つまりその人の「推し」に対する意味づけ)をじっくりと聞いて、以前よりもずっとそのメンバーを好きになったのだ。今まであまり意味づけられていなかったメンバーに、新しく意味づけがされたおかげだ。プロジェクションの連鎖で、「推し」が、愛が広がっていく。

 本書では他にも、二次創作、2.5次元舞台、ぬい撮りなど、あらゆる「推し活」がプロジェクションであざやかに説明されている。「推し」をもつ人もそうでない人も、今もっとも熱い「推し」という現象から、人の脳の不思議を覗いてみては?

■久保 (川合) 南海子 (くぼ (かわい) なみこ)さんプロフィール
1974年東京都生まれ。日本女子大学大学院人間社会研究科心理学専攻博士課程修了。博士(心理学)。
日本学術振興会特別研究員、京都大学霊長類研究所研究員、京都大学こころの未来研究センター助教などを経て、現在、愛知淑徳大学心理学部教授。
専門は実験心理学、生涯発達心理学、認知科学。著書に『女性研究者とワークライフバランス キャリアを積むこと、家族を持つこと』(新曜社)ほか多数。

※画像提供:集英社




 


  • 書名 「推し」の科学
  • サブタイトルプロジェクション・サイエンスとは何か
  • 監修・編集・著者名久保(川合)南海子 著
  • 出版社名集英社
  • 出版年月日2022年8月17日
  • 定価946円(税込)
  • 判型・ページ数新書判・256ページ
  • ISBN9784087212273
 

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