大胆な生き方で女性たちから絶大な人気を集めてきた、フリージャーナリスト・エッセイストの桐島洋子さん。桐島さんの半生のすべてが一冊の本になった。『ペガサスの記憶』(小学館)だ。
本書は、もとは桐島さん自身が綴る雑誌連載だったが、認知症の悪化で執筆を中断していた。それから5年後、桐島さんが女手一つで育てた3人の子どもたちが残りの物語を書き上げ、この一冊に仕上がった。
母が作家としてデビューをした一九六〇年代も、そして今も、母のような生き方をする女性は稀有な存在なのだと、つくづく感じ入ります。
(「あとがき/かれん」より)
私はなんと百年も待ちに待たれた桐島家で初めての女の子だったそうである。もっとも桐島というのは祖父が勝手に創作した苗字だから、当時の「桐島家」に百年もの歴史などありはしなかった。土佐中村の中村家で元治元(一八六四)年に生まれた祖父は元治郎と命名されたが、歌舞伎の中村鴈治郎とまぎらわしいから嫌だといって勝手に桐島像一に改名してしまった。なぜ桐島なのか由来は知らないが、葉山の別荘の桐の花が毎年真っ白に咲き溢れるのが楽しみだった私は、きっと祖父もこの花が好きなのだろうと思うことにした。私だって中村洋子より桐島洋子のほうがよかったから祖父の我儘に感謝しよう。
(「東京、上海、葉山 一九三七」より)
「洋子が生まれたときから世の中が平和でなくなった」と母に言われていたという桐島さん。3歳のとき上海の高層ホテルのスイートで両親とともに遭遇した、衝撃的な"太平洋戦争の始まり"とは?
波瀾万丈な半生のすべてが綴られた、最初で最後の本格自叙伝。桐島さんはどのような信念でその生き方を貫いてきたのか。これは桐島洋子ファン、そしてすべての女性たちのための本だ。
「この伝記を読めば、なぜ私たちが桐島さんにあれほど熱狂したかわかる」
――林真理子(作家)
〈目次〉
第1章 洋子
東京、上海、葉山 一九三七
上海、妻籠、葉山 一九四四
目黒、駒場 一九五一
銀座、湘南、軽井沢 一九五六
永田町、六本木、真鶴 一九五九 ほか
第2章 かれん ノエル ローランド
ロサンゼルス、横浜 一九六九――かれん
横浜、イースト・ハンプトン 一九六五――ノエル
横浜、イースト・ハンプトン、横浜 一九七三――ローランド ほか
あとがき ノエル/ローランド/かれん
【著者プロフィール】
桐島洋子(きりしま・ようこ)
1937年東京都生まれ。高校卒業後、文藝春秋で九年間勤務の後、フリージャーナリストとして活躍。1970年『渚と澪と舵ーふうてんママの手紙』で作家デビュー。1972年『淋しいアメリカ人』で大宅壮一ノンフィクション賞受賞。世界中を旅しながら、書籍や雑誌の執筆のほか、テレビのコメンテーターとしても活躍。
桐島かれん(きりしま・かれん)
1964年神奈川県生まれ。学生時代にモデルの仕事をはじめ、女優、歌手、ラジオパーソナリティなどマルチに活躍。写真家の上田義彦氏と結婚後は四人の子供を育てながら日々の暮らしを提案し、現在、ファッションブランド「ハウスオブロータス」のクリエイティブディレクターも務める。
桐島ノエル(きりしま・のえる)
1965年神奈川県に出生届。テレビ番組『OH!エルくらぶ』司会者としてデビュー。エッセイストとしての執筆活動に加え、テレビ、ラジオ、翻訳などで活躍。1997年バンクーバーに移住。カナダと日本を行き来しながらヨガインストラクターとして活動中。
桐島ローランド(きりしま・ろーらんど)
1968年神奈川県生まれ。ニューヨーク大学TISCHスクールオブアーツ写真科卒業後、フォトグラファーとして、ファッションやポートレートを中心に雑誌、広告、TVCM、プロモーションビデオなど幅広く活躍。最先端のデジタル・テクノロジーを駆使したビジュアルクリエイターとしても活動の場を広げ、現在、CG制作の株式会社CyberHuman Productions取締役。
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