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37歳で亡くなった芥川賞作家・李良枝さん。その思いを知るエッセイ集。

ことばの杖

 在日韓国朝鮮人の作家と言えば、芥川賞作家の柳美里(ユウ・ミリ)さんがすぐに思い浮かぶが、ずいぶん前に亡くなった李良枝(イ・ヤンジ)さんもまた芥川賞を受賞した方だった。李さんのエッセイなどを収めた『ことばの杖 李良枝エッセイ集』(新泉社)が、没後30年に合わせて刊行された。

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 李さんは、1955年山梨県西桂町で在日韓国人の両親のもとに生まれる。早稲田大学社会科学部中退。大学在学の頃に伽耶琴、韓国語、韓国舞踊を習い始め、1980年から東京と韓国の往来を繰り返す。ソウル大学国語国文学科に入学し、小説「ナビ・タリョン」を文芸誌「群像」に発表。88年にソウル大学を卒業し、翌年に小説「由熙」で第100回芥川賞受賞。92年5月22日に病気のため急逝した。享年37歳。

 それまで、在日韓国朝鮮人で芥川賞を受賞したのは、李恢成(イ・フェソン)さん1人しかいなかった。それだけに李さんの早すぎる死は多くの人に衝撃を与え、惜しまれた。自殺説すらあり、週刊誌が取材に動いたことを、本書で妹の李栄さんが明かしている。田中淑枝の名前で生きてきた李さんが、「李良枝」という名前を使うようになったのは、高校生の頃だ。在日韓国朝鮮人として、日本と韓国という2つの「祖国」の間で切りかれていたことは容易に想像できる。

「父×母」というもう1つの問題があった

 だが、本書を読み、李さんは人には言えないもう1つの私的な問題で苦悩していたことを知った。それは「父×母」という家族の問題だ。

 それを象徴するのが、「富士山」(1989年「群像」)と題した作品である。芥川賞受賞作の「由熙」を書き終えた後、李さんは17年ぶりに、生まれ故郷に近い山梨県富士吉田市に帰った。心境の変化があり、無性に富士山を見たくなったからだ。

 「私は、富士山を憎んできた」

 なかなか書ける1行ではない。どういうことなのか。胸騒ぎがする。李さんは物心ついた頃から、家の2階から見える富士を憎み続けてきたという。

 「家庭の中は、両親の不和のために、暗くじめじめしていた。心の中は、言葉にならない不安と昂ぶりでざわめいていた。何故生きているのか、生きなくてはならないのか。自分の生、人の生を認めようとするきっかけさえ摑めず、この世界を憎悪していた。美しく、堂々として、みじろぎもしない富士山が、憎くてならなかった」

 17年ぶりに帰ってきて見た富士は美しかった。「どんな瞬間の姿を目にしても、美しい、と私は口の中で繰り返していた」と書いている。

 この頃は日韓を往来する日々でもあった。韓国の山々を見ても同じ感情を抱いた。「コマプスムニダ(ありがとう)」。「同じ呟きを、今、私は繰り返している」と結んでいる。

二つに分裂した家族

 作家・大庭みな子さんとの対談「湖畔にて」(1990年「フェミナ」)では、出自の悩みについて語っている。小さい頃、大阪にいる親戚のところに行くたびに、「汚いとか、臭いとか、貧しいとか......。やはり目に見えない差別のようなものを感じていました。自分の中にも、そういう朝鮮人の血が流れていることを、知られてはまずいという思いがありました」。

 高校1年生のとき、両親の不仲は頂点に達し、離婚訴訟が始まった。兄2人はすでに東京に出ていて父の近くに住み、李さんを含め姉妹3人と母、女性ばかり4人が山梨に取り残されたかっこうで、家は二つに分裂してしまった。

 泣くばかりの日々。無気力になり、成績は下がった。2年生で自殺未遂、そして家出。京都の旅館で1年間働き、府立鴨沂高校の3年に編入した。リベラルな校風の中で元気を取り戻した。

 そして、市電の中でも大声で朝鮮語を話す朝鮮高校の女生徒たちを見て、民族意識が芽生えた。

 「彼女たちはどうしてあんなに勇ましいのだろう。平然としていられるのだろう、いやどうして朝鮮人であることがあんなに自然なのだろう」

 もっと学びたいと思い、早稲田大学社会科学部に入学、さまざまな運動をする中で在日朝鮮人が被告となった「丸正事件」を知り、ハンガーストライキをするなど支援活動にのめり込む。

 その後大学を中退し、東京都足立区のヘップ工場に勤める。ヘップサンダルは神戸市長田区や東京都足立区など、在日朝鮮人の多い地域の産業でもある。シンナーの臭いが充満する工場での日々を「散調の律動の中へ」(1979年「三千里」)に書いている。

 舞踊家でもあった李さん。ご存命ならば、どんな作品を書き、どんな踊りを舞ったのか。本書を読み、あらためて早すぎる死が惜しまれた。

 BOOKウォッチでは関連で、在日韓国朝鮮人作家・深沢潮さんの『海を抱いて月に眠る』(文藝春秋)、柳美里さんの『町の形見』(河出書房新社)を紹介済みだ。



 


  • 書名 ことばの杖
  • サブタイトル李良枝エッセイ集
  • 監修・編集・著者名李良枝著
  • 出版社名新泉社
  • 出版年月日2022年5月22日
  • 定価2420円(税込)
  • 判型・ページ数四六判・241ページ
  • ISBN9784787722003

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