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『三千円の使い方』原田ひ香が描く、古書の町の味わい深い人間模様

古本食堂

 本を愛する人が訪れる街、東京・神保町。『古本食堂』という不思議なタイトルの物語は、神保町の小さな古書店が舞台である。

 本書は、『三千円の使い方』『ランチ酒』などのベストセラーで知られる原田ひ香さんの新作だ。『三千円の使い方』に登場するのは、就職して一人暮らしを始めた主人公と証券会社OLから専業主婦になった姉、習い事に熱心で向上心の高い母と一千万円を貯めた祖母。三世代の女性たちが人生の節目とピンチを乗り越えるため、お金をいかに貯めて使うかを描いた「節約」家族小説と話題になった。

 今を生きる女性のモヤモヤした思いも包みこんでくれる原田さんの新作は、ノスタルジックな雰囲気も心地良い人間ドラマになっている。主人公の鷹島美希喜(みきき)は、女子大の国文科で学ぶ大学院生。本を読むことは何より好きでも、自分の将来を思い描けずに悩んでいた。その矢先、神保町で小さな古書店を営んでいた大叔父の滋郎さんが独身のまま急逝した。やがて郷里の北海道から妹の珊瑚さんが上京し、素人ながらお店を切り盛りすることに。滋郎さんを慕って通っていた美希喜も、いつのまにか珊瑚さんのお手伝いをするようになる。そんな二人をめぐる書店街の人たちや客との心温まる交流が描かれていく。

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「人生つまらない」青年に勧めた本は...

 本書の面白さはまず、古書店ならではの意外な本との出会いがあることだ。珊瑚さんが店を継いで開店した初日、若く小綺麗な女性が訪れた。「こちらは料理の本とか扱ってますか」と聞かれ、「お弁当の作り方の本をずっと探しているんです。私、うまくできなくて」と。「どういったものを探しているのかしら。もし良かったら......教えてくださればもしかしたら、何かお役に立てるかも」と珊瑚さんが尋ねると、彼女は子どもが幼稚園へ入ってお弁当を作ることになったが、お弁当の本を何十冊買っても使いこなせないのだという。そう涙ぐむ女性に珊瑚さんが勧めたのは『お弁当づくり、ハッと驚く秘訣集』という文庫本。写真はないけれどカバーが可愛らしく、料理家の小林カツ代さんが冷めても美味しい料理をまとめた「読むレシピ本」だ。珊瑚さんも、母親が忙しくて、仕事に行く父のお弁当とアルバイトに行く自分のお弁当を長いこと作っていて、愛読していた本だったのだ。

 またお金を貯めたり、投資をしたり、ビジネス書しか読まず、早めに退職してのんびり暮らすことを目指していた青年は、「自分の人生がつまらない無意味なものに見えてきた」と迷いを打ち明ける。そこで珊瑚さんは『極限の民族』という本を勧める。ジャーナリストの本田勝一さんが、カナダ・エスキモー、ニューギニア高地人、アラビア遊牧民の家族に入り込み、寝食をともにした体験を綴ったルポルタージュの労作である。

 高校生の息子と何を話していいかわからないと悩む父親には、写真家・橋口譲二さんの『十七歳の地図』を。それは1987年から88年にかけて、北海道から沖縄まで日本全国を旅して102人の17歳の人たちの姿を撮った写真集。さらに小説家志望なのに「何を読んでも楽しくない」と悩む若者に美希喜が選んだのは、古典の『お伽草子』。鎌倉時代末から江戸時代にかけて成立した短編の物語集だ。

 およそふだんの生活では手に取ることもない本ばかりだが、珊瑚さんと美希喜が手渡す本には相手を思いやる優しさがあり、心動かされていく客とのやりとりが微笑ましい。

この町すべてが「古本食堂」

 彼女たちが店を訪れる人たちと一緒に食べるものもまた魅力的だ。お弁当作りに悩む若い母親にもてなしたのは、神田小川町で300年以上続く老舗寿司屋の笹巻けぬきすし。「人生がつまらない」と打ち明けた青年を元気づけたのは、美希喜が珊瑚さんのために持ち帰った神保町の名店ボンディのビーフカレー。ロシア料理の揚げたてピロシキ、ブックカフェの熱々カレーパン、文豪・池波正太郎が愛した揚子江菜館の上海式肉焼きそば......と、神保町界隈の絶品グルメも満載だ。

 物語が進むほどに、浮かびあがる人間模様も味わいがある。兄が遺した古書店を続けるべきか惑う珊瑚さんには、胸に抱く大切な人への想いがあった。自分の将来を思い描かず悩み、美希喜の前に現れた純真な青年。そして、独身のまま逝った大叔父の滋郎さんが秘めていたこととは......。「愛」の形にはいろいろあることも、この本は静かに教えてくれる。

 町中に古書があふれていて、美味しいものがあふれている。だから、この町すべてが「古本食堂」なのだと彼女たちはいう。そんな神保町の町を旅するように味わえるのが本書の魅力だ。久しぶりに訪ねてみようか、きっと面白い本に出合えそうだ。そう思ったら、学生の頃のワクワクする気持ちもよみがえってきた。

(文・歌代幸子/ノンフィクションライター)




 


  • 書名 古本食堂
  • 監修・編集・著者名原田ひ香 著
  • 出版社名角川春樹事務所
  • 出版年月日2022年3月15日
  • 定価1,760 円 (税込)
  • 判型・ページ数四六判 296ページ
  • ISBN9784758414166

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