「患者さんに、最期まで笑顔でいてほしいから」――。
本書『ヴァイタル・サイン』(小学館)は、映画「いのちの停車場」で話題の現役医師・南杏子さんの最新作。
物語の舞台は、終末期の患者が多く入院する病棟。死と隣り合わせの酷烈な職場で懸命に働く30代女性看護師の視点から、医療現場の現実と限界をリアルに描いた医療小説だ。
タイトルの「ヴァイタル・サイン」は「生命兆候」を意味している。
「体温、血圧、脈拍、呼吸、意識レベルなど、生命維持の基本を成すデータを計測し、患者の『命の息吹』『生きている証』を正確な数値で把握する。看護師にとって、基本中の基本となる仕事だ」
堤素野子(つつみ そのこ)は21歳で看護師になり、10年が経つ。二子玉川グレース病院で高齢の患者を看護している。
この病院の入院患者は、認知症、糖尿病、慢性心不全、脳血管障害、慢性関節リウマチ、パーキンソン病など、複数の疾患を抱える70歳代以上が大勢。
患者1人1人の状態を把握しつつ、検温や血圧測定、おむつ交換や洗面、入浴介助、食事介助、医師の診察介助や採血検査、点滴......と、業務メニューはさまざま。
慢性的な人手不足の中、看護師は過酷なシフト(日勤―準夜勤―深夜勤の交代制)で休みも十分に取れず、厳しい仕事をこなしている。素野子はさらに、認定看護師資格の勉強、主任の補佐、2人の教育係も抱えている。
「『白衣の天使』なんて言葉は、好きではない。甘ったるい言葉の響きが、何というか自分の現実に合わない。医療と看護の現状や、勤務の実態にもそぐわないと思う。けれど、やりがいは感じる」
素野子の1日は、これでもかというほど過酷な場面の連続だ。
たとえば、患者から大声で乱暴な言葉を投げつけられる。感染リスクにさらされながら、感染性胃腸炎の患者の吐物の処理に追われる。自分中心で不機嫌な医師から怒号を浴びせられる。患者の家族から過剰な質問や要求をされる。
自分が素野子だったら耐えられる自信はないが、「看護の重圧と鬱屈」の中で、素野子は我慢し続けている。
「雑念にとらわれている場合ではなかった。とにかく目の前の仕事を進めることに集中しなければ。自分たちを待つ患者はまだまだ気が遠くなるほど大勢いるのだから」
ある日、素野子は休憩室のパソコンで、看護師とおぼしき「天使ダカラ」さんのツイッターアカウントを見つける。そこには決して口にしてはならないはずの、看護師の本音が投稿されていた。たとえば......
<ヤブ医者め! バカヤロウって言う方がバカヤロウなんだよ!>
<あんたのシモの世話をしているのは、風俗嬢じゃありません。(中略)ここはセクキャバじゃないんだよっ!>
素野子は「気持ちを代弁してもらった」ようで、心が安らぐようにすら感じた。「つらいのは自分だけではない」と思えた。
天使ダカラさんは「白衣の天使だから」、我慢しようとして、かえって苦しんで、泣き叫んでいるかのようだった。
<今年のニッポン、在宅介護は似たようなニュースてんこもり。(中略)身内の介護殺人が後を絶たない。ナゼか? 夫を、妻を、親を、手にかける理由があるからだ。ましてや赤の他人が追い詰められたら>
この投稿に、素野子は「ゾクリとした」。「看護師は看護のプロだ。だから、そんな犯罪はありえない。あるはずがない」と慌てて否定するが――。
「誰かに感謝されたくて、看護師の仕事を選んだ。『ありがとう』と言われるのがうれしかった。(中略)あのころは、今の自分の気持ちなど想像もできなかった」
看護の現場は典型的な「感情労働」の職場であり、看護師は感情を酷使し、患者や家族が求める優しい声や表情、態度を提供するのを当然視されるという。
自分の気持ちに蓋をして、ふらふらになりながらもひた走る。素野子の物語は、看護師1人1人の現実なのかもしれない。
コロナ禍の今、現役医師が描いた看護師の物語は、医療従事者からのメッセージであり、医療従事者へのエールでもある気がした。
■南杏子さんプロフィール
1961年徳島県生まれ。日本女子大学卒。出版社勤務を経て、東海大学医学部に学士編入し、卒業後、都内の大学病院老年内科などで勤務する。2016年『サイレント・ブレス』でデビュー。他の著書に『ディア・ペイシェント』(NHK連続ドラマ化)、『いのちの停車場』(21年映画化)、『ブラックウェルに憧れて』などがある。
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