出版社が出版社を表彰する賞がある。それは「梓会出版文化賞」だ。
同賞は、優れた出版活動を行っている出版社を激励することを目的としたもので、創設は1984年(昭和59年)。最新の第36回は、一般財団法人東京大学出版会が受賞。同特別賞には株式会社ゲンロンが選ばれている。
また、同時に表彰される「新聞社学芸文化賞」は、書評のプロである新聞社・通信社の文化部長で構成した選考委員会が選考する賞で、こちらも出版社に対して贈られる。最新の第17回は、一般財団法人京都大学学術出版会と株式会社晶文社が受賞した。
優れた出版物で評価されることは決して容易ではない。まして、業界のプロの目で選ぶ賞となると、受賞の喜びも一味違うのではないだろうか。そこで、出版の経緯や受賞の言葉を取材したいと思い「新聞社学芸文化賞」を受賞した株式会社晶文社の太田泰弘社長に時間を作っていただいた。
そもそも驚きなのは、「賞金50万円で図書カードを買いました」と太田さんは言う。それはいったいどういうことなのか。
―― 受賞、おめでとうございます。新聞社の学芸部門というと、書評のプロです。プロから選ばれたわけですが、受賞の率直なお気持ちはいかがでしょうか。
太田:素直にうれしかったです。プロの方々に選んでいただけたことは出版社冥利に尽きます。同時に、賞をいただいたことで、改めて出版活動に励む気持ちが高まりました。
―― 本賞は出版社に贈られる賞ですが、御社刊『つけびの村』(高橋ユキ 著)、『急に具合が悪くなる』(宮野真生子・磯野真穂 著)が高く評価されました。
特に、ノンフィクションで注目を集めた『つけびの村』はどんな作品なのでしょうか。
太田:本書は2013年7月21日に山口県周南市金峰(みたけ)地区で発生した山口連続殺人放火事件を描いた「調査ノンフィクション」です。
犯人は近隣の高齢者5人を撲殺し、2軒の家に放火。12人の高齢者のみで構成された限界集落の中で起きた事件でした。
本書の読みどころとしては、著者の高橋ユキさんの圧倒的な観察眼です。彼女が何を見て、何を聞き、何を感じたか。その世界を読者自らも体感できる筆の運びが魅力です。
彼女は村に単身で乗り込み、閉鎖的ともいえる空間の中で調査を積み重ねていく。読むほどに、その臨場感に引き込まれていきます。
―― かなり重いドキュメンタリーである『つけびの村』。本作の一部は、有料「note」で、既に人気が出ていたので出版したい会社は他にもあったように思いますが、御社が出版できたポイントは何でしょうか。
太田:当社で出版することができたポイントは、ひとえに、担当編集者の感度と熱意です。著者へのコンタクトも早かったのだと思います。
担当編集者は、元記事のSNSでの拡散スピードの速さを察知し、面白さに気が付いたそうです。そして、書籍化したら良質かつ新機軸のノンフィクションとして間違いなく話題になると確信したと言っています。
当時、担当編集者は深夜2時過ぎにテキストを読み終えると、即、著者にオファーのメールを送ったそうです。
―― なかなかの即断ですね。
太田:出版の世界は一刻を争うネタもあります。後で社内の決裁を通すリスクはありますが、編集者のチャンスを摘まない社風ではあると思います。本書の場合、殺人事件を扱うので、それなりのリスクはあったと思いますが、そこを考えても話題になると担当編集者は考えたようです。実際、社内決裁も通していますし流石です。
―― 改めて、この作品に携わったメンバーに対して、社長としての思いをお聞かせください。
太田:『つけびの村』、『急に具合が悪くなる』ともに、この本の出版に関わって下さった皆さんに心から感謝しています。両作品とも制作過程で特に神経を使う内容です。本当にお疲れ様でした。
『つけびの村』は事実として起きた殺人事件を扱い、『急に具合が悪くなる』は、がんを患う哲学者の宮野真生子さんと医療人類学の専門家である磯野真穂さんの命をかけた往復書簡。
ともに難易度の高い仕事だったことは容易に想像がつきます。
―― とても気になるのは、受賞賞金の使い方です。
賞金50万円。全額で図書カードを買ったそうですが、その意図を教えてください。
太田:賞金の使い方はいろいろな発想がありました。例えば、受賞作の宣伝広告費に全額使って更なる拡販を目指すとか、在宅勤務用の最新パソコンを購入するとか...。
ただし、本賞は、特定の作品が注目されての受賞ではありますが、編集部門だけでなく、営業、広報、製作、経理・総務など全社の活動の上でいただいた賞ですので、まさに社員みんなの受賞です。そこで、社員全員に金一封で配るという発想に思い至りました。
そんな折に、当時の監査役からひとこと提案があったのです。当社は、本の街、神保町の出版社ですから、現金ではなく、敢えて図書カードで配ったらと。
私は、その意見を聞いたときに、賞金の使い方として素直にいいなと思いました。それで、神保町の書店で図書カードを買って、社員全員に配ることになったのです。
―― 出版社らしいアイディアですね。前回の受賞時も、面白い使い方だったようですが?
太田: 前回の受賞は30年前でした。その時は、賞金で社員全員が伊豆旅行にでかけたのです。その理由が、なかなか面白いのです。行かざるを得なかった!
―― いかざるを得なかった? どういうことですか?
太田:当時を知る方からの伝聞ですが、前回の梓会での受賞は『職人共和国だより~伊豆松崎町の冒険』(早稲田大学教授 石山修武氏 著)でした。
本書の販売を、著者である石山修武氏が設計した伊豆の長八美術館に依頼したところ売れ行きが好調だったそうで、担当者は「500部の販売目標を達成の折には社員旅行で松崎にやってきます!」と言ってしまったようなのです。
ここまでの話で、皆さんご想像がつくと思いますが、その後に販売目標はあれよあれよと達成され、社員旅行に伊豆へ行く約束を果たすべき時がやってきましたが、それなりに費用が掛かるという難しい局面を迎えるわけです。そんな折に、受賞賞金が舞い込んだ。
―― すごいめぐりあわせですね。賞を取るということには、意外とそんな伏線が張られているのかもしれませんね。見事に伏線を回収されている。まるで小説のようです。
―― ここで、晶文社についてお聞かせください。どんな出版社なのでしょうか。
太田:弊社は創業61年目の出版社です。硬軟問わず、政治や思想的にも偏りのない価値観に基づいた出版活動を心掛けたいと願っています。
また創業以来、海外出版物の翻訳刊行も、多数手掛けてきました。
―― 編集者も、企画の自由度が高そうですね。
また、10代への読書推進運動にも関わっていらっしゃるとか
太田:弊社は、ヤングアダルト向けに読書を提案する「YA出版会」(現在13社で活動中)のメンバーとしても活動しています。「YA出版会」は13歳からの読書にぴったりな作品を提案し、図書総目録、朝の読書ブックガイドも作成しています。
YAとは、アメリカで13歳から19歳の世代を差す言葉で、「YA出版会」ではポストコロナ期を生きるティーンエイジャーに向けて、上から目線ではない読書推進運動を続けています。
―― 幅広く手掛けていらっしゃいますが、太田社長は、どんな出版人生を歩んでいらしたのですか?そして、日ごろ心掛けていることなどもお聞かせください。
太田:私が出版の面白さのとりこになったのは、株式会社めるくまーるへ入社した折に目にした『禅とオートバイ修理技術-価値の探求』(ロバート・M・パーシグ著 現ハヤカワ文庫NF)という本との出会いです。以来、ずっと出版業界に身を置かせてもらっています。
話はそれますが『禅とオートバイ修理技術-価値の探求』は、西洋哲学の分野では必読の名著です。なぜ、禅とオートバイ修理技術がつながるのか?読んでみたくなりませんか?
私が日ごろ心掛けていることは、基本的に出版企画に介入しないようにしていることです。社長の価値観で企画を裁かないようにしています。ただ、かといって傍観もしないようにしています。でもその距離感がとても難しいですね。
―― 先ほど、今回の受賞で、改めて出版活動に励みたいとおっしゃっていました。最後に、今後の出版活動についてお聞かせください。
太田:晶文社らしいね、と言われるような、独自性のある本を出していきたいと思います。
具体的な話になりますが、4月に出る本でかなり面白いものがあります。ずばり、タイトルは『土偶を読む』。読めるそうなんです、土偶は(笑)。土偶には縄文時代の神話が「刻み込まれている」と。
『つけびの村』を担当した編集者が取り組んでいて、土偶を、ある意味でエンターテイメント的に、かつ、まじめに深く見つめた企画です。
「土偶とは何か」を知っていますか?と言われると、パッと説明できませんよね。そんな日本古代史最大の疑問の一つに一歩ずつチャレンジしていく面白さがある、今までにない土偶本です。
それから、ジェンダーの分野でも有名な故ルース・ベイダー・ギンズバーグ・元アメリカ連邦最高裁判所判事の、最後の本も今秋刊行予定です。『JUSTICE JUSTICE THOU SHALT PURSUE』(RUTH BADER GINBURG and AMANDA L.TYLER 2021年3月にアメリカで刊行)です。
ルース・ベイダー・ギンズバーグ判事は、女性だけでなく、男性の人権についても法律で守るために尽力されてきた御方。深いレベルで'人権'を考えることができる作品だと思います。
どうぞ、ご期待ください。
―― 本日はお忙しい中、ありがとうございました。
太田泰弘(おおた・やすひろ)
株式会社晶文社代表取締役社長。1958年9月30日、東京生まれ。1981年、立正大学仏教学部卒。1988年、株式会社めるくまーる入社。2010年、株式会社晶文社入社。
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