「宝塚」と聞いて、あなたはどんなイメージを思い浮かべるだろうか。豪華絢爛なステージ、入手困難なチケット、男役トップスターに熱狂する女性ファンたち......。
そんな宝塚が、最初は10代の少女たちの学芸会のようなものだったことはご存じだろうか。現在の宝塚歌劇団のスタイルは、実は設立から15年以上経った1930年代以降に確立したものだ。宝塚歌劇団はどのように誕生し、どんな経緯で今の形になったのだろうか。社会学・音楽学の研究者、周東美材さんが著書『「未熟さ」の系譜 宝塚からジャニーズまで』にその過程をまとめている。
宝塚歌劇団は、1914年に実業家の小林一三が設立した。小林は鉄道事業を手がけており、鉄道の集客のために、当時寒村だった宝塚を栄えさせる必要があった。そのために、小林は宝塚歌劇団をはじめとした観光事業に力を入れたのだ。
当時「宝塚少女歌劇団」という名称だった1期生の彼女たちは、まだ小学校を出たばかり。現在のスタイルからは想像もつかないが、桃太郎や舌切雀、猿蟹合戦などのお伽話の劇を上演していた。ただし念頭に置いておいてほしいのが、当時はまだテレビがなく、「カチューシャの唄」などのヒットソングも演劇の劇中歌から出ていたということ。少女たちの学芸会のような劇も、十分に客を楽しませる娯楽だった。
加えて、古典的なお伽話を上演するにも、使われた音楽は当時まだ新しかった西洋音楽。宝塚の歌劇は、歌舞伎など旧来の演劇とは一線を画す、独自の味をもったエンターテインメントだった。
この頃、西洋音楽に特に親しんでいたのが子どもたちだ。大人たちは義太夫節や都々逸など、旧来の音楽に親しみがあり、西洋音楽には馴染みがなかった。対して、子どもたちは五線譜のメロディーの「唱歌」を学校で学び、西洋音楽にふれる機会が多かった。
本書の一貫した主張は、「戦後日本のポピュラー音楽や芸能は、子どもを中心としたファミリー向けに発展した」というものだ。1910年代から日本に「サラリーマン」という職業が登場し、サラリーマンが家計を営む「家庭」が、新たな時代の理想として生まれた。小林は、宝塚少女歌劇団の客層として、この「家庭」を狙ったのだ。
「子連れの家族が安心して観られる演劇」。これが宝塚少女歌劇団設立当初のコンセプトだ。子どもたちが親しんでいた西洋音楽を劇に取り入れたこととも然り、さらには劇団の少女たちの清純なイメージも戦略の一つだった。当時舞台女優といえば、スキャンダラスなイメージがつきまとっていた。宝塚はファミリー向けなので、宝塚の少女たちはそのような「女優」とは違う、あどけなくて幼い、家庭的なイメージをもたせる必要があった。
小林は宝塚音楽歌劇学校を創設し、自ら校長に就任して、少女たちの学業や風紀を厳しく取り締まった。彼女たちは女優でなく「女生徒」だったのだ。こうして設立当初の宝塚少女歌劇団は、家族連れが安心して観劇できるエンターテインメントとして成功をおさめた。
少女が成長するにつれて、お伽話の劇は少々幼く、陳腐になっていった。そこで劇団をこれまで通りのお伽話ものと、現在のような異国情緒漂う「レビュー」形式の二つに分けることに。結果レビューの公演がうけ、ファミリー向けのお伽話ものはなくなり、女学生ファンに人気のレビュー路線のみに絞って、現在の宝塚歌劇団に至る。
最初の「男装の麗人」は、宝塚ではなく、宝塚の類似劇団として誕生した松竹歌劇団の"ターキー"こと水の江瀧子だった。身長が高く、髪をばっさりと切って男役を演じ、絶大な人気を集めた瀧子だが、彼女が男性のしぐさの手本としたのは、なんと女性的なしぐさを得意としたダンスの先生・青山圭男と、それからハリウッド映画の俳優たちだった。女性ファンを熱狂させた瀧子の男性しぐさは、「男性らしさのパロディー」だったのだ。
加えて瀧子は歌があまり得意でなかった。その未完成さは、ファンに「可愛い」と形容された。瀧子の人気の理由は、完全な男性らしさではなく、「男性らしくなろうと頑張る未完成な姿」だったのだ。男性らしさが好きなら、本物の男性を追いかければいい。「男装の麗人」人気に内包されているのは、「未熟さ」への欲望だ。
瀧子の男役スタイルは本家宝塚にも取り入れられ、現在の「宝塚らしさ」となった。宝塚においても、当時の男役の少女たちは洋画から男性しぐさを学んだという。現在の宝塚の男役スターたちのしぐさも、現実の男性ではありえないほど誇張された、パロディー的なしぐさであることがわかる。
「未熟さ」への欲望は、脈々と受け継がれている。現代のアイドルも然りだ。AKB48に代表されるアイドルグループなどは、どこにでもいそうな若者が、決して上手いとはいえない歌やダンスを頑張り、ファンはそれを応援している。近年では歌もダンスも訓練され尽くされたグループもいるが、パフォーマンスのレベルが上がっても、そこには「どこにでもいる若者がアイドルになって歌やダンスを頑張る」という未熟さ・未完成さがあることは変わらない。私たちは、時代を経るごとに完成へと限りなく近づきながらも、永遠に完成されきることのないアイドルたちに熱狂しているのだ。
宝塚のほか、本書ではジャニーズやザ・ピーナッツ、山口百恵など、戦後日本の芸能史が、「未熟さ」というキーワードのもとあざやかにまとめられている。宝塚ファンをはじめとして、芸能やアイドルに関心をもつ読者なら、夢中になること間違いなしだ。
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