江戸時代は天下泰平と言われるが、天変地異、自然災害などに苦しめられた。最たるものは「疫病」だった。今の言葉で言えば「感染症」だ。何度も大流行があった。病の原因も対策も治療法もわからなかった時代に、幕府はどう対処し、パンデミックを乗り切ったのか。本書『江戸幕府の感染症対策――なぜ「都市崩壊」を免れたのか』(集英社新書)は、その詳細を明らかにする。コロナ禍に直撃されている現代の私たちにも大いに参考になる。
著者の安藤優一郎さんは1965年生まれ。歴史家。文学博士(早稲田大学)。早稲田大学教育学部卒業。同大学院文学研究科博士後期課程満期退学。主に江戸をテーマとして執筆・講演活動を続け、『大名屋敷の謎』『江戸っ子の意地』(ともに集英社新書)、『渋沢栄一と勝海舟』(朝日新書)、『お殿様の人事異動』(日経プレミアシリーズ)、『江戸の不動産』(文春新書)など著書多数。
本書は以下の構成。
プロローグ 感染症の歴史 第1章 江戸の疫病と医療環境 第2章 将軍徳川吉宗の医療改革と小石川養生所の設立 第3章 江戸町会所の"持続化給付金" 第4章 幕末のコレラ騒動と攘夷運動の高揚 第5章 種痘の普及と蘭方医術の解禁 エピローグ 感染防止と経済活動の維持
江戸時代に日本人を苦しめた感染症は、天然痘・麻疹・インフルエンザ・コレラなどだ。最盛期には人口100万を超えたという江戸は、過密都市ゆえに、とりわけ被害を受けやすかった。一度の流行で数万人が亡くなることも珍しくなかった。しかし、都市崩壊のような事態には至らなかった。それはなぜだったのか。どのような対策が講じられていたのか。過去の自身の著作や多数の先行書も参照しながら、為政者がリーダーシップを発揮した幕府の対応ぶりをリアルに描き出す。
各章の解説の中で、まず注目すべきは「第2章 将軍徳川吉宗の医療改革と小石川養生所の設立」だろう。
8代将軍吉宗(在職1716年~ 1745年)は、今でいうところの「理系」の人。同時に「実学」にも関心が高かった。例えば天文学に興味を持ち、オランダから取り寄せた望遠鏡で天体観測したり、自分でも天球儀をつくったりしている。「医学」「薬学」にも詳しく、自分で薬を調剤するほどだったという。
とくに吉宗が力を入れたのは薬草の研究だ。全国各地にどんな薬草があるか、くまなく調査を命じた。そんな中で吉宗が効能に注目し、執心したのが「朝鮮人参」だ。当時、朝鮮と交流していた対馬藩を通して密かに朝鮮人参の種を入手、日本国内での栽培、増産に成功している。朝鮮は当時、最大の輸出品として朝鮮人参を厳重に管理していたから、いまでいう「産業スパイ」だ。
江戸には以前から「御薬園」という幕府直轄の薬園があった。それが吉宗の時代に大幅に拡張され、薬草の大量供給に貢献した。現在は東大の小石川植物園になっている。
さまざまな「和薬」の類別も定められた。新たに使用を認められた薬が35種、今後さらに使用させたいものが10種、使用禁止22種などだ。入手可能な薬や簡単な治療法を記した『普救類方』が出版され、全国の書店で販売された。基礎的な医療知識を広めることが、病への対応力アップにつながると考えたからだ。
このほか吉宗の享保の改革でよく知られているものに、小石川養生所がある。無料で診察が受けられ入院もできる施設だ。山本周五郎の小説『赤ひげ診療譚』などで有名だ。安藤さんには『江戸の養生所』(PHP新書、2005年)という著書もあり、得意分野だけに詳しい。
こうした事業に吉宗が前向きだったことについて安藤さんは、「病気から人々の生命を守ることは将軍(幕府)の責務という意識を強く持っていたからである」と書いている。
幕府はさらに、病気のために生活困難に陥った者に対し、給付金を支給するようになる。有名な松平定信の寛政の改革では、特に経済的支援に重点が置かれた。いわば江戸時代の「持続化給付金」だ。その事務局として、江戸町会所が設置される。大飢饉や流行病で社会が動揺した時は、町人人口の半分を超える約30万人に給付金を支給して生活をバックアップしたこともある。白米を給付するなどの救済活動も行われた。
1792年には町奉行所が、「困窮者名簿」を作成している。各地区の名主たちに対し、「70歳以上の独り者のうち、手足が不自由で世話をする者がおらず、飢えに苦しんでいる者」「10歳以下の子どものうち、両親がおらず世話するものがいない者」「若年層のうち、貧しく長患いの上、世話する者もおらず飢えに苦しんでいる者」の名前の報告を求めている。該当者には「御救金」が支給されるというわけだ。のちに、「世帯主が長患い」「家族が病気」などの事例も付け加えられた。
本書では実際に「御救金」や「御救米」の給付を受けたのはどういう人だったか、個々の具体例が一覧になり詳しく紹介されている。
大火の時は「御類御救」、飢餓や疫病の流行などの非常時は「臨時御救」もあった。インフルエンザの流行時などでも実施されている。1802年の場合、約29万人にわずか12日間で給付が完了している。現代よりも素早い。平時から財政の節約、備蓄などを心掛け、非常時対応をしていたことについても詳しく記されている。
江戸時代は富士山噴火、浅間山噴火、安政の大地震などの天変地異が相次いだ。地球が寒冷期だったこともあり、冷害や飢饉も繰り返された。さまざまな災厄の中でも、原因不明の疫病は、とくに人々を不安にさせた。
社会活動全般が大きな制約を受けたのは今と同じだ。1803年の麻疹流行では、芝居小屋などの興行、鰻屋、蕎麦屋などの外食、呉服屋、風呂屋、遊郭などの客商売が打撃を受けたことが『麻疹戯言』(式亭三馬作)に出ているそうだ。200年後のコロナ禍とも重なる。
安藤さんは、江戸時代と明治時代の感染症対策を比較し、「江戸時代は幕府が手厚い生活支援をしていた事実が際立つ」「医療による対応には限界があった以上、生活支援により社会の秩序を維持したいという願いが込められていた」と解説している。これに対し、明治政府は何よりも防疫に力を入れる。消毒と隔離が基本になり、江戸時代のように対象者が広範囲に及ぶ生活支援策は見受けられなかったという。1890年ごろから世界的に、病因や病原菌の研究が急進展したこともあるだろう。
こうした幕府の「医療支援」「経済支援」も、幕末の黒船、大地震、疫病、大小の火災による波状襲撃には耐えきれなかったようだ。時代は一気に開国、維新へと突き進んでいく。
BOOKウォッチでは関連書を多数紹介済みだ。『病が語る日本史』 (講談社学術文庫)は江戸時代の疫病についても詳しい。『感染症の近代史』(山川出版社)は江戸後期から明治にかけて、日本で流行した感染症とその対策についてまとめたもの。『流行性感冒――「スペイン風邪」大流行の記録 』(東洋文庫)は、100年前のスペイン風邪に日本がどう対処したかの貴重な記録だ。本書と併せて読めば、江戸・明治の日本人が、限られた知識の中で最善を尽くそうとした姿が実感できる。
『オランダ商館長が見た 江戸の災害』(講談社現代新書)は主として江戸の地震、噴火、大火などの災害について、オランダ商館長の報告を振り返っている。江戸では深川地区に、普段から火災の後にすぐに再建築ができるだけの資材が備蓄されていたという。隅田川の対岸なので、火が及ばない可能性が高かった。『「江戸大地震之図」を読む』(角川選書)は、安政の大地震を主題にした有名な絵巻についての論考だ。『日本美術の底力』(NHK出版新書)には葛飾北斎が「疫病退治」の大作を描いていたことが出ている。『神木探偵――神宿る木の秘密』(駒草出版)には感染症の厄除け怪木も登場する。
『倭館――鎖国時代の日本人町』(文春新書)には将軍吉宗が朝鮮人参の苗そのものを所望し、対馬藩が苦労して入手、献上した話が出てくる。
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