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幕末の江戸で24万人が死んだコレラより恐ろしい感染症とは?

病が語る日本史

 新型コロナウイルスが猛威を振るっているが、本書『病が語る日本史』 (講談社学術文庫)は日本における病の社会史を振り返ったもの。感染症以外の病気についても取り上げられている。通史的、かつ人物にまつわるエピソードなども豊富に織り交ぜながら読みやすくまとめられている。医学部に入学した大学一年生が読むような内容だが、今日のコロナウイルスを考える上でも基本知識として大いに参考になりそうだ。

仏法の威霊で天地安泰を祈る

 BOOKウォッチではすでに日本での感染症史に関し、主に奈良時代については『天変地異はどう語られてきたか――中国・日本・朝鮮・東南アジア 』(東方選書)、幕末維新前後については、『感染症の近代史』(山川出版社)で詳しく紹介した。

 前書では、「『日本』の誕生と疫病の発生」という収録論考を紹介した。7世紀後半に成立した中央集権型の律令国家によって、全国的な交通網がいちだんと整備される。その結果、疫病が拡散しやすい社会が作り上げられ、病原体が持ち込まれると、国内で一気に広まりかねないインフラができていたことが指摘されていた。奈良時代は、まさにそうした時代であり、聖武天皇(701~56)は疫病の蔓延や天候不順による飢餓、大地震などに深く悩んだ。そして人身一新を図る究極の国家的プロジェクトとして東大寺の大仏造営に着手し、仏法の威霊によって天地が安泰となることを祈った。神仏に頼る機運は人々の間にも高まり、「節分」の「鬼は外」の鬼とは、「疫病神」のことで、「感染症は国外に出ていけ」の意味だったという。

 『感染症の近代史』では、開国を進めるにつれ、国内ではさまざまな感染症のリスクも高まり、「攘夷」の一因にもなったこと、すでに日本よりも医療が進んでいた西洋医学の知識がもたらされたことで、結果的に開国が後押しされたこと、などが記されていた。


『病が語る日本史』 (講談社学術文庫)

がんと闘った武田信玄や徳川家康

 このように、「病」が社会や政治に与えた大きな影響を、本書『病が語る日本史』は縄文時代から説き起こし、今日の新型感染症などにまで言及する。以下の構成になっている。

 
 「第一部 病の記録」
骨や遺物が語る病/古代人の病/疫病と天皇/光明皇后と施療/糖尿病と藤原一族/怨霊と物の怪/マラリアの蔓延/寄生虫との長いつきあい
 「第二部 時代を映す病」
ガンと天下統一/江戸時代に多い眼病/万病のもと風邪/不当に差別されたらい・ハンセン病/脚気論争/コレラの恐怖/天然痘と種痘/梅毒の経路は?/最初の職業病/長い歴史をもつ赤痢/かつては「命定め」の麻疹
「第三部 変わる病気像」
明治時代のガン患者/死病として恐れられた結核/ネズミ買い上げ--ペスト流行/事件簿とエピソード/消えた病気/新しく現れた病気/平均寿命と死生観

 著者の酒井シヅさんは1935年生まれ。三重県立大学医学部卒業。東京大学大学院修了。医史学専攻。順天堂大学医学部教授を経て、本書刊行時は順天堂大学客員教授。著書に『松本順自伝・長与専斎自伝』『日本の医療史』『日本疾病史』、訳書に『解体新書』(学術文庫)、『科学と罠』などがある。日本の医学史研究の第一人者だという。

 縄文人と寄生虫、糖尿病に苦しんだ藤原道長、がんと闘った武田信玄や徳川家康......。謎解きをまじえ、病が日本の歴史に及ぼした影響をさぐっている。

鑑真は「医者」でもあった

 本書で知ったことをいくつか紹介しておこう。まず、奈良時代に来日した鑑真和上。中国の高僧として有名だが、もう一つの顔があった。鑑真は「医者」でもあった。来日後は「医学」も教え、「鑑真秘方」という書物も残した。盲目だったが(本書は白内障と推定)、匂いだけで薬の鑑定ができたという。聖武天皇の母の病が悪化した時は治療に携わり、薬が効果を発揮して大僧正の位が与えられた。

 正倉院には光明皇后が献納した60種類もの薬物一覧の目録が「種々薬帳」として残っている。外国産の物が多く、その中には鑑真が持参してきたと思われるものもあるそうだ。

 当時の高僧には僧医が少なくなかったという。要するに漢方の知識があった。仏教は単なる外来の宗教ではなかった。様々な「ご利益」があった。巨大な仏教寺院をつくれる建築学や、合金製の仏像鋳造が可能な化学知識に加え、僧医の知識や技にも、当時の人々は驚嘆したに違いない。幕末明治に西洋文明が流入したときと似ている。

 もう一つは平均寿命。昔は短かったということはよく知られているが、この「昔」とはそう遠い過去のことではなかった。明治中期の男の平均寿命は42歳、女は44歳ほど、大正時代もほとんど変わらない。昭和10年になってようやく男は46.92歳、女は49.63歳と少しアップした。それが戦争で昭和20年には男が23.9歳、女は37.5歳に激減。戦争が終わって急速に回復し、昭和22年に50歳になり、同26年に60歳台、同46年に70歳台に突入した。抗生物質が登場して肺炎や結核などでも助かる症例が増えたことが大きかった。同60年には男74.78歳、女80.48歳となって男女とも世界一の長寿国になっている。その後も伸び続けており、日本が極めて短期間のうちに高齢化社会になったことが実感できる。


『病が語る日本史』 (講談社学術文庫)

痘瘡で寿命が縮まる

 こうした平均寿命を考える場合に、重要な留意点があることも本書で再認識できた。痘瘡(天然痘)である。江戸時代、美濃国のある村の宗門改帳を基にした調査によると、1831年からの10年間平均で、5歳以下の乳幼児の5人に1人は痘瘡で死んでいた。ところが種痘が49年に日本にも導入され、村の医者が実施したところ、51年には100人に3人に激減した。この医者が亡くなると、再び元の死亡率になったという。こうした子どもの死亡率を除くと、江戸時代でも平均寿命は約60歳だったという。周知のように天然痘は1980年にWHOによって根絶宣言が出ている。人類が制圧した感染症として知られる。

 今ではあまり聞かれなくなった脚気についての話も参考になった。白米だけを食べて副食をおろそかにするとなりやすい。死に至る病でもある。明治になると、国民病と言われるほど大流行した。当時の日本橋越後屋(三越)の使用人の食事例が出ている。三食とも、白米のほかは主にタクアンとみそ汁。たんぱく質がない。軍隊や学生寮も似たり寄ったり。海軍では3割が脚気。白米を食べられるだけで満足していたので、脚気になりやすかったという。

 個別のエピソードでは、西南戦争で亡くなった西郷隆盛の遺体には首がなかったが、下半身の病気の跡で本人と確認されたとか、杉田玄白は『解体新書』で有名だが、実際に診ていた年間約1000人の患者のうち、7~8割は梅毒で、江戸時代は蔓延していたとか、いろいろと興味深い話が多い。

日本最初の職業病

 本書では日本最初の職業病についても記されていた。仏典の写経をしていた人たちだ。災厄のたびに経典が奉納されるので、突貫作業となる。正倉院文書には、目や足、腰、腹の不調を理由に休暇を取る写経生の記録が残っているという。

 麻疹(はしか)が怖い病気だということも報告されている。江戸時代は13回流行し、文久2(1862)年には江戸だけで7万人(各寺の報告では24万人)が死んだという。安政5(1858)年のコレラは江戸で約3万人が死んだという。当時の人口は約100万人だから相当な死亡率だ。安政2(1855)年には安政の大地震もあった。幕末は天変地異、感染症の波状襲来も受けていた。

 BOOKウォッチでは関連書を上記外にも多数紹介している。『墓石が語る江戸時代――大名・庶民の墓事情』(吉川弘文館)は、江戸時代の青森弘前藩と北海道松前藩の墓石の数と被供養者数を調べ、飢饉や疫病の年に被葬者が増えていることを突き止めている。『飢餓と戦争の戦国を行く』(吉川弘文館)は、中世の古文書をもとに、飢餓や疫病の記録を洗い出し、8年がかりでデータベース化。さらにそこに戦争をかぶせて、戦乱と飢餓に苦しむ当時の人々の様子を浮き彫りにしている。毎年のように、ほとんど慢性的に災厄に襲われていたことがわかる。11世紀から16世紀までの約500年間に、元号は100数十回も替わっているが、その理由は天変地異(凶作など)や戦争が6割を超える。

 『二十二社――朝廷が定めた格式ある神社22』(幻冬舎新書)は天変地異が起きたとき、国(朝廷)が神前に供物(幣帛)を捧げた22の第一級神社についての解説書だ。

 病気の世界史については、『感染症の世界史』(角川ソフィア文庫)、『世界史を変えた13の病』(原書房)などを紹介している。



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  • 書名 病が語る日本史
  • 監修・編集・著者名酒井シヅ 著
  • 出版社名講談社
  • 出版年月日2008年8月 7日
  • 定価本体1110円+税
  • 判型・ページ数文庫判・336ページ
  • ISBN9784061598867
 

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