ベストセラー街道の上位を突っ走っている本だ。『同調圧力――日本社会はなぜ息苦しいのか』(講談社現代新書)。それだけこのタイトルに引き寄せられる人が多いということだろう。コロナ禍で公的に「自粛」が要請され、社会全般に行動規制がかかったことも影響しているにちがいない。タイムリーな一冊と言える。
本書は劇作家の鴻上尚史さんと、評論家で九州工業大学名誉教授の佐藤直樹さんの対談形式で話が進んでいく。鴻上さんは1958年生まれ。佐藤さんは1951年生まれ。
鴻上さんには、『「空気」と「世間」』 (講談社現代新書)や『「空気」を読んでも従わない――生き苦しさからラクになる』(岩波ジュニア新書)などの関連書がある。佐藤さんは、刑事法学が専門だが、20年ほど前に「日本世間学会」を立ち上げ、こちらも『世間の目――なぜ渡る世間は「鬼ばかり」なのか』(光文社)、『犯罪の世間学――なぜ日本では略奪も暴動もおきないのか』(青弓社)など関連書を何冊か出している。「世間」や「空気」ということについて、前々から関心を持ち、発言していた二人による対談ということになる。
そもそも「同調圧力」とは何なのか。鴻上さんは、「多数派や主流派の集団の『空気』に従えという命令」と定義する。この「同調圧力」が世界でも突出して高い国が日本であり、この「同調圧力」を生む根本には「世間」と呼ばれる日本特有のシステムがあるという。
では「世間」とは何なのか。
鴻上さんによれば、「世間」というのは現在及び将来、自分に関係がある人たちだけで形成される世界のことだ。類語で「社会」というのがあるが、こちらは自分と関係のない人たちで形成される世界だと見る。
佐藤さんは、さらに補足して「世間」というのは、「日本人が集団となったときに発生する力学」だと規定する。単なる人間関係にとどまらず、そこに「同調圧力」などの権力的な関係が生まれるからだ。
日本人と「世間」の歴史はかなり古い。佐藤さんは、万葉集の山上憶良の「世間(よのなか)を憂しとやさしと思へども飛びたちかねつ鳥にしあらねば」という歌を例に挙げる。「やさし」とは、つらいという意味で、結局のところ、「世間」を嘆いている歌だ。
このように日本人は1000年以上も昔から「世間」に縛られており、そのしがらみからは簡単に抜け出せない、というわけだ。
ちなみに「社会」は近年の言葉。1877年ごろに「SOCIETY(ソサイアティ)」を翻訳して「社会」という日本語が初めてできたのだという。すなわち日本においては「社会」は輸入語でタテマエ、「世間」がホンネだという。
このように本書は、私たちが特に違和感なく使っている日常語の歴史をさかのぼりながら、わかりやすく「同調圧力」の核心に迫っていく。
佐藤さんによれば、「世間」のルールは4つあるという。1つは「お返しのルール」。モノをもらったら必ず返さなければならない。2つ目は「身分制のルール」。年上・年下、格上・格下など身分にかかわる。先輩・後輩なども含まれる。3つ目は、みんな一緒でという「人間平等主義」のルール。2つ目と矛盾するようだが、異質な者を排除するルールでもある。4つ目は「呪術性のルール」。葬式を「友引」の日にはしないなどという俗信・迷信のたぐいだ。
「世間」は、かつてはどこの国にもあったのではないかという。例えば聖書の「ルカによる福音書」には「お返しはするな」と書いてある。これは、当時は盛んだったことの裏返しだという。お返しは貧しい人やハンディキャップを抱えた人に施すべきだということになり、キリスト教圏では「お返し」ではなく「寄付」が盛んになる。
欧米では、「社会」が自立した「個人」で成り立っている、と言われる。しかし、この「個人」も、もともとあったものではないのだという。1215年に第四ラテラノ公会議がイタリアで開かれ、一年に一回、ヨーロッパ中の成人男女が告解をすることが義務付けられた。人々が自分の罪を打ち明け、自分の内面と向き合うことが習慣化する中で、徐々に「INDIVIDUAL(インディヴィジュアル=分割できない=これ以上分割できない最小単位=個人)」が形成される。この言葉が1884年ごろ輸入され、日本語で「個人」という言葉になった。「社会」も「個人」も日本での歴史は浅いというわけだ。
読者の中には、欧米式が良くて日本の「世間」はなぜだめなのかと思う人がいるだろう。コロナ禍の「自粛」でも、諸外国のような強制的な「ロックダウン」よりも、阿吽の呼吸の「自粛」の方が好ましいと思う人も少なくないはずだ。
本書の二人が懸念するのは、戦前の歴史との相似性だ。いわばコロナ禍が「非常時」となり、国民の様々な権利が「自粛」という形で抑制される。「自粛に応じない者は非国民」(佐藤さん)というような気分が醸成され、「国難」対応のため「挙国一致」ということで、政府に都合が悪い諸問題に対する批判などはすべてスルーされる。二人は戦時下との相似性を挙げながら、「同調圧力」の危険性を指摘する。鴻上さんは『不死身の特攻兵――軍神はなぜ上官に反抗したか』 (講談社現代新書)というベストセラーも書き、戦前の日本について研究を重ねているので、特に熱がこもる。
ちなみに日本ではネットの匿名率が高いのだという。総務省の調査によると、日本の場合、ツイッターの匿名率は75.1%にのぼる。アメリカ35.7%、イギリス31%、フランス45%、韓国31.5%、シンガポール39.5%などと比べると突出している。
鴻上さんは、実名だとどんなリアクションがあるか分からない、「世間」の息苦しさ、ある種のしんどさを回避した結果だと見る。佐藤さんは、「旅の恥はかき捨て。日本人は『世間の目』のないところでは、傍若無人になります・・・匿名で名前が知られることなく"書き捨て"が可能ということは、それだけ他者への攻撃、誹謗中傷もひどくなる」と、ネット言論が過激になりがちな日本的理由を指摘している。
本書と同じ『同調圧力』というタイトルの新書はすでに昨年、望月衣塑子さん、前川喜平さん、マーティン・ファクラーさんの共著がKADOKAWAから出版されている。こちらも評判になり、アマゾンでは多数のコメントがついている。安倍政権下で霞が関官僚には「忖度」が目立ったが、同書の著者の一人、文部科学次官だった前川さんは政権に睨まれる側になり退職した。その後、『面従腹背』(毎日新聞出版)という政権にとっては腹立たしいであろうタイトルの著書も出している。
朝日新聞のオピニオン面では、9月12日に元総務省自治税務局長・平嶋彰英氏、同30日に元内閣法制局長官・山本庸幸氏が登場、長行のインタビューに応じている。ともに安倍政権の意向とズレがあると見なされ、異動になった大物官僚だ。かなり率直に現在の思いを語っている。霞が関では話題になったのではないだろうか。
菅義偉政権誕生では、自民党内の派閥力学を軸に強烈な「同調圧力」が働いたように見える。さっそく「日本学術会議」などに対しても、圧力が広がっているようだ。新政権で「同調圧力」の総本山、永田町や霞が関はどうなっていくのか、それが国民にどう波及するのか気になるところだ。
BOOKウォッチでは関連で、戦前の「同調圧力」については、『空気の検閲――大日本帝国の表現規制』(光文社新書)、『大本営発表』(幻冬舎新書)、『みんなで戦争――銃後美談と動員のフォークロア』(青弓社)、『抹殺された日本軍恤兵部の正体――この組織は何をし、なぜ忘れ去られたのか? 』(扶桑社新書)など、反抗した人の記録として、『戦前不敬発言大全』(パブリブ刊)、『外交官の一生』(中公文庫)などを紹介済みだ。ネット社会でかえって情報が偏りがちなことについて、『その情報はどこから? 』(ちくまプリマー新書)、日本人の脳から見た「自粛」については『空気を読む脳』(講談社+α新書)、コロナによる「ソフトなロックダウン」については『新型コロナ制圧への道』 (朝日新書)、災害時の自警団による同調圧力と暴走については、『関東大震災』(文春文庫)なども紹介している。
当サイトご覧の皆様!
おすすめの本を教えてください。
本のリクエスト承ります!
広告掲載をお考えの皆様!
BOOKウォッチで
「ホン」「モノ」「コト」の
PRしてみませんか?