「勤労青年」という言葉をほとんど聞かなくなって久しい。単に働いている若者という意味だけではない。読書や学習サークル、青年団活動などを通じて知識や教養を広げ、社会に参加する若者というイメージがあった。本書『「勤労青年」の教養文化史』 (岩波新書)は、その戦後史を振り返り、「勤労青年」がなぜ消えてしまったのかを探る。
著者の福間良明さんは1969年生まれ。ということは、実際には、「勤労青年」が世の中にたくさんいた時代を知らない世代だ。
京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。博士(人間・環境学)。出版社勤務、香川大学准教授を経て、立命館大学産業社会学部教授。専攻は歴史社会学・メディア史。著書に『「反戦」のメディア史―戦後日本における世論と輿論の拮抗』(世界思想社、2006年、内川芳美記念マス・コミュニケーション学会賞受賞)、『「働く青年」と教養の戦後史―「人生雑誌」と読者のゆくえ』(筑摩選書、2017年、サントリー学芸賞受賞)など。
このほか『「戦跡」の戦後史』(岩波現代全書)、『「戦争体験」の戦後史』(中公新書)などもあり、「戦後史」をキーワードに研究を続けている人のようだ。
本書は以下の構成。
プロローグ 「格差と教養」の時代 第1章 敗戦と農村の教養共同体――青年団と読書の希求 1 敗戦と青年団 2 農村教養文化の困難 3 農村社会の閉塞と人口流出 第2章 上京と「知的なもの」への憧憬――集団就職と定時制 1 上京への憧れと幻滅 2 「進学の代替」としての大企業 3 定時制が生み出す「冷却」 第3章 人生雑誌の成立と変容――転覆戦略のメディア 1 大衆教養メディアと転覆戦略 2 教養雑誌の衰退と見えなくなる格差 3 断片化する教養 エピローグ 格差と教養の乖離
福間さんは「勤労青年」を振り返るにあたり、二つの「人生雑誌」に注目している。一つは『葦』。1949(昭和24)年創刊。のちに『あゝ野麦峠』を出版して有名になる山本茂実が中心になっていた。当時は早稲田大学で哲学を学ぶ聴講生だった。もう一つは『人生手帖』。こちらは文理書院の寺島文夫によって立ち上げられた。どちらも高校に進むことができなかった勤労青年を主たる読者と想定していた。知識人による論説、読者の手記、名作の紹介などが並んでいた。
1955年には『葦』が7万部、『人生手帖』が8万部に達していた。同時期の『中央公論』が12万部、『世界』が10万部ぐらいだったから、かなりの部数だ。「週刊朝日」は1955年7月17日号で「『人生雑誌』の秘密――若者の求めているものは何か?」という特集を巻頭9ページで組んでいる。一般メディアからも注目されていた。
『葦』や『人生手帖』の編集に参加し、のちに大和書房を興した大和岩雄氏は、これらの「人生雑誌」の特徴を、「書き手も就職組、読み手も就職組、そして編集者も就職組なのだ」と語っている。「就職組」とは、中卒で就職する人たちのことだ。中3になると「就職組」と「進学組」は別のクラス編成になった。当時は、勉強はできるのに、家庭の事情で就職組になる生徒も少なくなかった。
したがって人生雑誌の読者投稿欄には、「もう少し学びたかった」という思いがにじむ多くの投稿が寄せられた。編集部は選ぶのに苦労したという。筆力のある「常連」の中から、早乙女勝元のように作家になる人も生まれた。
「人生雑誌」の活況はやがて転機を迎える。日本の高度成長とともに、世間一般の経済力が向上し、高校進学率が伸びたことが要因だ。50年代半ばは5割程度だったが、65年には70%、70年には82%に達した。
福間さんはこうしたデータだけでなく、映画「キューポラのある街」を通して当時の状況を象徴的に解説する。62年の作品では、定時制進学を決意した主人公のジュン(吉永小百合)は、親に対して「だけど母ちゃん、昼間(=全日制)にはないような凄く頑張り屋でいかす人がいるわよ」「働くことが別の意味の勉強になると思うの。いろんなこと、社会のことや何だとか」と語っている。働きながら定時制で学び、人間形成を図ろうとする姿が社会的な共感を生み、映画が支持された。
ところが、その3年後に公開された「未成年――続・キューポラのある街」では、定時制高校に通いながら福祉系の大学への進学を夢見ていたジュンは、旧友から「何が面白くてそんなに頑張ってんの」と言われて、言い返せない。この作品ではジュンが、地域や職場を取り巻く格差や矛盾に直面するなか、進学に意味を見出せなくなり、定時制中退を選択するさまが描かれているという。
福間さんは、「大衆教養文化が盛り上がりを見せていた第一作(1962年)の時代と、それへの社会的共感が薄れ始めた第二作(1965年)のずれ」を指摘、「人生雑誌が、この時期に衰退していったのは、不思議ではない」と書いている。
かくして60年代から70年代初めにかけて、主要な人生雑誌は廃刊となり、「格差にあえぎながらも、いかに教養を身につけるか」という規範も消えてしまう。福間さんによれば、今や映画「キューポラのある街」に共感する若者も少なくなってしまったらしい。
勤労青年が消え、人生雑誌も消え、彼らが抱えていた「知」への渇望も消える。これはどういうことなのかと福間さんは自問する。そして、「人文知を下支えする大衆的な基盤の喪失」に思い至る。
「かつて人文知は、インテリ層のみに支えられるのではなく、格差に喘ぐ若者たちによっても下支えされていた。『格差と教養が結びついていた時代』から遠く離れるなかで、現代のわれわれは何を失ったのか。勤労青年の教養文化史は、ノスタルジックな『キューポラの時代』の挿話ではない。むしろ、きわめて現代的な課題を批判的に映し出すものである」 「さらに言えば、実利に直結しない人文社会系の知が人々から乖離し、浮き上がってしまうことは、社会を長期的な視野で捉えなおす営みが薄れることにつながる・・・」
近年、大学では「教養」という名がついた学部が増えているという。しかしながら、社会の「教養」はエリートのみで構築されるものではない。ゆえに、福間さんの指摘は重要だ。ネットにあふれる情報は果たして教養と言えるのか。デジタル時代の「知」は社会の基盤に下支えされているのか――。
本書は過去の「勤労青年」をテーマとしているが、現代の私たちに問いかけるものが多々あると感じた。
BOOKウォッチでは「勤労青年」の関連でいくつか紹介済みだ。
池田大作(1928~)さんの『私の履歴書』(聖教新聞社出版局)は日経新聞連載の書籍化。他の多くの「履歴書」と同じように、幼少時や若いころの苦労話が尽きないが、その中でちょっと異質なのは、「読書体験」が詳細につづられていることだ。高小を出て働きながら夜学に通い、病に苦しみながらも読書だけは続けたという。あちこちの読書会にも参加、「人に負けないほど読んだと思っている」と自負し、10代から20代はじめのころに読んだ本や著者の名前を山のように記している。後年の宗教的な立場とは異なる人たちの名も挙げられている。
『演じることは、生きること――人生の舞台で紡いだ言葉』(PHP研究所)は、仲代達矢(1932~)さんの自伝だ。10歳になる前から働いて家計を助けていたという。明日食べるものはイモの葉っぱしかない、ということもあった。終戦直後の中学時代は、「ポン菓子屋」や製麺工場などで働き、世田谷・千歳烏山の駅前で梅干し売りをしていたこともある。その後、小学校の用務員の仕事にありつき、ようやく定時制高校に通えるようになった。子どものころから本好き、読書家だったので、小説家になれないかと思って原稿用紙200枚ぐらいの習作を出版社に送ったこともあったという。学歴不問の俳優業で頂点に上り詰めた。
『独学でよかった』(三交社)は映画評論の大御所、佐藤忠男(1930~)さんの自伝。最終学歴は工業高校の定時制。映画雑誌や『思想の科学』への投稿が認められ、文筆人生を切り開いていく。
ノンフィクション作家の澤地久枝(1930~)さんも、『昭和とわたし 澤地久枝のこころ旅』 (文春新書)などで自分史を語っている。満州で終戦を迎えたのは14歳の時。それから約一年間の難民生活を経てリュックサック一つで帰国した。新生活は一間のバラックだった。板床にゴザを敷き、壁は焼けトタンに進駐軍放出の段ボールを貼っていた。その後も働きながら定時制高校や早稲田大学の夜間部で学んだ苦労人だ。端正な和服の着こなしからは想像がつかない艱難の青春を送っている。
こうした勤労青年たちのスーパースターは、少し世代は上になるが、政治家では田中角栄元首相(1918~93)、作家では松本清張(1909~92)だった。ともに戦前の勤労青年。二人を熱烈に支持した大衆の多くは戦後の勤労青年だった。
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