最近では「現役最高齢俳優」といわれたりするそうだ。仲代達矢さん85歳。本書『演じることは、生きること――人生の舞台で紡いだ言葉』(PHP研究所)は、長年の役者人生などを振り返った「自伝」だ。根っからの演劇人だということが分かる。
同時に、なんとなくノーブルなイメージが漂う仲代さんが想像できないほどの苦労人だったということも。いろいろな意味で発見がある本だ。
まず、仲代さんの生い立ち。父は茨城県の農家の出身。仲代さんが生まれたころは千葉で京成電鉄のバスの運転手をしていた。しかし結核にかかって仲代さんが8歳になった1941年、亡くなった。42歳だった。
臨終のとき、4人の子どもは父の布団の周りに座らせられた。一人ずつ父の手を取って最期の別れをしたという。父は仲代さんの手を握るとじっと顔を見て、突然母にこう言った。「こいつはちょっと悪くなる。不良にならないように気をつけろ」。
仲代さんは小さいころから恥ずかしがり屋で内気な少年だった。父がなぜ「不良になる」と言ったのか分からない。「だったら、絶対に悪くなるもんか」と心に誓った。
「戦後のどさくさで不良になる子供がいくらでもいた中で、私は強く正しく生きたと堂々と言えるのは父の言葉のお蔭。ある意味で、これは素晴らしい遺言だったわけです」
仲代さんは10歳になる前から働いて家計を助けていたという。明日食べるものはイモの葉っぱしかない、ということもあった。終戦直後の中学時代は、「ポン菓子屋」や製麺工場などで働き、世田谷・千歳烏山の駅前で梅干し売りをしていたこともある。その後、小学校の用務員の仕事にありつき、ようやく定時制高校に通えるようになった。
こうした仲代さんの少年時代で最も強烈な体験は戦争だ。
小学校を卒業した直後の1945(昭和20)年5月25日、東京・青山で「山の手空襲」に遭遇した。大挙して押し寄せるB29が焼夷弾を雨あられと落とす。爆発音、悲鳴、土煙。小さな女の子がはぐれているのを見つけ、とっさにその子の手を引いて逃げ回った。ところが、その手が急に軽くなった。
「私は、片腕一本を握っていました」
焼夷弾が、女の子の体を吹き飛ばしていたのだ。あとわずかにずれていたら、仲代さんがやられていた。気が動転した仲代さんは、握っていた片腕をその場に置いてきた。どうして持ち帰って供養してやらなかったのか・・・。
「あの感触とともに、いまだに非常に悔やんでいて、夜中に夢にまで見ることがあります。こうして今も生かされているのは、あの地獄の時間を共有した子が生かしてくれているのではないかと思っています」
新宿あたりでは、墨のようにまっ黒になった死体が、苦しんだ格好のまま野ざらしになっていた。そしてまもなく無条件降伏。大人たちの多くがコロリと親米に早変わりしたことに驚いた。
定時制高校時代、仲代さんは将来、できれば出版社で働きたいと思っていた。子どものころから本好き、読書家だったからだ。早稲田大学の夜間部を受けたが不合格。それでは、小説家になれないかと思って原稿用紙200枚ぐらいの習作を出版社に送ったが、なしのつぶて。ボクサーにも挑戦したが、向かないと思ってあきらめた。
どこかに学歴不要の仕事はないか。そう思っていた時に、夜間高校の友人に「お前は顔がいいからから役者になれよ」とすすめられた。
仲代さんは映画が大好きで、よく見ていた。なけなしの金をはたいてパンフレットも買っていた。欧米の俳優のプロフィールを見ると、だれもが大学の演劇科や有名な演劇学校を出ている。そんなこともあって、仲代さんも俳優座養成所の門をたたくことにする。 父親は背が高かった。母親は声がデカかった。その両親の資質を受け継いでいたことが幸いした。本人によれば、ちょうどその年は俳優座が、「大柄な新人」を求めていたことも幸いして20倍の競争率にもかかわらず養成所に潜り込めた。さらにそこから50倍といわれた競争を突破して晴れて俳優座に入ることができた。合わせれば「1000人に1人」という狭き門をくぐり抜けたことになる。
その後の役者人生は多かれ少なかれ、よく知られている。本書を読むと、「舞台俳優」としての基礎と誇りが仲代さんを支えてきたことが、随所ににじみ出ている。たとえばセリフは全部覚える。相手役の分も含めてだ。
脚本からセリフ部分を大きな紙に書きだして、家じゅうに貼って頭に叩き込む。本書にはその写真も掲載されている。映画撮影でも台本は持参しない。もう全部覚えているからだ。これはハリウッドでは常識とされるが、日本の俳優では少ないのではないか。
同じ役柄をくり返さないことも心がけてきた。どんな役でも出来る、というのが本来の役者だからだ。役によって、自分の声の高音や低音を使い分ける。本書では戦後の名監督、名優たちとの懐かしい思い出話やエピソードも満載だ。
仲代さんは今年(2019年)11月から無名塾の公演でモリエールの戯曲「タルチュフ」の詐欺師役を演じて、全国を巡回する。来年3月の東京公演では87歳になるが、主役だ。2020年には時代劇「峠 最後のサムライ」も公開される。
いま身に染みるのは、亡くなった妻の宮崎恭子さんの造語「赤秋」という言葉だという。紅葉が散る前に真っ赤に燃える秋。妻がこの言葉を口にしたのは、がんが見つかったころだった。あれから約20年、「自分という葉が朽ち果てるまでの残された時間は真っ赤に燃えて生き切りたい」。それが、仲代さんの今の心境だ。
本欄では俳優の自伝や回想録で、宝田明さんの『銀幕に愛を込めて』(筑摩書房)、『有馬稲子 わが愛と残酷の映画史』(筑摩書房)、吉永小百合さんの『私が愛した映画たち』(集英社)、梶芽衣子さんの『真実』(文藝春秋)などを紹介している。
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