「ゴジラ」をはじめとする1950~60年代の東宝特撮作品に数多く出演した俳優たちは、当時の子どもらの間では怪獣ともども「顔なじみ」となり、のちに「レジェンド」化した存在も少なくない。本書『銀幕に愛を込めて』(筑摩書房)は、特撮レジェンド俳優の一人、宝田明さん(84)の回想記。1954(昭和29年)公開の「ゴジラ」が、記念すべき初主演作で「ぼくはゴジラの同期生」と副題に添えられた。
「ゴジラ」は、難関をくぐり抜けて東宝ニューフェイスに合格した宝田さんの出演3作目。当時、東宝が社運をかけて取り組んだものという。意気込んでスタジオ入りした撮影初日。今後のためにもスタッフにしっかりあいさつしなければ...。「宝田明です。主役をやらせていただきます。よろしくお願いします」と言うと背後から「バカヤロー、お前が主役じゃない。ゴジラが主役だ」。いきなりへこまされ、ビビりながら撮影が始まったという。
やっとめぐってきた「夢に見た主役」だけに、そんなことにはくじけていない。手にした台本には、出演者の欄の、主役を示す右端に自分の名前がいちばん大きく書かれてある。「『七人の侍』に出てる志村喬の名前が、僕より下だった」ことを確認するなどして気を取り直したものだ。
ゴジラは太平洋の海底で長らく眠っていた怪獣。水爆実験で安眠が破られ、東京に上陸し文明社会への復讐のため街の破壊を進めるという物語。ゴジラと相対するシーンのロケでは、別撮りの怪獣の位置が分からず、出演者の目線がバラバラでなかなかOKにならなかったことなど、初の怪獣映画ならではの撮影秘話が数多く盛り込まれている。
宝田さんは、出来上がった作品の試写を見終わったあと号泣したと語る。広島、長崎で原爆を受けて終戦を迎え、日本人にしか分からない戦争の悲惨体験、核の恐怖が作品の背景に据えられた作品。「正直言って、僕は『ゴジラ』がこれほどまでに哲学的な作品だとは思っていなかった」「純粋に心を揺さぶられた」という。
本書では、この「ゴジラ」での初主演など俳優生活についての語りに入る前に、冒頭の第1章で「満州時代」として、幼少期から十代後半までのことを明かしているのだが、その模様は凄絶で心揺さぶられる。戦時中、南満州鉄道(満鉄)に勤務していた父親ら家族と暮らしていたのは中国・ハルピン。同市は終戦と同時に「無政府都市化」し、侵攻してきたソ連兵の「やりたい放題」の恐怖にさらされる。この経験から、映画も音楽もバレエも、ロシアのものは「どんな素晴らしい芸術も心が受け付けてくれない」と述べる。
「ゴジラ」は、1954年11月に公開。初日の動員数では、同年4月公開の「七人の侍」を上回ったという。総動員数は961万人で8位(「七人の侍」は3位)。宝田さんは「単なるキワものではなく、十分にメッセージ性を持った作品に仕上がっていたという証拠でしょう」と胸をはる。
特撮レジェンド俳優の一人に数えられる宝田さんだが、同期の佐原健二さんや、1期上で「ゴジラ」では、ゴジラを倒す科学者を演じた平田昭彦さんらと比べると、レジェンドとしての印象は薄い。佐原さん、平田さんらがテレビの特撮モノに数多く出演しているせいかもしれないが、その一方で、宝田さんが、ゴジラなど怪獣映画以外でも強い印象を残したキャリアのせいもあるだろう。
本書では、黒澤明、成瀬巳喜男、川島雄三、小津安二郎らとの出会いや、ミュージカルへの挑戦、映画に戻り、伊丹十三作品で新境地を開いたことがなどが語られており、昭和~平成の芸能・映画史ついての貴重な証言集にもなっている。
宝田さんの証言を聞き、本書に構成したのむみち(野村美智代)さんは、東京・南池袋の古書店に勤務しながら名画座に通い、フリーペーパー「名画座かんぺ」を自主発行している。名画座通いのなかで宝田さんと交流を持つようになり本書出版が実現したという。
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