今年(2020年)将棋界が熱い。藤井聡太さんが、史上最年少となる17歳11か月で初タイトルとなる棋聖を獲得。さらに王位も獲得して最年少二冠、最年少八段昇段を果たした。本書『死神の棋譜』(新潮社)は、その記念すべき年に登場した前代未聞の将棋ミステリである。
ミステリの舞台として将棋が出てくる作品としては竹本健治さんの『将棋殺人事件』や柚月裕子さんの『盤上の向日葵』などがある。しかし、本書は純文学の芥川賞作家・奥泉光さんの手によるところに趣向が感じられた。
2011年5月、第69期将棋名人戦七番勝負、第四局一日目の夜のことである。名人の羽生善治三冠に森内俊之九段が挑戦するシリーズは、名人が角番に追いつめられていた。対局は青森県弘前市で行われていたため、東京・千駄ヶ谷の将棋会館は閑散としていた。
主人公の「私」は将棋ライター・北沢克弘。古い棋譜を参照するため会館に足を運ぶと、棋士や奨励会員が古い詰将棋の図式に集まっていた。なかなかの難問らしく、簡単には詰まないようだった。その紙は、近くの鳩森神社で元奨励会員の夏尾裕樹が拾ってきたという。紙は弓矢に結びつけられていたというからなにやら時代劇風である。
居合わせた先輩ライターの天谷は、以前にも矢文の図式を見たことがあるという。そして、十河という消えた奨励会員と矢文の話をするのだった。
ここまでの登場人物はみな元奨励会員だったところに共通点がある。三段リーグを勝ち抜いた年間4人だけが、四段へ昇格しプロ棋士になれる。四人はそれぞれ挫折の物語を抱えていた。
消息不明になった十河は、棋道会もしくは魔道会という名で知られる古い将棋団体があった北海道に行ったらしい。そこから「龍神棋」という将棋へと話は展開する。
起源は本将棋よりも古く、「飛車」や「角行」などのほかに「醉象」「鳳凰」「麒麟」などの駒がある、本将棋とは異なるルールの将棋で、江戸時代まではけっこう指されたという。
以前、北海道の姥谷というところへ十河の消息を訪ねたことがあるという天谷の話を聞いた「私」は、やはり消息を絶った夏尾の手掛かりを求めて、妹弟子の玖村麻里奈女流二段とともに姥谷へ向かう。
そこで見たのは「龍神棋」の立体的な世界の中で、駒の一つとなって死神と闘う自分の姿だった......。
夢と現実が一体となって記述される様に、奥泉さんの初期の代表作『葦と百合』を思い出した。山形県の山中のコミューンで行方不明になった友人を探索する話だった。ある種の植物の毒がもたらす幻覚作用が夢の原因だった。本書でも麻薬やアンダーグラウンドな世界とのつながりが示唆される。
なにより、今読んでいるテキストが真正なのか、挿入される新聞記事や手紙などによって、読者は宙吊りの世界に引き込まれる感覚が独特だった。本書ではメールがその役割を果たしている。
将棋は「詰み」によって「王(玉)」が死ぬことで終わる。しかし、本書に出てくるのは「不詰み」の図式だ。「詰み」を求めて、彼らは「異世界」へ行ったというのか? もはや狂気である。
そのすれすれの世界で知力のすべてを賭けて戦う棋士たち。そして棋士をめざす若者たち。「王(玉)」の死を追求する将棋は、リアルな人生の比喩とも言える。そして先人たちは死後も棋譜の世界に生き続ける。
「才能の壁に阻まれながら情熱の火が消し難く、深みに無謀に潜って、戻れなくなる人間もある。死ぬっていうのはそういうことだ」 「つまり、狂う、ということ?」
この小説は将棋という世界そのものを人生に投影した哲学的小説でありミステリである。
ただし、「不詰み」だから、答えはない。読みやすい作品だが、謎は深まるばかりだ。
評者はある棋戦の関係者として何度も対局の場に立ち会ったことがある。棋士たちが「生死」を賭けて戦っていたと思うと、あらためて厳粛な気分になった。
BOOKウォッチでは、奥泉さんの作品として『東京自叙伝』(集英社)、『雪の階』(講談社)を、また将棋関連では『羽生善治×AI』(宝島社)、『盤上の向日葵』(中央公論新社)などを紹介済みだ。
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