江戸時代は「お伊勢参り」が盛んだった。今と違って交通機関がないから、とにかく歩く。本書『歩く江戸の旅人たち』(晃洋書房)は、当時の人々がいったいどのようにして、どれくらい歩いたか、改めて検証している。「スポーツ史から見た『お伊勢参り』」という副題が付いている。多角的な分析から、いろいろな新事実が明らかになっている。
「お伊勢参り」とは全国各地から伊勢神宮にお参りに行くこと。豊作も商売繁盛も伊勢の神の「おかげ」ということで、「おかげ(お陰)参り」とも呼ばれる。江戸時代は60年に一回ほど、大規模なものがあった。最大規模だった1830(文政13)年には、427万人が訪れたそうだ。当時の日本の人口は約3000万人。そこから武士や公家、僧侶などを引いた一般庶民は約2600万人とされているので、当時の庶民の約6人に1人が出かけたことになる。
なるほど、伊勢神宮は、そんなにも庶民から熱烈に信仰されていたのかと感心するが、本書によれば、必ずしも信仰心とイコールではなかったようだ。
江戸時代は周知のように、人々が地元の藩を離れてあちこちに出かけることが容易ではなかった。関所を越えるには「関所手形」と身元を保証する「往来手形」が必要だった。手形には行き先として各地の寺社の名前を書くことが慣例となっていた。御利益で定評のある寺社の名前を書いておけば、手形を発行する幕藩領主側の了解が得やすかった。「信仰心」は旅に出るための隠れ蓑に使われた側面もあったという。行き先の寺社の名前として特に有効だったのが伊勢神宮だった。
著者の谷釜尋徳さんは東洋大学法学部教授。日本体育大学大学院博士後期課程修了。博士(体育科学)。専門はスポーツ史。共著に『バスケットボールが科学で強くなる!』、編著に『オリンピック・パラリンピックを哲学する』などがある。
本書のユニークなのは、「お伊勢参り」を主として「歩く」という運動面からアプローチしていることだ。その前段として、当時の人々の旅日記を多数収集、その分析をもとに論を展開している。
一般に「お伊勢参り」というと、参詣者の居住地から伊勢神宮までの二点間往復と思われがちだ。ところが実態は違った。たとえば東北地方からお伊勢参りに行く場合、次の三つのパターンが多く見られたという。
【近畿周遊型】 在地から奥州街道に入り、途中日光に参詣して江戸へ。そこから主に東海道と伊勢参宮道経由で伊勢参宮を果たした後は、熊野、高野山、奈良、大坂、京都などを周回。中山道を経て善光寺に至り、新潟経由で北上し東北に帰省する。 【四国延長型】 伊勢神宮を経て近畿周遊の後、さらに大坂から船で瀬戸内海を移動し、四国の金毘羅神社参詣後、岡山に移り、山陽道で京都へ。あとは近畿型と同じ。 【富士登山セット型】 全体像としては近畿型もしくは四国型と同じだが、途中で富士山に登り、沼津付近で東海道に合流。
東北と伊勢を最短距離で往復するのではない。人生でめったにない大旅行の機会を最大限に利用し、行きたいと思っていた名所や観光地にも足を延ばす。伊勢神宮のみならず、日光、金毘羅、善光寺、富士山など、信仰は雑多で神仏混交、各種御利益のテンコ盛りだ。伊勢神宮が日本のまん中あたりに位置していたことも好都合だったに違いない。いずれにしろ、江戸時代の人は並外れた健脚だったことを再認識する。
本書は以下の構成。
第1章 旅のルートと歩行距離 第2章 幕末〜明治初期の日本人の歩き方 第3章 街道の必須アイテム「棒」 第4章 旅の履物 第5章 旅の家計簿 第6章 旅人の健脚を支えたもの 第7章 近代化による旅の変化
著者は東北地方に住んでいた庶民の39編の旅日記を入手し、それをもとに歩行距離の算出をしている。一里=3.9キロの換算。東北の庶民はお伊勢参りで一日平均34.1 キロも歩いていたことが分かった。全行程の総歩行距離は平均で2361.3キロ。最も長い距離を歩いた人は3174.8キロに及んだ。雨天の日などは長時間歩けないから、好天の日には一日で70キロも歩いていた人もいた。
お伊勢参りは集団で行くことが多かった。少ないグループは2人、多いケースは20~30人にもなる。集団の人数と、日々の歩行距離はあまり関連がなかったという。大人数でも、秩序を崩さず、とにかく歩き続けたようだ。男女混合で10代から50代ぐらいまでの人が参加していた。
1日30キロとか50キロも歩くというのは、今では競歩の世界だ。しかもそれを2か月以上も毎日続ける。現代人から見れば、お伊勢参りの人たちは紛れもなく「アスリート」ということになる。どのようにして脚を鍛えていたのか。
ところがいろいろ調べても、事前にトレーニングに励んでいたと思われる形跡は見当たらないのだという。どこに行くのでも徒歩で、とにかく歩くしかなかった時代、日常生活そのものがトレーニングになっていたのかもしれないと著者は推測している。
江戸時代に長距離の旅が可能になった理由についても、著者は解説している。為替が利用されるようになって、常に大金を持ち歩く必要がなくなった、運送業が発達し、荷物の一時預けなどもできるようになった、などが記されている。
庶民は旅行資金を「伊勢講」で積み立てていた。講への加入を促す仕事もあったという。今の旅行代理店みたいなものだ。伊勢には「御師」と呼ばれる宗教者がたくさんいて、全国の地域ごとに縄張りを持っていた。彼らの「手代」が担当地区の庶民に対し営業活動をしていた。ツアコンのような役目も果たしていたという。お伊勢参りは大掛かりな観光ビジネスとしても成立していたのだ。
本書はこのように多彩な話が盛り込まれている。広重作品をコラージュした表紙レイアウトが洒落ている。それにしても、江戸の庶民はどうして何か月も休みを取って、長期旅行に出かけることができたのか。現代の私たちから見ていちばん謎の部分だ。
BOOKウォッチでは関連で、江戸時代に旅三昧の生活を送った『菅江真澄が見た日本』(三弥井書店)のほか、松浦武四郎の『アイヌ人物誌』(青土社)なども紹介している。菅江は旅人、歌人、医師、さらには博物学者、民俗学者など多彩な顔を持つ。松浦は伊勢の生まれで、幼少時からお伊勢参りの人たちに触れて逆に諸国への関心を高めたという。蝦夷地(北海道)、北蝦夷地(サハリン)、国後、択捉を探検したことで有名だ。
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