旅に出る。知らない土地に出かける。初めての景色や風習を見て驚き、地元の人と親しくなる。いつのまにか長逗留してしまう。
そんな風流人が江戸時代の旅行家、菅江真澄(1754~1829)だ。世間のしがらみから離れて気ままな旅人生を送った、浮世離れした人のようにも見える。菅江真澄は何を思い、そんな突飛な人生を送ったのか。
本書『菅江真澄が見た日本』(三弥井書店)は没後190年という節目を迎え、研究者33人が、それぞれの得意分野から菅江の業績や人生に迫ったものだ。半生を旅に暮らし、神社・仏閣、年中行事や民間信仰など東北・北海道の庶民の暮らしを克明に記録し続けた真澄についての「事典」としても役立つ一冊だという。
本書に掲載されている石井正己・東京学芸大教授の「世界に誇る菅江真澄の遺産」によると、菅江を最初に再評価したのは柳田國男だった。民俗学の先駆者としての菅江に注目し、没後百年忌を率先して東京で開催、「秋田でも青森でも岩手でも北海道でも同様に百年忌を修することを自分は疑はない...秋田県あたりが率先して以上の各県有志を迎へ聯合の百年忌をやつて貰ひたい」と呼びかけた。
1960年代後半には第二のブームが訪れる。やはり民俗学者の宮本常一らが共編訳『菅江真澄遊覧記 1~5』を現代語訳で刊行、一般の人々が真澄を知る機会をつくった。
そして21世紀に入って、また様々な側面で再評価の機運が高まっているそうだ。
菅江は三河に生まれ、30歳ごろから旅に出て、信濃から東北に入り、さらに北海道に渡って約4年滞在してアイヌとも交流し、再び東北に戻り、晩年は30年近く秋田で暮らした。結局のところ菅江真澄とは何者だったのか。本書で松山修・秋田県立博物館主任学芸主事は「菅江真澄を読む視点」で、3つの角度から紹介する。
その一は「旅人」。しかも単なる旅人ではない。目に見えるものを文章や図絵で詳細に記録した。さらに見えないもの、土地に残る昔話や伝説・伝承も採取した。その二は「うた人」、つまり歌人だ。生涯で5000首以上の歌を作っている。旅先でも歌人たちと交わった。その三は「くすし」。要するに医者だ。弘前に滞在していたころは、藩の採薬御用手伝いをしていたことが分かっている。薬草に関する知識を持っていた。後年は「金花香油」という万能の塗り薬を製薬したことが知られているという。こうした医療知識が旅先での糧となっていたのではないかと推測している。
そういえば南米の奥地調査などで有名な現代の探検家、関野吉晴さんも一橋大学を出た後、横浜市立大学の医学部に入り直し、医師になってあらためて探検を続けている。やはり現地では医学知識が役立っている。
旅人、歌人、医師、さらには博物学者、民俗学者など多彩な顔を持つ菅江だが、菊池勇夫・宮城学院女子大名誉教授は「北方交流史の中の菅江真澄」で北をめざした菅江の旅の根っこにあった思いを綴る。
「真澄が北日本に魅了されたのは、『万葉集』などの世界に通ずる『いにしへぶり』をそこかしこに『発見』することができたからだ。...しかも真澄は『いにしへぶり』を東北地方の人々の『くにぶり』にだけでなく、アイヌの人々の民族文化にも探し当てようとするものであった」
菅江は、東北北部にアイヌ語由来の地名がたくさん残っていること、「マタギ」の言葉の中にも「蝦夷語」があることなども早々と書き残している。今でもそのことは話題になる。本欄でも、『アイヌ語地名と日本列島人が来た道』(河出書房新社)、『つくられたエミシ』(同成社)などを紹介済みだ。
アイヌがらみで言えばこのところ幕末の探検家、松浦武四郎(1818~88)も生誕200年ということで話題だ。NHKは来春、ドラマにして放送するそうだ。合わせて菅江にもスポットが当たるかもしれない。
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