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帰化人、渡来人、渡来系移住民の違いは?

渡来系移住民

 かつては「帰化人」と言われていた。それが、いつの間にか「渡来人」と呼ばれるようになる。本書はさらに『渡来系移住民』(岩波書店)である。それぞれの違いは何か。

 帰化とは、現代では、ある国家に外国人が来て、その国の人として登録されることを指す。では国家がまだ出来上がっていない時代は? その場合は渡来人になる。しかし、渡来には単にこっちに来るというだけの意味合いもある。渡来人が必ずしも住み着くわけはない。実際、母国に帰る人もいたようだ(帰化人にもそういう人がいたらしい)。というわけで、こっちに来て住み着いた人が「渡来系移住民」ということになる。

多岐にわたる交流

 本書はおおむね、以上のような理解のもとに、古代の日本列島と近隣国との関係を、文献史料だけでなく最近の考古学の成果を踏まえながら振り返っている。岩波書店の「シリーズ 古代史をひらく」の中の一冊。編集は吉村武彦・明治大学名誉教授、吉川真司・京都大学教授、川尻秋生・早稲田大学教授の三氏。いずれも日本古代史の専門家だ。

 以下の構成になっている。

 ・"渡来系移住民"を考える・・・吉村武彦
 ・ヤマト王権と半島・大陸との往来・・・吉村武彦
 ・渡来系移住民がもたらした産業技術――畿内地域の鍛冶生産と馬生産・・・千賀久(葛城市歴史博物館館長)
 ・列島各地の渡来系文化・渡来人・・・亀田修一(岡山理科大教授)
 ・律令制国家の政治・文化と渡来系移住民・・・田中史生(早稲田大学教授)
 ・古代の朝鮮半島と日本列島・・・朴天秀(慶北大学校教授)
 ・座談会 〈渡来系移住民〉と古代社会

 海を渡って来た人々が、古代の日本列島の文明化に果たした役割はきわめて大きい。稲作、須恵器や鉄器の製作、馬の飼育などの産業技術、文字の利用や思想・文化・宗教など多岐にわたる歴史的意義を考えるというのが本書の骨子となっている。

「漢字が、列島・大陸・半島を結ぶ」

 中国の史書に「倭」が初めて登場するのは紀元57年。倭の奴国が後漢に朝貢し、金印「漢委奴国王」を授与された。107年には倭国が後漢に生口160人を献じ、239年には倭の女王卑弥呼が魏に遣使して「親魏倭王」印を授与される。240年には魏使が倭国王に接見している。史書に登場するいちばん古い交流記録として、教科書にも出てくる。

 こうした記述からは、何となく後漢と倭、魏と邪馬台国が国として付き合っている感じがするが、よく知られているように、邪馬台国の時代は多数の「小国家(クニ)」に分かれ、日本列島の政治情勢はまだ混とんとしていた。「日本国」はまだ出来上がっていなかった。

 いちばんの疑問は、倭と中国や朝鮮半島の人々は、どうやってコミュニケーションをとっていたのかということだろう。そのあたりは史書には記されていないようだ。本書で吉村さんは、「漢字が、列島・大陸・半島を結ぶ」、すなわち漢字が意思疎通に大いに貢献していたと見ている。

 史料として確認できるものに、5世紀の江田船山古墳(熊本)出土の太刀銘文がある。75文字が刻まれ、「書者は張安」と記されている。姓が「張」、名が「安」という中国系住民だ。この例からもわかるように、倭国の側で文字に関する職務に従事し、文筆に勤しんだのは、渡来系の移住民だと推定する。

 そういえば、帚木蓬生さんの古代ロマン小説『日御子(ひみこ)』(講談社)は、倭国側で代々「使譯(通訳)」を務める安住一族の話だった。「漢委奴国王」の金印受領にも立ち会っている。大昔に中国から船に乗って不老長寿の薬を求める旅に出た先祖が、倭の地に根を下ろし、その子孫が倭のいくつかのクニに散り、通訳を職業にしていたという設定になっていた。一族の中には韓女を妻にし、3種の言語を話す人もいた、倭国には渡来した韓人の村もあった・・・。これは小説だが、江田船山古墳の銘文などを踏まえたうえでの想像なのだろう。

「風土記」に渡来系移住民

 BOOKウォッチで紹介した『「異形」の古墳――朝鮮半島の前方後円墳』(角川選書)によれば、日本列島で最初に水田耕作が始まったのは北部九州。それは朝鮮半島からもたらされたものだという。このことを示す考古学的な証拠は多数あるそうだ。しかも単なる農工具や技術だけでなく、新しいタイプの土器や住居や墓、武器、防御施設、農耕に関する儀礼なども含めた、水田耕作を生産基盤とする農耕文化の総体――学術用語では「文化複合体」――が朝鮮半島から渡来人の手によって伝えられたという。それが日本列島の弥生文化をつくったそうだ。

 もちろん、韓の地からも倭の遺物が多数見つかっている。九州や朝鮮半島では、双方の「雑居」をうかがわせる遺跡が少なくないそうだ。それだけ交流が深く、双方の言語を話す人も少なくなかったに違いない。

 『鏡の古代史』 (角川選書)によれば、日本列島に初めて金属製の鏡が出現したのは紀元前3世紀ごろ、弥生時代中期のことだという。それは朝鮮半島製の青銅の鏡だった。その後、中国で漢が成立し、紀元前108年に朝鮮半島北部に楽浪郡が設けられると、そこを経由して中国製の鏡がもたらされるようになったという。中国や朝鮮では、双方の言語を操る人も増えたに違いない。

 吉村さんによれば、日本側の史料としては、少し時代が下るが、「風土記」から渡来系移住民の動きを知ることができるという。

 「豊前国風土記」には新羅の国の神が「自ら度(わた)り到来(きた)りて」、住み着いた話が出てくるそうだ。自由意思で渡来し、九州の豊前国に住むようになったという伝承だ。「播磨国風土記」には漢人が来住した話もある。播磨国漢部里だ。

 半島から渡来後に、さらに移住した説話もある。呉勝という人物は、韓国(からくに)から渡来して、最初は紀伊国に到着したが、のちに摂津国に移っている。播磨国の地名伝承では、河内の枚方里に住んでいた漢人(あやひと)が、播磨国の枚方里に移ってきたという。「肥前国風土記」には、大和国に住んでいた漢人が兵器製造のため肥前国の漢部郷に移住したことが出てくるそうだ。古代には国境などないから、いつの間にか来て住み着いた渡来人が少なくなかったようだ。漢人、韓人が入り乱れて登場する。

 そういえば、聖徳太子は、高句麗から渡来した僧に仏教を学んだというが、いったい何語で話をしていたのか。聖徳太子は10人の話を聞き分けられたという説話があるが、それは漢人や韓人の言葉に通じていた、ということだったのかもしれない。

 7世紀半ばすぎの百済の滅亡で、大量の百済人が渡来したことはよく知られている。平成の天皇陛下は、「私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、『続日本紀』に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています」と語ったことがある。平安時代初期に京や畿内に住んでいた氏族の名前を記した『新撰姓氏録』(815年)によると、全体の30%が中国や朝鮮をルーツとする人たちだったという。

 話が脱線してしまったが、本書は真っ当な専門書。中学や高校で社会科系の科目を教える教員にとっては、日本や日本文化の成り立ちについての知識を整理するうえで大いに参考になりそうだ。

 BOOKウォッチでは関連で『新版 古代天皇の誕生』(角川ソフィア文庫)、『渡来人と帰化人』(角川選書)、『卑弥呼の時代』(吉川弘文館)なども紹介している。

 

 


  • 書名 渡来系移住民
  • サブタイトル半島・大陸との往来
  • 監修・編集・著者名吉村武彦、吉川真司、川尻秋生 編
  • 出版社名岩波書店
  • 出版年月日2020年3月19日
  • 定価本体2600円+税
  • 判型・ページ数四六判・333ページ
  • ISBN9784000284981

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