本書『公務員という仕事』(ちくまプリマー新書)は公務員を志望する学生や若手公務員向けに書かれた本だが、公務員とは無縁の評者があえてこの本を取り上げたのは、むろん、著者があの村木厚子さんだったからだ。
郵便不正事件と呼ばれる検察の暴走で逮捕され、164日間に及ぶ拘留にも屈しなかった著者が、37年の官僚経験をもとに、公務員の仕事、仕事を通じた生きがいを記した。
地元の高知大学を卒業(てっきり東大か京大卒の才媛と思っていた)、県職員試験と国家公務員試験を受けたが、たまたま後者の発表がさきだったので国家公務員になったという。労働省に入省、まだ男女雇用機会均等法以前であり、大卒女子の就職先は限られていた。地味な統計調査の業務を経て30歳のころ、幼子を連れて島根県松江の労働基準局に課長として出向、県内企業の週休二日の実態を調査し、評価された。統計調査の経験が役に立った。
帰省後、障害者支援、女性政策の分野に進み、係長、課長と昇進、その間、外務省や内閣府への出向も経験した。「子ども・子育て支援法」などの成立に貢献した。厚生労働省の局長時に、部下の係長の虚偽の自白がきっかけで逮捕、起訴された。翌年無罪を勝ち取り、職場復帰、同省次官にまで上り詰めた。優秀な官僚だったことがわかるキャリアだ。
事件については、『私は負けない 「郵便不正事件」はこうして作られた』(中央公論新社)が詳しい。
本書は、事件にはほとんど言及しない。役人としての誇り、醍醐味、若手へのアドバイスが、本人の柔和な笑顔さながら、丁寧に紹介される。こうした書にありがちの自慢話めいた口吻、上から目線は、感じられない。人柄だろう。
役所らしいエピソードがある。「均等法」の改正で、「セクハラ」対策を加えようとしたときのこと。労働省の課長補佐だった著者は、研究会を作ろうと、財務省に予算要求(500万円)をする。課題が生じ、法律にするときには、まず研究会を立ち上げ、背景、原因、対応策などを検討することからスタートする。予算案の内示の前、財務省から電話があった。趣旨は了解した、だが「セクハラ」という言葉はまずい、と。当時、セクハラは週刊誌などに「職場の潤滑油」などと揶揄気味に書かれていたからだった。
著者らは頭を絞って、企画書内のすべての「セクハラ」を、「非伝統的分野への女性労働者の進出に伴うコミュニケーションギャップ」という長ったらしい言葉に置き替えて提出、予算は無事ついた。研究会は立ち上がり、10年もしないうちに法律になった。
本書には経験談のほか、キーワードになる印象的なフレーズが並ぶ。例えば、自分の仕事がライフワークではなく、ライスワーク(食べていくための仕事)にならないためには、三つの要素が大事という。一つは自分の仕事が人の役にたっているか。二つ目は、苦しいだけでなく、楽しく働けるか。三つ目は仕事を通じて自分が成長できるか。これは民間の経営者から聞いた話だが、公務員も同じだと思ったと。「公務員の仕事は、翻訳だ」ともいう。国民のニーズや願いを感知し、翻訳して、制度や法律の形に作り上げていくからだ。そのためには感性と企画力、それに説明力が大事と指摘する。企画力はとりわけクリエーティブでなくても、経験で補えると安心させる。
「公務員は50を100にする仕事」という言い方もある。どういうことか。高齢化社会を迎え、介護など新しい課題が社会に出現すると、まず気づくのは地域のNPOや社会福祉法人であり、当面の対策を講じる。0を1にする仕事だ。次に学者が理論化し(1を10にする)、次に企業がサービスを提供し、10を50にする。だが地域の差や費用の面でサービスを受けられない人も出てくる。役所の出番だ。必要な人すべてが適正負担でサービスを受けられるよう、制度やしくみ(例えば介護保険制度)を作るのが公務員だ。つまり50を100にする仕事、というわけだ。このあたりは上級公務員ならではの発想かもしれない。
職業人生をおおきく分けると、前半は川下り、後半は山登りがいいそうだ。仕事の意味や自己の能力がよく見えない若いころは、川下りのボートを転覆させず漕ぐように、与えられた仕事をしっかりこなす。ある程度経験を積んでからは、どの山を登るか、それにはどのコースをとるかを定め、その道にまい進する、専門を極める。
本書は書店の奥の棚にひっそりと置かれていた。手前の平台には、今をときめく女性都知事の素顔を暴くノンフィクション本が積み上がっていた。それを眺めて、村木さんのような人が都知事選に出たらよかったのに、と思った。
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