直木賞受賞作『江分利満氏の優雅な生活』で知られる作家・山口瞳(1995年没)には、「週刊新潮」に1614回連載された「男性自身」というエッセイがあった。本書『父・山口瞳自身』(小学館)は、長男で作家の山口正介さんが、そのエッセイの解説という形で書いたファミリーヒストリーだ。
2019年8月に、林真理子さんが「週刊文春」で連載しているエッセイが、通算1615回に達して、週刊誌のエッセイ連載の最多になるのでギネス世界記録に認定申請された。それまでは、「男性自身」の1614回が最多だったという。しかし、山口瞳はギネス世界記録に申請していない。正介さんは「長年、サントリーのお世話になったものが、ギネスでもないだろうということか。いかにも律儀な瞳らしい」と書いている。
山口瞳は開高健の推薦で壽屋(現・サントリー)に入社、コピーライターとして活躍。高度成長期のサラリーマンの心情を綴った『江分利満氏の優雅な生活』で1963年にデビューした。その年、「週刊新潮」で「男性自身」の連載が始まり、退社して文筆に専念する。
本書は、「男性自身」と小説などを収めた『山口瞳 電子全集』(小学館)の各巻に掲載された解説を再編集・加筆・修正したものだ。
「男性自身」の連載開始当時、中学1年生だった正介さんは「庄助」として登場する。
「登場人物の名前は仮名なのだが、あくまで私小説的に、実体験を再録したようなものになっている。会話などはテープで録音したように実体験と同じである」
「今はだいぶ惚けかかった老人でしかない」自分が、「十三歳の自分に再会するのは、なんとも気恥ずかしいものだ」としながらも、父が書かなかったことも含めて、誠実に父と一家の実像を描く様には清々しいものがある。
たとえば、進学について。正介さんは中高と桐朋学園だった。大学は開設したばかりの桐朋学園大学短期大学芸術学部演劇科を受験した。面接会場で面接官のひとりだった安部公房氏に「お父さんは反対しなかったの」と聞かれ、「父が僕のやることに反対したことはありません」と答えた。学長の千田是也氏は遠縁だし、「ガチガチの出来レース、有体にいえば、裏口入学のようなものだ」と書いている。
さらに、桐朋の演劇科は俳優座の養成所を大学として発展的に引き継いだもので、俳優座養成所の前身は鎌倉アカデミアの演劇科だ。瞳は鎌倉アカデミアの文学科出身で、瞳の父・正雄は理事長だった。
「だから、僕は大学においても、瞳の後輩ということになるのだ。 息子が俳優のための学校に入るなどと言い出したときに、反対されなかったのも、いわば鎌倉アカデミアの後身であるからだった」
こういった記述を読むと、文化的資産は、ひそかに一族で継承されていたことがわかる。いわゆる伝統芸能以外のジャンルでも、こうしたことはさまざま行われている訳だが、その一端を見た思いがする。
さて、生涯浮気をしたことがないとされた山口瞳には、銀座ホステスとの恋愛を描いた『人殺し』という小説がある。正介さんによると、母は不安神経症のため、父は無断外泊出来なかったという。深夜を超えて帰宅すると、全身が硬直する発作が起こってしまうため、「瞳は何があろうと必ず帰宅しなければならなかった。こんな状況で浮気などできるものだろうか」と父を擁護している。
のちに2010年、余命1年と宣告された母は、「パパの無実を証明する」として、ホステスとの浮気が不可能だったという証明作業に没頭したという。鬼気迫る様相の中、亡くなったそうだ。
さらに、一家のルーツにふれ、こうも書いている。
「のちに『血族』で書かれるように、山口家の家訓には玄人女を泣かせるな、というものがあった。祖母の静子の実家が遊郭であったことを考えれば、ホステスとの情交など、商品に手を出してはいけないという、ある種のタブーになっていた」
その上で、ノンフィクションの体裁で書きはじめられた『血族』について、「なにもすべてを明るみに出したいと思っていたのではないということだ」と、父があえて取材を控えたり、ためらったりしたことがあると推測している。
「迷宮の扉が開き、すべてが白日の下にさらされたら、ドキュメンタリーかノンフィクションになってしまう。瞳の目的は、あくまでも母についての小説を書くことだった」
『血族』は、数年前、NHKの「ファミリーヒストリー」で、山口家に関係のない、ある有名人(本書では実名)の回で朗読された。横須賀の遊郭が接点だった。放送を見た正介さんは、「瞳の取材と、NHKの取材の違いに驚かされた」と書いている。
「男性自身」以外の小説、エッセイなどの「断筆宣言」をしていた父の代筆を一度したことがあることを明かし、その短い一文を収めている。1か所だけ直されたそうだ。
父の死後、正介さんは、『ぼくの父はこうして死んだ――男性自身外伝――』と『親子三人』(いずれも新潮社)を書いた。ある出版社主催のパーティーで、河野多惠子さんに「あんた、もうお父さんのことは、(書かなくても)いいわよ」と言われたという。あとは自分の書きたいものを書きなさいという「優しい忠告だった」と理解したが、まだ父のことを書き続けている。作家の息子というのも、なかなか大変なものだと思った。
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