「"中国発パンデミック"は今に始まったことではない」という本の帯を見て、手に取ったのが本書『感染症の中国史』(中公新書)である。2009年の発行だが、今年4月に4版が出たのは、コロナ禍の影響だろう。
19世紀末、中国は列強に領土を侵略され、劣悪な栄養、衛生状態、海外との交流拡大によって、感染症が猛威をふるった。雲南の地方病だったペストは、香港や満州に拡大し、世界中に広がった。このとき、中国は公衆衛生のモデルを日本に求めた。本書はペスト、コレラ、マラリアなどの感染症被害の実態とその対応に追われた中国の苦悩とその克服を描いたものである。
著者の飯島渉さんは1960年生まれ。横浜国立大学経済学部教授を経て、青山学院大学文学部教授。文学博士(東京大学)。著書に『ペストと近代中国』(研文出版)、『マラリアと帝国』(東京大学出版会)など。医学の研究者ではないが、感染症の観点から近代の中国史をとらえ直しているのがユニークだ。
構成は以下の通り。
第Ⅰ章 ペストの衝撃 1 ペストのグローバル化 雲南・香港から世界へ 2 感染症の政治化 列強の思惑と国際ペスト会議 第Ⅱ章 近代中国と帝国日本モデル 1 公衆衛生の日本モデル 植民地台湾と租借地関東州 2 中華民国と「公衆衛生」 第Ⅲ章 コレラ・マラリア・日本住血吸虫病 1 コレラ 19世紀の感染症 2 台湾のマラリア 開発原病 3 日本住血吸虫病 毛沢東「瘟神を送る」 終章 中国社会と感染症
中世ヨーロッパでもペストは流行したが、飯島さんは中東起源の可能性が高かったという近年の研究にふれている。本書は19世紀後半、広東省、香港、満州、さらに台湾や日本、ハワイ、北米、また東南アジア、インド、アフリカへと広がった腺ペストの例を詳しく紹介している。
1894年に香港で流行したペストは、人類史上はじめてペストであると確認され、ペスト菌が発見された。日本からも北里柴三郎、青山胤通ら医学者が派遣された。青山はペスト患者の致死率は、中国人が70~90%なのに対し、日本人は50%、イギリス人は2%に過ぎなかったとし、治療法や栄養状態の違いを指摘した。熱心に治療にあたったので、現在でも「青山道」に名前が残っているという。
清朝政府が感染症対策に乗り出したのは、1900年の義和団事件によって、天津が8カ国連合軍に占領されたのがきっかけだった。連合軍の感染症対策が占領終了後、中国に引き継がれた。
また、1910年から11年にかけて満州でペストが流行した。雲南起源で香港からグローバル化した腺ペストではなく、シベリアから広がった肺ペストだった。シベリア鉄道と南満州鉄道の沿線から満州全域に広がった。北京にまで流行したため、日本陰謀説も流れたという。日本は北里柴三郎らを満州に派遣、中国と共同で防疫機関をつくった。
日本では不平等条約の撤廃に伴い、検疫権を回収。公衆衛生行政を確立したため、ペストの発生に対して機敏に対応した。日清戦争後、台湾を植民地化すると、台湾総督府民政長官となった後藤新平が衛生行政を確立した。1910年代半ばまでに台湾でペストの発生はほとんどなくなった。
清朝が倒れ、中華民国政府が成立すると、中国は日本モデルを積極的に導入した。衛生局の設置、伝染病予防条例が制定された。しかし、第一次世界大戦中の対華21カ条要求などをきっかけに反日運動が盛り上がり、中国と日本との関係は悪化。医療・衛生事業でも日本の影響力は低下した。中国が列強から検疫権を回収したのは1930年と遅かった。
中国は1920年代まで「東亜(東方)病夫」と呼ばれ、国際的に批判された。それは19世紀の感染症だったコレラをなかなか克服することができなかったからだ。また台湾のマラリア、中国各地に流行した日本住血吸虫病と日本人医学者の取り組みを紹介している。
中国の感染症や寄生虫対策に日本人医学者が大きく関与したことは、戦後日本でも、また中国でも封印されたため、知られていないと飯島さんは指摘している。
想像以上に、日本が中国の公衆衛生にかかわったことを本書は教えてくれる。
BOOKウォッチでは、『わかる公衆衛生学・たのしい公衆衛生学』(弘文堂)、『知っておきたい感染症―― 21世紀型パンデミックに備える』 (ちくま新書)、『すべての医療は「不確実」である』(NHK出版新書)など関連書を多数紹介している。
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