香港で再び反体制的なデモ活動が活発になっているようだ。本書『香港デモ戦記』 (集英社新書)は極めてタイムリーな出版となった。「雨傘運動」以来の香港の怒りと抗議行動を振り返っている。大局の流れと同時に、デモ参加者らへのインタビューなどを通じ、意外な素顔も紹介する。抗議の手法についても詳しい。
著者の小川善照さんは、1969年生まれ。東洋大学大学院博士前期課程修了。社会学修士。1997年から週刊ポスト記者として、事件取材などを担当。『我思うゆえに我あり』で、第一五回小学館ノンフィクション大賞の優秀賞を受賞。社会の病理としての犯罪に興味を持ち続けている一方、2014年の雨傘運動以来、香港へ精力的に足を運び「Forbes」「日刊ゲンダイ」などの連載でその様子を綴っている。
冒頭で、この数年の香港の反体制運動を簡単にまとめている。まず14年9月に雨傘運動が起きた。デモ参加者が雨傘をさして対抗したことからその名がある。行政長官の普通選挙を求めた民主派市民が香港中央部を占拠したが、結果を残せないまま79日間で終息した。
その後の16年の香港の立法機関「立法会」選挙では、雨傘運動に参加した若者らが当選した。しかし、当局によって資格がはく奪される。民主化運動はしばらく沈静化したが、19年になって、刑事犯を中国本土に送還できる逃亡犯条例の改正案が立法会で審議入り。100万人デモなど反対運動が広がる。催涙弾と火炎瓶が飛び交い、大学では大量の学生が逮捕される。しかし、11月24日の区議会選挙では、民主派が地滑り的な大勝利を収めた。
コロナ禍で20年に入ってしばらく大規模なデモはなかったが、5月22日に開幕した中国全国人民代表大会(全人代)で国家安全法を香港に導入する案が審議されることになり、再び香港の民主派が猛反発、というのが現況だ。28日に採決が行われるという報道もある。
14年の雨傘運動と、19年の抗議行動の大きな違いを、著者は目撃している。まず指導者。「雨傘」にはリーダーと目される人物が複数いた。ところが19年はリーダーが見当たらない。参加者の表情も違った。「雨傘」では笑顔があったが、19年の参加者の顔はこわばっていた。ファッションも全く違う。「雨傘」では黄色がイメージカラーになり、思い思いのラフな服装だったが、19年は黒のTシャツ、黒のマスク。全身黒がドレスコードになっている。しかも写真撮影ができない。日本からのジャーナリストだといっても撮影を拒まれる。
最大の違いは「スマホ」の使い方だろう。どちらでも参加者は「スマホ」を持っていたが目的が違った。「雨傘」ではテントの中での時間つぶしに動画を見る、友人とのおしゃべりやSNSなど。ところが19年は、スマホが闘争の重要な「ツール」になった。スマホを通して、戦術が決まる。
明確なリーダーがいないのは、「雨傘」で彼らが逮捕され、長期拘留されているからだ。そのリスクは冒さない、という経験から、19年の運動は匿名の「コーディネーター」が活躍する。彼らは互いにロシア製の「テレグラム」という暗号通信で連絡を取り合っていた。痕跡を残して後で刑事責任を追及されないためだ。しかも確定的な表現は避ける。「○○に警察がいる」とは言わない。「〇〇に警察がいる夢を見たんだが」という情報が掲示板を通じて共有される。「夢で見たんだが、〇日は××で抗議をするのではないか」などなど。自分たちのことを「夢遊病者」だと自嘲する。「次に何をするのか」という決定は、そうした掲示板の議論を通じて決まる。だから参加者が常にスマホを真剣に見つめている。
19年の運動は、14年の雨傘の教訓を学び、戦術や対策がより高度化、アップデートされたものだったということが本書の説明からよくわかる。
本書は、以下の構成。
序章 水になれ 香港人たちの新しいデモの形 第一章 二〇一四年『雨傘運動』の高揚と終息 第二章 未来のために戦う香港 二〇一九年デモ 第三章 デモの主力・学生たちの戦い 第四章 市民たちの総力戦 第五章 オタクたちの戦い 第六章 敵たちの実相 終章 周庭(アグネス・チョウ)の二〇一九年香港デモ
お気に入りのアイドルソングで気持ちを高める「勇武派」のオタク青年、ノースリーブの腕にサランラップを巻いて催涙ガスから「お肌を守る」少女たち......。ブルース・リーの「水になれ」を合い言葉にしながら続く21世紀最大の市民運動の現場を活写する、というのが本書の概要だ。
ブルース・リーはカンフー映画の英雄だと思っていたら、ワシントンの大学では哲学を学び、多くの哲学的な言葉を残しているのだという。「水になれ」というのも彼の残した意味深長な言葉だ。水は自在に姿を変えながら流れ続け、時には激流になる。小さな運動も、集まると大きくなる。それが19年の抗議行動ではキーワードになったそうだ。だから「水革命」とも呼ばれているという。
本書を読みながら、以前から気になっていることを付け加えておきたいと思う。それは香港の経済力や大学のレベルのことだ。
IMFの2017年のデータによると、USドル換算で国民一人当たりGDPは香港が46109ドル、日本が38440ドル、韓国が29891ドル、台湾が24577ドル、中国が8643ドル。香港は日本より上位にあり、中国とは比較にならない。
英国タイムズ・ハイアー・エデュケーションの「アジア大学ランキング(2019)」によると、アジア1位は中国の清華大学、2位はシンガポール国立大学、3位は香港科技大学、4位は香港大学、5位は北京大学。7位に香港中文大学、8位が東京大学。ベスト10に日本の大学は1校だが、香港は3校が入っている。香港は東京の半分ほどの面積で人口700万人余りというから、高学歴度は相当のものだ。英語もしゃべれるから世界のどこの国でも生きていくことができる。香港の学生たちが自分の意見をはっきり述べて行動に表す一因かもしれない。
これらのデータから見えてくるのは、多くの日本人が意識していない香港の「先進国ぶり」だ。「香港人」には相当の自尊心があると思われる。ところが、「遅れている」中国に、無理やり政治的に組み込まれ、トップレベルの学力でも引けを取らない中国に、何かと「中国スタンダード」を押し付けられる。我慢できないであろうことが容易に推察できる。
一方で、貿易を見ると、輸入は中国(47.8%)、輸出も中国(54.1%)がダントツで一位。中国抜きではもはや香港は成り立たない状態になっている。中国は世界二位のGDP大国でもある。この辺りのジレンマが、香港には付きまとうのではないか。
日本の外務省のHPで香港を見ると、1997年7月1日に香港が英国から中国に返還されて以来、いわゆる「一国二制度」が実施されている。「中華人民共和国香港特別行政区基本法」は、香港特別行政区に「高度な自治」を認め(第2条)、社会主義制度と政策を実行せず、従来の資本主義制度と生活方式を維持し、50年間変えない(第5条)などと定めている。これがどこまで守られるのか。中国と香港のせめぎあいには、「自由」「民主」という言葉以上に双方の腹の底にあるプライドがかかっている気がする。
BOOKウォッチでは香港関連で、『消えゆくアジアの水上居住文化』(鹿島出版会)、『13・67』(文藝春秋)、『真実の航跡』(集英社)、『週末香港大人手帖』(講談社)、『三竈島事件―― 日中戦争下の虐殺と沖縄移民』(現代書館)なども紹介している。
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