タイトルを見てだれしも首をかしげるに違いない。『交響曲第6番「炭素物語」』(化学同人)。この本は何を書いているのか、音楽の本なのか、それとも科学の本のなのか。
答えは、副題にあった。「地球と生命の進化を導く元素」。すなわち「炭素」について、物語風に考察した本なのだ。温暖化問題や気候変動などの話題を盛り込みながら、炭素とわたしたちの、切っても切れない関係にも気づかせてくれる。それにしてもなぜ「交響曲」なのか。
著者のロバート・M・ヘイゼンさんは米国カーネギー研究所地球物理学研究所深部炭素観測の責任者。ジョージ・メイソン大学のクラレンス・ロビンソン冠教授。1948年ニューヨーク州生まれ。マサチューセッツ工科大学で地質学を学び、ハーバード大学で地球科学の博士号を取得。ケンブリッジ大学でNATOポスドクフェローを務めた。鉱物の「ヘイゼナイト」は彼の名にちなむ。邦訳されている著書に『地球進化 46 億年の物語』(講談社ブルーバックス、2014年)がある。
著者はなぜこんな風変わりなタイトルにしたのだろうか。原著も「Symphony in C」だ。「Ⅽ」は炭素の元素記号。邦題ではそこに「第6番」というのが加わっている。「交響曲第6番」と言えば、ベートーベンの「田園」が有名だ。なぜ「6番」が出てくるのか。
考えているうちに思い当たった。「炭素」の原子番号が「6番」なのだ。邦題では、そのことを示唆したのだろう。
さらに言えば「田園」とは自然のことであり、「炭素」と密接な関係がある。音階で言うと「C」は、「ド」にあたる。それらが絡み合い、タイトルに凝縮されているに違いない。「交響曲」は多数のパートが複合されて成り立っている。それは炭素の持つマルチな働きにも通じる。いくつもの意味を重ねながら、万物の基本である「炭素=C」について考えてみようというのが本書だと推測できる。「交響曲」にはさらに著者固有の意味があることは読んでいるうちにわかってくる。
文科系の人間なら、「炭素」と聞いただけに頭が痛くなる。だが、著者は様々なエピソードなどを交えながら上手に読者を引っ張り込んでいく。書き出しはこんな感じだ。
「身のまわりを眺めてみよう。炭素はどこにでもある。本書の紙とインクにも、製本用の糊にも炭素がひそむ。靴の革と底、洋服の繊維と染料、ジッパーやマジックテープも主体は炭素だ」 「どの食品も、飲み物のビールや炭酸水、発砲酒も必ず炭素を含む。床のカーペット、壁の塗料、天井のボードも同じ。燃やして使う天然ガスやガソリン、ロウも・・・鉛筆の芯や指輪のダイヤは炭素そのもの。アスピリンやニコチン、コデイン、カフェインなどの分子も炭素が骨格をなす。レジ袋も自転車用ヘルメットも・・・どんなプラスチック製品も炭素からできている」
産着から棺桶まで、つまり私たちは炭素原子に包まれて生まれ、生き、生涯を終える。さらには皮膚や毛髪、血液、骨、筋肉、腱は炭素原子からできている。要するに炭素の惑星に住むわたしたちは、炭素からできた生命体というわけだ。
100種類を超える元素の中でも炭素は特別なものだという。138億年前のビッグバンの数十分後に誕生した宇宙のコアであり、惑星や生命を、さらには人類の誕生も演出し、蒸気機関車からプラスチックまで技術の進歩を支えてきた。気候変動にも関係している。
謎も多い。地球に炭素がどれくらいあるのかも、地球深部の炭素がどのような化学形も、よくわかっていない。そこで、かつてない形の総合研究に取り組んだ結果が本書だという。
本書は、「プロローグ/黙想」から始まり、以下の構成。
■第1楽章「土」――深部の炭素 ■第2楽章「空気」――旅する炭素 ■第3楽章「火」――暮らしの炭素 ■第4楽章「水」――生命の炭素 [フィナーレ]「土」「空気」「火」「水」の協奏
壮大な研究だから金も時間も人手もかかる。著者はニューヨークの文化財団の夕食会で行ったプレゼンに成功し、スローン財団から10年継続で100億円相当の研究助成を取り付けることに成功する。2008年5月、数十か国から100人を超す専門家が最初のワークショップに集まった。たちまち「深部炭素観測」が動き出した。以来10年、「いちばん野心的な目標さえクリアーできた」という。つまりプロジェクトは大成功だった。
著者は研究生活の一方で、夕刻からはときどき楽団員になる。ワシントン室内交響楽団とナショナルギャラリーオーケストラでは常任の、ナショナル交響楽団とワシントン国立オペラでは非常勤のトランぺッター。ベートーベンとブラームス、シューマン、メンデルスゾーンの交響曲なら、たいてい何度も吹いているそうだ。
そんなこともあって本書も交響曲仕立ての体裁になっている。それがタイトルにもつながっているのだ。第1楽章から第4楽章に分けられ、それぞれの章がさらに「序奏」「短い独唱」「間奏」などと小分けされている。章の分類はアリストテレスの四元素「土」「空気」「火」「水」によっている。
評者には本書の科学的な内容を正確に伝える力量がないので、海外での書評や推薦文の一部をお伝えするにとどめたい。
「炭素原子の誕生から『温暖化問題』までを扱うワクワク・ドキドキ感いっぱいの本。先端科学の知見もふんだんに盛った本書を読めば、世界を見る目も変わるのではないか」(米国の隔週刊誌「サイエンス・ニュース」) 「ビッグバンから生命の誕生、石炭、炭水化物、超高強度のハイテク繊維まで、炭素と人間の深い関係に気づかせる有意義な旅。本書をガイドに、よいご旅行を!」(アンドリュー・ノール・ハーバード大学自然史学科教授)
邦訳は渡辺正・東京大学名誉教授。実にこなれていて読みやすい。「地球と生命を進化させた共通の元素を一つだけ選ぶなら、中学校理科でも学ぶ炭素しかありません」「本書は、地質史や生命史のファンにも、授業や講義に味つけしたい教員各位にも、自然界および生命研究の現状を除いてみたい中高生や大学生にも役立つだろうと感じました」。このように訳者あとがきで改めて推薦している。
関連でBOOKウォッチでは『生命の歴史は繰り返すのか?』(化学同人)、『太平洋 その深層で起こっていること』(講談社ブルーバックス)、『分子は旅をする』(エヌ・ティー・エス刊)、『世界史を変えた新素材』(新潮社)、『追跡!辺境微生物』(築地書館)なども紹介している。
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