南極の昭和基地と言えば、タロとジロの奇跡の物語を思い出すだろう。ところが本当はもう一頭生きていたというのだ。本書『その犬の名を誰も知らない』(小学館集英社プロダクション)は、その驚愕の事実を解明したノンフィクションである。
著者の嘉悦洋さんは、長く西日本新聞の記者を務めた。2018年、まったくの偶然から南極観測隊第一次越冬隊の犬係だった北村泰一さんが福岡市で健在であることを知り、タロとジロについてまだ語ったことがないエピソードがあれば、とインタビューに訪れた。
犬係と書いたが、1957年から1958年にかけて実施された第一次南極観測越冬では、当時京都大学大学院生だった北村さんの本務はオーロラ観測であり、ほかに犬ゾリをひくカラフト犬の世話係をした。その後、九州大学理学部教授などを務め、現在は同大学名誉教授という学究の人である。
インタビューが進むと、北村さんは36年前に同僚から明かされた事実を話した。
「誰もが、昭和基地で生きていた犬はタロとジロだけだと思っています。ところが本当は違う。もう一頭、生きていたんです」
南極に行った同僚から、1982年にその事実を北村さんは初めて知らされた。ところが、それは1968年にわかったことだというのだ。犬を置き去りにした責任を感じていた北村さんは、その後の南極観測隊の報告書などの資料を集め、どの犬だったかを特定しようとしたが、難航した。チベットでの調査で高山病となり、後遺症が残り、記憶もあいまいになっていたからだ。
そこに嘉悦さんが現れた。嘉悦さんは新聞社を退職し、情報収集に専念。二人三脚での再調査が始まった。話すことで記憶が鮮明になった北村さんの話は準備段階の1955年に跳び、「第一章 南極へ」「第二章 越冬」「第三章 絶望」と回想が進む。
越冬隊長の西堀栄三郎は、南極観測の成否は犬にあると考え、北海道・稚内でカラフト犬の訓練を始めた。基地から離れたところで雪上車が故障するリスクがあったからだ。
1910年と1912年、陸軍軍人の白瀬矗による二度の南極遠征にもカラフト犬が同行した。この時、21頭が南極に置き去りにされ、多くの日本人に衝撃を与えた。これが物語の伏線となる。
犬は序列を重んじるとされるが、カラフト犬は特に厳しい。訓練所では、あえて喧嘩をさせ序列を決めた。チームでソリをひく訓練も行った。全体をリードする先導犬の重要性も理解される。
いよいよ南極へ。越冬隊の犬ゾリでの探査の模様が生き生きと描かれている。19頭の犬の個性も伝わってくる。そして、1958年2月、第二次南極観測越冬隊との引継ぎが行われるときに悲劇が起こる。悪天候のため第二次越冬計画は放棄、南極大陸に15頭のカラフト犬を置き去りにしたまま、第一次越冬隊は帰国したのだ。
日本人初の南極越冬成功という評価よりも国民のバッシングはすさまじかった。
「よくもまあ、おめおめと帰って来れたもんだ」 「日本人の恥」
西堀隊長の自宅は、警察が警護する騒ぎになった。
北村さんは1959年1月、第三次越冬隊員としてふたたび南極に向かった。宇宙線の調査という研究テーマよりも氷雪の下で死んでいるカラフト犬たちのことで頭がいっぱいだった。
「氷雪の下にいる犬たちを一日も早く掘り出してあげたい。手厚く葬ってあげたい」
そして、タロとジロとの奇跡の対面が起こる。その場面も感動的に描かれているが、遺体で発見された犬の写真が収められるとともに、行方不明になった犬についても手厚く描写され、一頭一頭の外見や個性がわかってくると、胸が熱くなる。
そして、「第四章 検証」「第五章 解明」。そもそもタロとジロは、何を食料に命を繋いだのか? 行方不明になった犬たちの中で、第三の犬の候補は? なぜ、第三の犬の存在は伏せられたままだったのか? 二人は資料を読み解き、北村さんの記憶を引き出し、真相に近づいていく。この推理が実にスリリングだ。
最後に重大なヒントになったのは、1956年、稚内のカラフト犬訓練所での北村さんの記憶だ。
北村さんは「あとがきにかえて」で、自分の思いをこう記している。
「南極で活躍した犬はタロとジロだけではない。すべての犬たちが頑張り、死んでいった。そのことを多くの人に知ってもらいたいということだ」 「南極を駆け抜けた一八頭のカラフト犬すべてに平等に光を当てたい。それが私の気持ちである」
その願いは本書によって十分にかなえられただろう。どこに行かずとも、福岡の住宅型老人ホームで紡ぎ出された感動のノンフィクションだ。
ところで、なぜカラフト犬は北海道にいたのか? BOOKウォッチで紹介した、川越宗一さんの直木賞受賞作『熱源』にその経緯が書かれている。明治のカラフトアイヌの数奇な運命が、昭和の南極観測隊につながっていた。
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