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皇居内になぜ「渤海の巨石碑」があるのか

文化財返還問題を考える

 大英博物館やルーブル美術館が、エジプトなどから流出した文化財の返還を求められているという話をよく聞く。日本人の多くは対岸の火事を見るような感じだ。日本には直接関係ないと思っている。ところが、本書『文化財返還問題を考える――負の遺産を清算するために』(岩波ブックレット)を読むと、実は日本も同じ問題を抱えていると痛感する。

ソウルの博物館にあるのは複製

 著者の五十嵐彰さんは1961年生まれ。慶応大学大学院修士課程修了。現在は公益財団法人東京都スポーツ文化事業団東京都埋蔵文化財センター主任調査研究員。慶応大の非常勤講師や韓国・朝鮮文化財返還問題連絡会議世話人もしている。

 本書は2010年、五十嵐さんがソウルの国立中央博物館を訪れた時の話から始まる。古代史の展示室を回りながら「渤海室」に入ると、部屋の中央に巨大な石造物があった。キャプションには「石製龍頭 渤海 8-9Ⅽ 上京城 複製(レプリカ)日本東京大所蔵」と書かれている。ちょうど韓国の小学生の子どもたちのグループが見学しているところだった。

 渤海は7世紀から10世紀にかけて、中国東北部から朝鮮半島北部、さらにはロシア沿海州まで広がるエリアにあった国だ。現在の関係国の国境とは一致しない。しかしながらソウルの国立博物館が「出土品」を展示しているということは、朝鮮半島に暮らす人々が「渤海」を自分たちの歴史の一部と認識しているということだと五十嵐さんは受け止めた。その渤海の出土品の現物がなぜ日本の東京大学にあるのだろうか。どうしてソウルの博物館にはレプリカしか展示されていないのか。

「敬天寺十層石塔」も一時は日本へ

 これは、中学生でも推測がつくに違いない。日本が韓国を併合していたころに日本に持ってきたのではないかと。

 実際その通り。もう少し詳しく言うと、石碑は1933~34年、日本の東亜考古学会が古代の渤海国の都城址である「上京龍泉府」、別名「東京城」を調査した時に出土したものだ。東亜考古学会は東大と京大の考古学者を主体として結成されていた調査組織。「東京城」の場所は当時、日本がつくった「満州国」の一部になっていた。東亜考古学会の会則では「調査資料は調査地の国に置くものとする」とされていたが、「石製龍頭」は日本に運ばれ、東大総合研究博物館にあるのだという。

 この「東京城」の場所は、現在の地理だと中国・黒竜江省。ますますこれはちょっと厄介だなと感じる。

 ソウル国立中央博物館の本館一階には有名な「敬天寺十層石塔」がある。高さ13.5メートル。同館を代表する優品だ。ところがこの石塔は1907年、韓国皇太子の立太子礼に特使として派遣された田中光顕宮内大臣によって、不法に日本に搬出されたことがあるのだという。さすがに国際問題になり、18年に返還、62年に韓国の国宝に指定されている。現地で見たことがあるが、たいそう立派なものだ。あれを日韓併合前に、勝手に持ち去ったぐらいだから、その後は相当のことがあっただろうと察しがつく。

「御府」の前庭に巨大石碑

 本書は「戦後処理としてはじまった日本の文化財返還」「国際法と先住民族」「負の遺産から正の遺産へ」の3章に分かれる。海外の話なども交えながら、これまでの経緯、問題点などを手際よく解説する。

 評者が気になったのは、皇居内にある「鴻臚井(こうろせい)の碑」のことだ。高さ1.8メートル、重さ90トンの巨石碑。これは713年に唐が渤海王を冊封した事績が記されている貴重な古代石碑だ。かつては中国の遼寧省の旅順にあった。

 なんでこんなものが皇居内にあるかというと、日露戦争で旅順を租借地とした日本軍が1908年、この石碑を搬出して天皇に献上したことによる。

 BOOKウォッチでは以前、『天皇の戦争宝庫――知られざる皇居の靖国「御府」』(ちくま新書)を紹介した。皇居内には戦前、明治以降の対外戦争の戦利品を収蔵した「御府」という施設があった。そこに収められていた「戦利品」は戦後処分されたが、現在も建物は残っているらしい。この「御府」の前庭に「鴻臚井の碑」は置かれているのだという。皇居内の立ち入り禁止エリアだ。したがって「鴻臚井の碑」は非公開。国民の目から遠ざけられている。現状がどうなっているのか研究者も分からないらしい。

 この碑は、その考古学的な価値と、置かれている場所の特異性によって、前々から一部の考古学関係者の間で「いつか火種になるのでは」と小声で心配されていた。評者はかなり前に耳にしたことがある。産経新聞によると、2015年に中国の民間団体が宮内庁に返還を求める訴えを中国で起こし、賠償280億円を要求したそうだ。その後どうなったのだろうか。本書で依然としてアンタッチャブルな状態であることが再確認できた。

陶磁器の国宝は唐物だらけ

 実際のところ、日本で国宝や重文になっている文化財の中には中国や朝鮮でつくられたものが少なくない。2006年に東京国立博物館で開かれた「書の至宝 日本と中国」展には、日中両国に残る書の逸品が大量に展示されていたが、王羲之関係のトップレベルの名品が日本にいくつもあることを知り驚いた。国宝になっているものもあった。

 あるいは曜変天目茶碗。南宋の時代に中国でつくられた茶碗で現存するものは世界でわずか3点(または4点)。そのすべてが日本にあり、3点が国宝、1点が重要文化財に指定されている。新たな1点が見つかったと数年前に話題になったが、どうも違ったようだ。

 そもそも国宝の茶碗は日本に8点。そのうち、中国で焼かれたものが5碗、高麗茶碗が1碗、日本で焼かれたものは2碗にすぎない。壺類も含めた陶磁器の国宝は14点だが、うち9点は中国・朝鮮産だ。

 これらはおおむねかなり昔に日本にもたらされたようだ。しかし様々な文化財の中には上述のように、近年の植民地支配に関わるものもある。戦後、韓国からは約3200点の返還を要求され、戻したのが約1400点という。中国関係のものは、大陸ルーツにも関わらず、日中国交正常化前に台湾(中華民国)に返されたものもあるらしい。本書では北朝鮮の領域から、戦前に持ち去られた文化財についても言及している。

 日中、日韓関係では様々な軋轢が続く。最近では日本の仏像が韓国人に盗まれて大騒ぎになったこともあった。ふだんあまり声高には語られないが、日本のあちこちに、今も中国や朝鮮半島からの「流出文化財」があることだけは認識しておいたほうがよさそうだ。

  • 書名 文化財返還問題を考える
  • サブタイトル負の遺産を清算するために
  • 監修・編集・著者名五十嵐彰 著
  • 出版社名岩波書店
  • 出版年月日2019年11月 6日
  • 定価本体520円+税
  • 判型・ページ数A5 判・ 60ページ
  • ISBN9784002710112
 

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