「慶應SFC、伝説の講座から生まれた一冊」というキャッチコピーがついている。本書『2050年のメディア』(文藝春秋)の特徴を一言で言えば、大手新聞とネット関係者の必読本、ということに尽きる。とりわけ「読売」「日経」「朝日」「ヤフー」の社員にとっては読まずにはいられない。すでにアマゾンのジャンル別ランキング「メディアと社会」ではトップになっている。
著者の下山進さんは文藝春秋に長く勤め、2019年春に退社した。1993年にコロンビア大学ジャーナリズムスクール国際報道上級課程修了。その経験をもとにした『アメリカ・ジャーナリズム』 (95年、丸善ライブラリー)のほか、ロイター、時事、ブルームバーグの各通信社と日本経済新聞社の綱引きを描いた『勝負の分かれ目――メディアの生き残りに賭けた男たちの物語』(99年、講談社、のち角川文庫)などの著書がある。
2018年4月から、慶應大学SFCで特別招聘教授を務めている。本書はそこでの「特別講義」がもとになっている。「伝説の」という惹句が付いていることからもわかるように、大人気授業だったのだろう。上智大学新聞学科の非常勤講師も務めている。
本書は、タイトルの上では近未来のメディアを扱っているかのように見えるが、実際にはこの20年ほどのメディア興亡史が軸になっている。新聞だけではなく、そこに絡むネットメディア、特にヤフーをも主人公として登場させている。つまり、新聞とヤフーの両者の息詰まる絡み合いを描いている。もう少し言えば、全国紙という巨艦が、ヤフーという大波に洗われ(最初は小波と思っていた!)、沈没寸前になっている姿を時系列を追う形で活写している。
極めて異例だが、全25章の各章末には必ず「参考文献・証言者・取材協力者」の名前が掲載されている。それだけ丁寧な取材がなされているという証だ。各社の関係者が読めば、知り合いが登場するはずだ。大学での講義をもとにしているとはいえ、研究者による学究的な報告ではない。ストーリー性に富むハイレベルのノンフィクションとしてドラマチックに再構成されている。
序章には「読売はこのままでは持たんぞ」という刺激的な見出しが付いている。この悲鳴ともとれるような言葉を放ったのはだれあろう、新聞界のドン、渡邉恒雄・読売新聞主筆だ。2018年正月恒例の賀詞交歓会。毎年、新年の挨拶では「読売は盤石」「絶対安全、安泰です」と自信満々だったが、この年は急変した。社のために正しいと思うことがあれば「社長をぶっ殺すぐらいの気概で」やれと発破をかけたというのだ。
2001年に1028万部を誇った部数は、11年に1000万部を割り、その後は急速に減少、873万部まで後退していた。その理由ははっきりしている。新聞離れ。ネットの隆盛で新聞がジリ貧になっていた。
第一章「最初の異変」の主役は、東京・北区の読売の有力販売店主だ。新聞販売店には毎日、残紙といって、配り余った新聞が残る。それを近所の小学校に寄付できないかと考え、副校長とやりとりする。2008年ごろの話だ。学校側は「助かる」という。その理由を聞いて販売店主は衝撃を受けた。「生徒が10人いたら新聞をとっている家は3人ぐらい」なのだという。もはや「新聞の切り抜きを使った授業」ができなくなっていたから寄付してもらえると助かる、というのだ。
そのころまだ読売は1000万部を維持していた。販売店主は、購読層が高齢化しつつあることは感じていたが、小学生の親の世代で、そこまで落ち込んでいることは気づいていなかった。この子どもたちが成人した時、新聞はどうなってしまうのか・・・と販売店主が不安を覚えるところから、本書が始まる。
このように本書では、新聞界で最大部数を誇るとはいえ、余りメディアに取り上げられることが多くない読売の話が繰り返し出てくる。「序章」「第一章」のほか、「第四章 読売を落とせ」、「第六章 戦う法務部」、「第一四章 内山斉退場」、「第一五章 『清武の乱』異聞」、「第二三章 未来を子どもにかける」、「終章 2050年のメディア」なども読売関連だ。読売の山口寿一社長自身も取材に応じている。
同じような見方で拾うと、「第七章 日経は出さない」「第一三章 日経電子版創刊」「第二四章 未来をデジタルにかける」などは日経の話だ。「第八章 真珠のネックレスのような」「第九章 朝日、日経、読売が連合する」、「第一〇章 『あらたにす』敗れたり」などで朝日も出てくる。
本書の最大の特徴は「ヤフー」だ。「第三章 青年は荒野をめざす」、「第四章 読売を落とせ」、「第一〇章 『あらたにす』敗れたり」、「第一九章 スマホファースト」、「第二〇章 ヤフー脱藩」、「第二一章 ノアドット誕生」、「第二五章 未来をデータにかける」など、再三登場する。全体として全国紙vs.ヤフーの話なので当然だろう。関連して共同通信も姿を見せる。
取材は一筋縄ではいかなかったようだ。自宅に直接手紙を送り、訪ねるという週刊誌時代に習得した取材スタイルを、五〇代の今になってまたやることになるとは思いもよりませんでした、と書いている。証言者の家を探し歩いているうちに日が暮れて真っ暗になるなど、空振りに終わることも多かった。靴を一足履きつぶしたという。
文春を退社したのは、在社のままではこの仕事はできないと思ったからだという。古巣の文春も、1993年に370億円あった売上が2017年には217億円にまで落ち込み、本書に登場する人物が味わったような、悲しいできごとや、苦悩もありましたと振り返っている。
このところ「週刊文春」は大臣二人の首を捕るなど快進撃を続けているが、文春OBのこうした述懐を知ると、マスコミ関係者はわが身に迫る感慨があるに違いない。
脇にそれるが、本書の中のエピソードでは、読売の山口社長が社会部で司法担当をしていたころの話が興味深かった。地検特捜部が元気で難事件が相次ぎ、各社のエース級が競い合った。朝日が村山治、NHKが小俣一平、共同通信が魚住昭。一癖も二癖もある記者がしのぎを削っていたというのだ。いずれもマスコミ界ではよく知られた記者たちだ。貴重な著作を残している。BOOKウォッチでは小俣氏の『消えた21億円を追え――ロッキード事件 40年目のスクープ』(朝日新聞出版)を紹介ずみだ。
司法記者会の話には後日談があって、山口氏が読売の法務部長のころのことだ。朝日の村山氏は、元東京地検特捜部長の熊崎勝彦氏から電話をもらった。「山口が困っているんだ。助けてやってくれ」。何の話かというと、山口氏は法務部での最初の大きな仕事として、東京ドームから暴力団を追放することを担当していた。読売だけではうまくいかない。朝日も援軍してくれというのだ。山口氏と会った村山氏は、意気に感じて夕刊の一面記事でバックアップしたという。ふだんは対立するように見える読売と朝日だが、社会正義のためには裏で協力することもあるという意外な「仁義」の世界が垣間見える。
逆に言えば、「デジタル」とは、こうした湿気を含む人間関係とは切り離された、ビジネス最優先のドライな世界だ。「情」は捨象される。そこで生き残ることが確実とされている日経は今回、「取材お断り」。最もクールな対応が徹底していたという。
自社の紙面で企業の経営について報道し、その透明性を説いている姿とは落差がある。かつては取材に応じていたという日経。紙からデジタルに比重を移す中で、会社の体質も様変わりしたということなのかもしれない。
BOOKウォッチでは関連で『新聞社崩壊』(新潮新書)、『報道事変 ――なぜこの国では自由に質問できなくなったか』 (朝日新書)、『暴走するネット広告――1兆8000億円市場の落とし穴』(NHK出版新書)、『「ニュース」は生き残るか――メディアビジネスの未来を探る』(一藝社)、『デジタル・ポピュリズム』(集英社新書)なども紹介している。
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