自衛隊の戦闘機パイロットから39歳で宇宙航空研究開発機構(JAXA)宇宙飛行士となり、2015年にソユーズ宇宙船で宇宙に飛び立ち、国際宇宙ステーション(ISS)に約142日間滞在し帰還した油井亀美也さん。その初の著書『星宙(ほしぞら)の飛行士』(実務教育出版)が刊行された。
星空に憧れて宇宙飛行士をめざした油井さんらしく、ISSでは宇宙や地球の写真を数万枚撮影した。本書には類書にはないほど、豊富なカラー写真が収められている。
第1章「宇宙から見た宇宙の絶景」には、息をのむほどに美しい星空と地球の光景が多数とらえられている。さまざまな星座や流れ星、オーロラのほか、台風や雷、噴火や森林火災など自然の脅威の写真も収められている。
その中でのベストショットとして挙げているのが、日本の補給機「こうのとり」5号機とナイル川が一緒に写っている1枚。人類が宇宙に出て巨大な建造物であるISSからナイル川やピラミッドを眺めているのに、人類の文明の力を感じるという。
第2章では、撮影の舞台裏を紹介している。宇宙飛行士がISSに暮らし始めたのは、2000年11月。サッカー場ほどの大きさがあり、空気が満たされた10の部屋がある。全部部屋を合わせるとジャンボジェット機1.5倍ほどの容積があり、6人で暮らすにはかなり広いそうだ。
日本はISSで一番大きく、静かで機能美にあふれる部屋「きぼう」を持っている。その窓は天頂方向の視野が広く、星の撮影に適しているという。もう一つ、「キューポラ」と呼ばれる展望室は地球に面しているので人気スポットだ。
一番難しかったのは、地球の夜景の撮影だそうだ。秒速8キロ、東京-大阪間を約1分で飛ぶ猛スピードでISSは移動している。普通に撮れば、ボケてしまう。最初はほとんど使い物にならなかった。NASAのベテラン飛行士の指導を受け、流し撮りのテクニックを磨いた。東京、ロンドン、ベルリンなどの光まばゆい光景が美しい。その一方で、海岸線の光が一部途切れている東北地方の夜景を見ると、震災の影響が感じられる。
ISSでの仕事や生活もたっぷり紹介されているが、興味深かったのは、自衛隊の戦闘機パイロットから宇宙飛行士に転身した油井さんの半生を書いた第4章「『空(そら)』から『宙(そら)』へ」だ。
長野県川上村のレタス農家に生まれた油井さんは、星空が大好きで、小学生の頃の夢は天文学者か宇宙飛行士だった。進学校に進み、大学で天文学や物理を学びたいと思った。ところが受験直前になり、防衛大学校に進学することになった。レタスの景気が悪く、収入に不安があったからだ。
夢をあきらめた挫折感は大きく、寮で泣くこともあったが、先輩の一言で勉強に励むようになった。物理や数学は常に一番前に座り、マンツーマンのように授業を受けたという。
ところが、戦闘機パイロットをめざし航空自衛隊を希望したが、再び挫折した。重力加速度(G)への耐性がなく、5Gで気絶したのだ。その後、アメリカでの研修中、映画『ライトスタッフ』を見て、運命への出会いだと思った。
テストパイロットから宇宙飛行士になったノンフィクションをもとにした映画。自分もその道を進みたいと、アメリカでの耐G訓練を重ねた。帰国後、8Gの壁を乗り越え、テストパイロットとなった。
そして2008年、JAXAが宇宙飛行士を募集していることを知った。迷う背中を押したのは妻の一言だった。
「子どもの頃から宇宙飛行士になりたかったんでしょう? チャレンジしないのはおかしいんじゃないの?」
見事合格して宇宙飛行士の訓練を受けた油井さんの次の試練はロシア語だった。ロシアで訓練を受けることになり、40歳を過ぎてからロシア語の学習が始まったのだ。4倍勉強して成績が飛躍的に伸びたという。自衛隊時代は「敵」だと思い、大嫌いだったロシアだが、ロシアの生活と文化にふれ、ロシアの魅力のとりこになったそうだ。
次は月や火星をめざすという夢に向かい、油井さんは今もアメリカで次のミッションのために訓練を受けている。
「中年の星」と呼ばれた異色の宇宙飛行士には、人一倍努力した異色の半生があった。美しい宇宙や地球の写真を眺めながら、大きな勇気をもらえる本だ。
BOOKウォッチでは、関連で『宇宙はどこまでわかっているのか』(幻冬舎新書)、『天の川が消える日』(日本評論社)などを紹介している。
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