普通は、タイトルから何となく本の内容が想像できるものだ。ところが、本書『東大闘争から五〇年――歴史の証言』(花伝社)については完全に違った。これまでに多数出版されている「東大全共闘本」の同類だろうと思ったが、実は真逆だった。
書名に「東大闘争」とあり、表紙には安田講堂前に多数の学生が座り込んで集会している写真。旗が林立している。このあたりを見れば誰でも「全共闘本」だと思うに違いない。しかし本書では、「全共闘の側から、とんでもない間違い、歪曲がたれ流されている状況に、何とか反撃したい」という思いが濃厚なのだ。
出版元の解説によると、本書は、「東大の全学部で無期限ストライキ...東大闘争とは何だったのか?それぞれの人生に計り知れない影響を与えた1968年の学生運動。半世紀をへて、いま明かされる証言の数々。学生たちはその後をどう生きたか」ということについて記したものだ。
この説明では漠然としているが、本書の主体となっているのは、1969年1月10日、大学当局との間で「一〇項目確認書を締結させ、それにもとづく研究・教育活動の再開と改革をめざした者たち」だという。どんな人たちなのか。
まず東大闘争をごく簡単にレビューしておこう。68年1月に医学部が研修医問題などから無期限ストライキに突入。関係した学生が誤認処分された疑いが強まり、学生らは反発するが、大学当局は処分を撤回しない。怒った一部学生が安田講堂を占拠。機動隊が導入され、7月には全共闘が結成される。大学はバリケードで覆われ機能マヒ。年末にかけて事態収拾の動きも強まり、69年1月10日、「東大民主化行動委員会」らによる「統一代表団」と大学当局の間で上記の確認書が交わされた。この動きに反発する全共闘系はなお安田講堂に立てこもったが、同月18、19日、機動隊によって排除される、という流れだ。
つまり東大闘争には「全共闘系」と「反・非全共闘系」がいた。後者は、大学当局と一定の交渉をして大学の正常化と再出発を図った。それが「一〇項目確認書」に関わった人たちということになる。東大闘争というと、全共闘にスポットが当たり、当時の学生は「全共闘世代」などとまで呼ばれるが、本書の行間からは、「違うぞ」「俺たちも闘った」「最終的な多数派はこっちだ」「成果も得た」という怒りの声が聞こえてくる。
とはいえ当時の東大生や、学生運動に特別の関心を持つ読者以外は、「一〇項目確認書」や学内の対立の構図はぴんと来ないだろう。そこでもう少し、本書の内容を紹介することにしよう。
本書の編集は「東大闘争・確認書五〇年編集委員会」。ここでも「確認書」がキーワードになっている。その中心メンバーの1人が柴田章さん。1967年12月から68年6月、東大教養学部自治会委員長だった。いわゆる「民青系」「代々木系」といわれる自治会だ。闘争が本格的に始まってからは、「東大闘争勝利全学連行動委員会代表(教養学部)」。確認書締結時、教養学部代表団。73年に農学部を卒業して出版社に勤務してきた。
柴田さんが世間の人に、東大闘争とは何だったのかと聞くと、学生が長い間ストライキをやっていた、安田講堂で攻防戦があった、69年の東大入試が中止になった、ぐらいしか記憶されていない。柴田さんは、東大闘争は「この三点セットで尽くされるものではない」と、以下のように解説する。
闘争は長く複雑な経過をたどったが、最終的に69年1月10日に秩父宮ラグビー場で大衆団交が実現し、医学部処分撤回、機動隊導入自己批判について、基本的にすべてを認める確認書が結ばれた。学生の自治活動の規制を撤廃し、ストライキには学生処分をもって対処するという矢内原三原則を廃棄、大学の自治=教授会の自治という旧来の考え方を改めて、全構成員による新しい大学自治のあり方が示された。産学共同、軍学共同についても、学問・研究の自由を歪めてはならないという観点から、これを否定することが盛り込まれた。こうした成果を勝ち取ったのが「一〇項目確認書」であり、これをふまえて、各学部で学生が主体的に無期限ストを解除し、大学の再建へと向かった、と総括している。 「一〇項目確認書」は「東大闘争の結節点として、ぜひとも歴史年表に書き記されるべきこと」だと強調している。
本書は2019年1月10日、都内で開かれた「<討論集会>東大闘争・確認書五〇年――社会と大学のあり方を問う――」という集会がきっかけとなっている。そこで証言集発行が提起され、34人の寄稿を得て本書刊行にこぎつけた。「確認書に結実した東大闘争の成果は、大学解体論にまで行き着いてしまった全共闘路線と対決する中でたどりついたもの」だという。
寄稿者はそれぞれが実名。当時の活動状況やその後の人生の話も盛り込まれている。学生時代に民青や共産党員だったと書いている人もいる。卒業後の経歴は弁護士、高校教員、医師、生協職員、大学教員などさまざま。医学界の要職を務めた人もいる。「あの時代がなければ今の自分はありえない」のは当然だろう。全共闘が「敗者」とすれば、本書は「勝者」の側からの証言ということになるが、社会に出てからは、当時の仲間のその後が、平たんではなかったことをうかがわせる寄稿もある。
本書ではあのころ「真剣に議論した」ことを懐かしく振り返っている人もいる。悠長な話し合いではない。お互いが面と向かって相手に人差し指を突き付け、「君はどう考えているんだ」と面罵する激しい主張のやりとりがあったという。全共闘系、民青系、一般学生らが入り乱れた当時の東大キャンパスは、一種の「白熱教室」だったということが推測できる。
「東大闘争時、各学部、クラス、学科、サークルで多数の人が、毎日毎朝、ビラや立て看を書き、配り、そうしてそれらは同輩に読まれて無数の議論の種子となっていった・・・世に公開されている東大闘争資料集の類は、その一部をカバーするにすぎない」。本書刊行を機に、本編集委員会は資料収集の作業にも着手することにしているという。
公開されている東大闘争資料では、全共闘系のものが知られている。すでに山本義隆議長が収集した「東大闘争資料集」全23巻が国会図書館におさめられている。それらを「一部」に過ぎないとみなし、対抗しようというわけだから、東大闘争の延長戦はしぶとく続いているようだ。
BOOKウォッチでは、当時の東大全共闘系学生の体験記として、『東大闘争 50年目のメモランダム--安田講堂、裁判、そして丸山眞男まで』(ウェイツ刊)、『歴史としての東大闘争――ぼくたちが闘ったわけ』(ちくま新書)、『安田講堂 1968‐1969』 (中公新書)、『東大駒場全共闘 エリートたちの回転木馬』(白順社)、学術的な著作として『東大闘争の語り』(新曜社)などを紹介。全共闘の導火線となった羽田闘争を巡って、東大新聞の論調が分かれた話は『かつて10・8羽田闘争があった――山崎博昭追悼50周年記念〔記録資料篇〕』(合同フォレスト)で紹介している。
当サイトご覧の皆様!
おすすめの本を教えてください。
本のリクエスト承ります!
広告掲載をお考えの皆様!
BOOKウォッチで
「ホン」「モノ」「コト」の
PRしてみませんか?