堂島という地名に懐かしさを覚えて本書『バー堂島』(ハルキ文庫)を手に取った。関東の方にはなじみが薄いかもしれないが、大阪を代表する北の歓楽街、北新地や曾根崎新地の南にあるのが堂島だ。大企業のオフィスが入るビルに混じり、しゃれた店が点在するエリアでもある。堂島川をはさんで中之島と向かい合う。
著者の吉村喜彦さんは、大阪生まれ。京都大学教育学部卒。サントリー宣伝部勤務を経て作家になった。著書は『ビア・ボーイ』『ウイスキーボーイ』(ともにPHP文芸文庫)のほかに「バー・リバーサイド」シリーズ(ともにハルキ文庫)がある。
同シリーズは、東京・二子玉川を舞台にしていたので、その大阪版の姉妹篇とも言える。サントリー本社も堂島にあるので、著者にとっては里帰りした気分かもしれない。
「春~うらら酒」「夏~プカプカ酒」「秋~舟唄酒」「冬~シャッフル酒」と四季に応じた4つの短篇からなる。
堂島川に面したカウンター5席の「バー堂島」。還暦近いマスター楠木正樹は元ブルースミュージシャン。おいしいお酒とつまみ、心優しい音楽が売りの店だ。
短篇ごとに、いわくありげな客が登場する趣向だ。「春~うらら酒」には釜ヶ崎に住むフリーの僧侶・南方が出てくる。大学時代、マスターとブルース・バンドを組んでいた。釜ヶ崎の行き倒れになった無縁仏をとむらうという南方。その美声に「今蓮如」というファンもいる。なぜ、南方が釜ヶ崎にこだわるのか、その半生が語られる。
そんなところに北新地のクラブホステスと同伴で成金趣味ぎらぎらの高僧が入ってくる。やがて南方との過去の接点が明らかになる。人は変わる。「カスミソウみたいな人になれたらええなあ......」とつぶやく南方に出されたカクテルは......。ライチのリキュール「ディタ」と冷たいミルクをまぜたものだった。
「ディタって、相手を受け入れながら、自分の味もふんわり出すらしいよ」
祖父母が沖縄出身の女性スポーツインストラクター、在日のお好み焼き経営者、淀川の河口で漁をする若いシジミ漁師......。大阪らしい客と客との出会いから物語が生まれる。
ある登場人物に「大阪論」を語らせている。
「大阪って、なんだか、ぼくの生まれ育ったリバプールとよく似てるなぁと思うんです」 「かなしい歴史があったり、いろんなものが混ざったり組み合わさったりして、新しいものが生まれていく街ですよね」
酒にかんするうんちくと大阪の多様な人々の生き方が、ちょうどうまい具合にブレンドされた作品だ。気持ちよく酔える。
そう言えば、評者が以前いた職場にサントリーから転職してきた後輩がいた。噂どおり毎夜、さまざまな飲食店を回り、飲むのが仕事だったそうだ。ほとんど酒を飲めない男なのに、どうやって営業したのか不思議だった。あるいは飲めないから辞めたのか。
かと思うと、会社をやめて突然、堂島にバーを開いた先輩がいた。神戸勤務時代に通った老舗のバーに惚れ込み、そのスタイルを受け継ぎたいと開店した。一度行ったが、夕日を映す川が眺められる光景は本書に似ていた。本書のモデルのような店はあの界隈にあるかもしれない。
客と客とが出会うような関係が希薄になった現代。飲み屋を舞台にした小説を書くのは難しいだろう。あるいは書いても嘘くさくなる。大阪らしいリアリティが感じられる本書には、吉村さんがサントリーに勤務した頃の経験が生きているように思う。
BOOKウォッチでは、大阪を舞台にした小説として、川上未映子さんの『夏物語』(文藝春秋)、大阪論として、『仲野教授の そろそろ大阪の話をしよう』(ちいさいミシマ社)、『大阪-都市の記憶を掘り起こす』(ちくま新書)を紹介している。
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