「何のための闘いだったのか、思想的意味を問い直す」というキャッチが付いている。本書『歴史としての東大闘争――ぼくたちが闘ったわけ』(ちくま新書)。安田講堂事件50年を機に改めて東大闘争の意義を突き詰めたものだ。
著者の富田武さんは1945年生まれ。成蹊大学名誉教授。ソ連政治史、日ソ関係史の専門家だ。
肩書だけ見ると、学生時代に東大闘争に関わり、その後アカデミズムに転身したエリートが、半世紀を経て過去を振り返った本、と受け止められるだろう。しかし実際に読むと、そうした見方は一面的で、かなり違うことを知らされる。富田さんは、大学卒業後はエリート街道から外れて社会運動に関わり続け、40代半ばになってようやく大学に職を得た人なのだ。したがって、本書の特徴は1970~80年代の「新しい社会運動」の前史として、全共闘運動を総括するところにある。
「新しい社会運動」とは何か。著者は、「政党から独立して、従来は軽視された課題やマイノリティ問題に取り組む、脱物質文明的な性格の運動」とひとくくりにする。富田さんはその実践者でもあり、同時に歴史学者としての視点から改めて東大闘争を論じたのが本書、というわけだ。
自身が取り組んでいた「新しい運動」がいくつか紹介されている。弟が精神を病んでいたこともあり、まず、精神障害者関係の運動。そこから身体障害者の運動とも接点ができた。優生保護法改悪反対運動やいくつかの労働争議の応援にも行った。
本書は「東大闘争の経過と思想的意味」「反戦運動と生き方の模索」「ノンセクト・ラディカリズム論」「その後の運動とソ連崩壊」「大学闘争はいかに研究されたか」という各章に分かれている。全体にきわめて生真面目だ。それはおそらく著者の性格にもよるものだろう。カトリック系の中高一貫学校、栄光学園の出身。すでに中学2年で洗礼を受けている。
社会問題に関心を持つようになったのは65年、東大に入ってからだ。ベトナム戦争の影響が大きかったと回想している。
東大駒場ではすぐに自治委員になり、さらにフロント(社会主義学生戦線)が主導権を握る学友会の議長になる。本郷の法学部に進んだ67年秋には、羽田闘争で京大生の山崎博昭君が亡くなる事件があった。本郷で行われた追悼・抗議集会で司会をしたのが富田さんだ。そして68年、東大闘争が本格的に始まる。法学部4年生のときだ。
高名な国際政治学者、坂本義和のゼミに属していた。坂本氏は加藤一郎総長代行の特別補佐をしていたから、富田さんも難しい立場だったことだろう。69年1月9日には、民青との学内抗争で逮捕され、浅草警察の留置場に拘留された。したがって18、19日の安田講堂攻防戦には参加していない。「守備隊に入ることを覚悟していただけに、複雑な気持ちだった」という。
本書には「反戦キリスト者からマルクス主義へ」という項目もあり、自身の内面の葛藤などが当時の日記なども引用しながらつづられている。法学部の卒業試験はただ一人、ビラと立て看板でボイコットを宣言したそうだ。その時の一文も本書には収録されている。当時の法学部生の中では相当の有名人だったと推測できる。
その後に進んだ大学院では休学期間も含めて10年も在籍し、塾教師や予備校教師で長く食いつないだ。その間、8年間は研究を中断し、様々な社会運動を続けたようだ。最終的に大学教授というポストも得たが、こう書いている。
「就職以来、たえず心がけてきた点は、教育であれ大学行政であれ、筋の通らないことには唯一人でも『異議申立て』することであり、それは退職まで貫いてきたと断言できる」
短歌を詠んでいた母親が、折々に残した歌も収録されている。精神を病んだ弟は通算30年ほど精神病院に入院。事故が原因で四肢が不自由になって今は寝たきりだ。言葉による意思疎通もほとんど困難になっても、ただ一人の肉親として何とかコミュニケ―ションを取ろうとしているという。富田さんの「全共闘以後」は平坦ではなかったことがうかがえる。
本欄では関連で『東大闘争 50年目のメモランダム 安田講堂、裁判、そして丸山眞男まで』(ウェイツ)、『東大駒場全共闘 エリートたちの回転木馬』(白順社)、『私の1968年』(閏月社)、『かつて10・8羽田闘争があった』(合同フォレスト)なども紹介している。
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