アート小説の第一人者として知られる原田マハさん。本書『常設展示室』(新潮社)は、ニューヨーク、デン・ハーグ(オランダ)、フィレンツェ、パリ、上野の美術館で、現在の自身の心情に最もふさわしい一枚と出会い、輝きを増す6人の女性の物語。
本書は「群青 The Color of Life」「デルフトの眺望 A View of Delft」「マドンナ Madonna」「薔薇色の人生 La Vie en Rose」「豪奢 Luxe」「道 La Strada」の6篇が収録されている。それぞれ一枚ずつ、物語を象徴する絵画が登場する。
・ピカソ「盲人の食事」(ニューヨーク、メトロポリタン美術館)
・フェルメール「デルフトの眺望」(デン・ハーグ、マウリッツハイス)
・ラファエロ「大公の聖母」(フィレンツェ、パラティーナ美術館)
・ゴッホ「ばら」(上野、美術館)
・マティス「豪奢」(パリ、ポンピドーセンター・近代美術館)
・東山魁夷「道」(上野、国立近代美術館)
6人の主人公全員ではないが、大半が美術館またはギャラリー勤務、芸大教授など、アート関係の職に就いている。狭き門をくぐり抜け、ようやく手にした仕事に誇りを持ち、世界を舞台に活躍している彼女たちは、華麗で眩しい。
一方で、病気、親の死、離れて暮らす親の心配、離婚、不毛な愛人関係など、充実した人生と一言ではくくれない事情も抱えている。
読者は、主人公とともに世界各地の美術館の常設展示室に足を運び、物語を象徴する一枚と対峙することになる。読みながら、自身が体験したことのある美術館の静けさと心地よいあの緊張感を思い出した。主人公の隣に立ち、同じ一枚を鑑賞しているような感覚になる。
個人的には後半の3篇が特に面白かったが、ここでは「道 La Strada」を紹介したい。
イタリアの大学で現代美術の教鞭を取っていた翠は、五年前に日本芸術大学の教授となり、「新表現芸術大賞」の審査員も務めている。翠は華麗な経歴と美貌の持ち主であり、メディア、学会、美術展の主催者、美術賞の事務局も彼女に注目している。
「新芸術大賞」の審査会で「心ゆくまで対話をしてみたいと思わせる一点」が現れず、翠はいらだちを募らせていた。そこに登場した一点を見た瞬間、翠は「不思議な感覚」にとらわれた。
「いちめんのみどり色、右から左へと細やかなグラデーションが織りなすみどり色は、草原か、水田だろうか。」
「畑の真ん中を突っ切る細く白い道。」
「誰もいない。けれど、真新しい道の存在は、人間のひそやかな人生がどこかに息づいていることを示唆しているようだ。」
その作品に心を完全に持っていかれた翠は、自身が生きてきた四十年ほどの記憶を遡っていく。四、五歳のころに生き別れた兄。二十歳のころ、表参道の道端で出会った絵を売る若者。その若者と国立近代美術館で見た東山魁夷の「道」――。ついに、翠の記憶の回路がすべて繋がる瞬間が訪れる。翠のなかに眠っていた家族の思い出が、浮かび上がってくる。
登場する絵画を実際に調べて、色彩や構図や描き方を確認すると、物語をいっそう深く楽しめる。東山魁夷の「道」に描かれた真っ直ぐにのびる一本の道は、もう取り戻せない過去と、翠の目の前にひらかれた進むべき道を示しているように感じた。
評者は特別展目当てで時々美術館に足を運ぶ程度だが、生活のなかにアートをもっと取り入れたくなった。ふらっと立ち寄った美術館で、本書の主人公のように、生き方の軸になる作品との出会いが待っているかもしれない。
原田マハさんは、1962年東京都生まれ。馬里邑美術館、伊藤忠商事を経て、森ビル森美術館設立準備室在籍時、ニューヨーク近代美術館に派遣され同館に勤務。2005年『カフーを待ちわびて』でデビュー。12年『楽園のカンヴァス』で山本周五郎賞受賞。本欄では『美しき愚かものたちのタブロー』(文藝春秋)、『ゴッホのあしあと』(幻冬舎新書)なども紹介している。
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