読むべき本、見逃していない?

5000枚に及ぶ手記を基にしたノンフィクション

オウム死刑囚 魂の遍歴

 井上嘉浩元死刑囚。地下鉄サリン事件(1995年3月)の総合調整役。死刑執行に際して残した言葉は「まずはよし」。大罪人とされる人物の最期の言葉に、引かれ者の小唄めいたものを感じた人が多かったのではないだろうか。その一方、オウム裁判で、オウム真理教トップ麻原彰晃元死刑囚と事件をつなぐ証拠がない中、同事件に麻原元死刑囚の指示があったと証言したことでも知られる。

 本書『オウム死刑囚 魂の遍歴』(PHP研究所)は、井上元死刑囚の5000枚に及ぶ手記を基にしたノンフィクションだ。井上元死刑囚の麻原告発に至る経緯をたどり、独房での悔恨の日々を紹介。裁判で認定された事実の一部に誤認があったのではないか、という疑問も投げかけている。

15年を経て面会

 著者の門田隆将さんは、『週刊新潮』の元デスクでノンフィクションライターだ。NHKドラマ『フルスイング』(原作『甲子園への遺言』)や光市母子殺害事件遺族を描いたWOWOWのドラマ『なぜ君は絶望と闘えたのか』(原作と同タイトル)などの原作者として知られる。

 オウム真理教事件は、麻原、井上両元死刑囚ら幹部13人の刑執行が2018年7月だったので記憶に新しい。教団は地下鉄サリン事件のほか坂本弁護士一家殺害事件(1989年)、松本サリン事件(94年)、目黒公証役場事務長拉致監禁致死事件(假谷さん事件、95年)ほかに教団内部での信者殺人事件などを起こし、29人の死者と約6500人の負傷者を出した。

 「あいつ、直接手を下したものがないんだ」。門田さんが、井上元死刑囚に関心を持ったのは逮捕後の1995年7月。担当刑事からの情報だったそうだ。教団トップの側近で諜報省大臣という物騒な肩書――。当時流布していた、凶悪な犯人像からは想像できない話だったに違いない。そこから取材が始まる。だが、本書のように取材対象側に軸足を置いて書くのは、取材対象を信用しなければできるものではない。信用させたもの、それは何だったのか。

 担当刑事からの情報入手以降、門田さんの取材は、裁判の傍聴や井上元死刑囚の家族からもたらされた手記を通じて重ねられた。それでも本人に面会したのは15年が経った2009年になってからだった。元死刑囚の主張を鵜のみにはできない、と考えたのかもしれない。

 はっきりと、信用する方向へと門田さんに舵を切らせたのは、假谷さん事件での医師・中川智正元死刑囚の証言の不合理性が浮上したことによるようだ。中川証言は2審、3審で認定された事実だ。本書の最大の見どころだろう。この不合理性は再審請求へとつながり、その後、両親による死後再審請求に受け継がれている。

 ただし、井上元死刑囚の主張と、教団関係者の法廷での証言との間には隔たりがあることも事実だ。読者が「信用するかどうか」は、双方の主張を突き合わせる必要があるだろう。

少年時代から軽い神秘体験

 本書は、麻原、井上両元死刑囚の子ども時代のトレースから始まる。親に捨てられたという思いが傷となっていた麻原元死刑囚にとって、社会は敵対し利用するものだった。さらにわざわざチベットまで訪ねて行った末、師(親のようなもの)に軽く扱われたことなどを経て凶暴化していく。

 井上元死刑囚は少年時代から軽い神秘体験を持ち、社会の不条理や家族の危うさを感じる。京都有数の進学校に進んだのちは、麻原元死刑囚に出会ってヨガに集中、解脱を目指すようになる。

 その中では数多くの神秘体験が描かれている。40度を超える原因不明の発熱、それを簡単な指示で抑え込んだ麻原元死刑囚の側近、空中浮揚......。一方で同時に麻原元死刑囚による恐怖を通した信者支配の実態も紹介される。解脱というエサをちらつかせながら、脱会すれば本人はもとより家族も殺すという脅しだ。これでゴマすりや忖度が横行、相互監視システムも徹底した一種のファッシズム社会になっていった。この辺りは、「非国民」「○○万歳」といった戦中の日本がよみがえったようで、気味が悪い。

 神秘体験が入信のきっかけになった信者は多い。だが、そのような体験は珍しいことではないそうだ。評者は禅僧から聞いたことがある。「座禅を断続的に7日ほど続けていると、人にもよるが映像が浮かんできて、遠くで歩くアリの足音が聞こえるようになる」。だが、それは「まだ入り口に過ぎない」のだそうだ。「繰り返しているうちに、自在にその境地になれるようになる」と言った。

 空中浮揚もわりと誰にでもできることだという。井上元死刑囚の空中浮揚は1メートルほど跳べることで知られ、週刊誌にその写真が掲載されたこともある。早大理工学部を首席で卒業、物理の秀才といわれた広瀬健一元死刑囚は「測定データを見ると、明らかに脚の力で跳んでいた。それでも(入信した後は、データを見てもおかしいと思わず)教義への信を失わなかった」と別のところで語っている。

 神秘体験に対する社会の理解が深まっていたなら、救えた命は多かったはずだ。

 本欄はオウム関連で『サリン事件死刑囚 中川智正との対話』(株式会社KADOKAWA)、『「オウム」は再び現れる』(中公新書ラクレ)、『オウム真理教事件とは何だったのか?』(PHP新書)、『逆さに吊るされた男』(河出書房新社)、『宿命 警察庁長官狙撃事件』(講談社)なども紹介している。

BOOKウォッチ編集部 森永流)

  • 書名 オウム死刑囚 魂の遍歴
  • サブタイトル井上嘉浩 すべての罪はわが身にあり
  • 監修・編集・著者名門田隆将 著
  • 出版社名PHP研究所
  • 出版年月日2018年12月13日
  • 定価本体1800円+税
  • 判型・ページ数四六判・526ページ
  • ISBN9784569841373

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