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永井荷風は「早慶の対抗意識」に眉をひそめていた

慶應義塾文学科教授 永井荷風

 娼婦との交友を描いた『濹東綺譚』などの作者、永井荷風が明治末期から大正初期にかけて6年間、慶應義塾の文学科教授として後進を指導したことは意外と知られていない。本書『慶應義塾文学科教授 永井荷風』(集英社新書)は、荷風が第一級の教育者であり、機関誌「三田文学」の創刊など大きな功績を残したことに光を当てている。

 著者の末延芳晴さんは文芸評論家。『永井荷風の見たあめりか』などの著書がある。大学教授・永井荷風についてきちんと取り上げられたことはなかった、という思いから本書を執筆したという。

 本書によると、東京外国語学校を中退して、アメリカ、フランスでの遊学生活後に帰国し、孤立していた荷風を慶應に推薦したのは、森鷗外と上田敏だという。上田敏とはパリ滞在中に出会い、知遇を得たのが理由だが、なぜ鷗外が荷風を推薦したのだろう? 末延さんは、鴎外が内務官僚だった荷風の父親、永井久一郎のことを陸軍軍医として知っていた可能性、また同じように海外生活を経験したモダニストとしての側面があったことを挙げている。

 また自然主義文学の牙城だった「早稲田文學」に対抗する新しい文学を創造するのに、慶應と荷風が役に立ちそうだという鷗外なりの計算もあったと見ている。

 荷風が教授に就任したのは明治43年(1910)。学校からは同時に「三田文學」を創刊し、編集することを求められた。先行する「早稲田文學」を研究し、デザイン、内容ともに徹底的に差別化を図ったという。

 のちに慶應文学部の名物教授となった奥野信太郎の次の一文を引用している。

 
「永井教授の授業が厳正であったことは、塾においても語り草となっているところである。振鈴から振鈴までの授業を、かならずおろそかにしなかったということだけでも、これは並大抵のことではないと思う。長年教師をやっているだけにこの話にはまったく頭が下がる思いがする」

 奥野は荷風がまだ教授に就いていると思い、慶應に入ったという「遅れてきた青年」だった。

「三田文學」から多くの文学者が巣立った

 本書では、「三田文學」から巣立った文学者について多くのページを割いている。のちに俳句から小説、演劇と文化界の「ドン」のような存在となった久保田万太郎、理財科(経済学部の前身)出身でありながら荷風に傾倒、卒業後はサラリーマンをしながら荷風去ったあとの「三田文學」を支えた水上瀧太郎、作家佐藤春夫、詩人堀口大學らの門下生を紹介している。佐藤と堀口は予科を中退しているので、正規に聴講する資格はなかったが、荷風の勧めで作品が「三田文學」に掲載されたことが大成へのきっかけとなった。

 いい教師であり、いい編集者でもあった荷風はなぜ慶應を去ったのか。荷風は教授時代に二度、結婚生活に失敗している。そのうち一度は有名な新橋の芸妓で、そうしたスキャンダラスなふるまいが謹厳実直な大学当局、教授たちに忌避されたのでないかと推測している。

 その後も教え子や文学者に対しては好意的だったが、当局にかんしては反感が強く、「わたくしは経営者の一人から、三田の文学も稲門に負けないやうに尽力していたゞきたいと言はれて、その愚劣なるに眉を顰めたこともあった。彼等は文学芸術を以て野球と同一に視てゐたのであつた」と記していることを紹介している。

 荷風についての評論、研究書は数多いが、「文学科教授」時代にここまで言及した本は初めてだろう。「好色」だった荷風のまじめな側面を知り、蒙をひらかれた思いがする。

 本欄では、荷風の『断腸亭日乗』のほか、平成時代に「三田文学」編集長を務めた古屋健三さんの『老愛小説』などを紹介済みだ。  

  • 書名 慶應義塾文学科教授 永井荷風
  • 監修・編集・著者名末延芳晴 著
  • 出版社名集英社
  • 出版年月日2018年12月19日
  • 定価本体940円+税
  • 判型・ページ数新書判・317ページ
  • ISBN9784087210590
 

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