先の戦争というと、日本人は太平洋戦争を思い浮かべる。しかし、第二次世界大戦という大きな枠組みで見ると、アジアの戦いは全体の一部だ。主役はどちらかと言えばナチスドイツであり、ヨーロッパが主戦場だ。
本書『独ソ戦――絶滅戦争の惨禍 』(岩波新書)は、第二次世界大戦の帰趨を決めたドイツとロシアの死闘を、通史的に描く。最新研究をもとにしているので、いろいろと参考になることが多い。一般向けに分かりやすく書かれていることもあって、売れ行きも好調のようだ。
アジア・太平洋戦争の日本側の犠牲者は、約310万人とされる。戦闘員が230万、非戦闘員が80万。ところが本書によれば、ソ連の犠牲者は約2700万人。半数近くが戦闘員で、他は非戦闘員。ドイツはソ連以外の戦線も含めた数字で戦闘員が531万人、民間人が300万人と言われるから、日本の犠牲者数を大幅に上回る。
本書には「絶滅戦争」という副題が付いているが、あながち誇張ではない。要するに日本がアジア・太平洋で戦っているころ、ヨーロッパの東部戦線では、アジアをはるかに凌駕する「死闘」が続いていたということだ。
著者の大木毅さんは1961年生まれ。立教大学の大学院でドイツ現代史、国際政治史を研究。千葉大の非常勤講師などを経て、防衛省防衛研究所や陸上自衛隊幹部学校の講師などをしていた。現在は著述業。今年は『「砂漠の狐」ロンメル――ヒトラーの将軍の栄光と悲惨』 (角川新書)も出版し、全国紙の書評でも取り上げられるなど各方面で話題になった。
大木さんによれは、独ソ戦の特徴は、「通常戦争」にとどまらなかったことだ。「収奪戦争」「世界観戦争」の側面が色濃くあった。
ヒトラーは、東方に植民地帝国――豊富な資源や農地を有する空間、「生存圏」を確保しなければ、ゲルマン民族の生き残りはないと確信していた。対英戦争がこう着状態に陥る中でドイツ軍部もその考えに同調し1941年6月、不可侵条約を破棄して対ソ戦を開戦する。
当時のソ連は、1937年からの「大粛清」によって軍部が弱体化していた。38年にかけて3万人以上の将校が逮捕、追放、銃殺されたという。軍の最高幹部101名のうち91名が逮捕、うち80名が銃殺、5人のソ連軍元帥のうち3人が銃殺になっていた。
ドイツ側はこうした粛清を知っており、侵攻のタイミングを見計らっていた。一方、スターリンには、ドイツが侵攻してくる可能性が高いという情報があちこちから届いていたが、それはソ連を第二次世界大戦に巻き込もうとするイギリスの謀略と考え、対応を怠っていた。何しろドイツとソ連の間には不可侵条約がある。ソ連は対英戦を続けるドイツに対し、食料を供給する基地という立場だった。スターリンは軍部を「大粛清」していたこともあり、いまはドイツ軍とは戦いたくないという心理に陥っていた。したがって対ソ戦の緒戦でドイツ軍はめざましい戦果をあげ、怒涛の勢いでソ連の国土に進軍する。
当初ドイツは短期決戦による圧勝を確信していたが、意外に手こずる。ソ連側が予備役を大量投入するなど戦意が衰えなかったこと、鉄道や道路状態が悪く進軍に手間取ったこと、戦線が拡大し補給線が伸びすぎたことなどいくつもの要因がある。
そして極めつけはロシアの冬。41年12月5日、ドイツ軍はモスクワまで30キロというところまで近づくが、冬季装備が届かず攻撃を中止、翌日からソ連軍が全面的な攻勢に出たことで敗走を強いられる。かつてのナポレオンと同じように、「ロシアの冬」に苦しめられることになった。
一般には、この敗走が戦局の転換点の一つとして重視されているが、本書では緒戦の勝利自体が吟味され、「戦力の消耗は、得られた成果よりも大きい」という認識が当時すでにドイツ軍内部にもあったことを記している。
加えてドイツ軍はさらなる戦いを強いられることになる。12月8日、日本軍が米国との戦端を開き、ドイツも11日、米国に宣戦を布告する。
ドイツにとってのソ連戦は、上記のような「植民地獲得」という実利に加えて、ナチスが「敵」とみなした者への「世界観戦争」「絶滅戦争」でもあった。健康なドイツ国民で、ゲルマン民族の一員であれば、ユダヤ人などの「劣等人種」、社会主義者や精神病者といった「反社会的分子」に優越しているというナチズム。それは大方のドイツ人が酔いしれている思想でもあった。占領したソ連領から食料を収奪し、住民を飢え死にさせてもドイツ兵に食料を与えるという「飢餓計画」も立案された。3000万人の餓死が想定されていた。ソ連人を「劣等人種」とみなすナチス的な世界観からすれば、違和感はない。したがって捕虜の扱いも冷酷をきわめ、570万人のソ連軍捕虜のうち300万人が死亡した。
有名なレニングラードの戦いでは、ドイツは兵糧攻め作戦に出る。包囲して物資輸送を阻み、飢え死にさせようというのだ。100万人が犠牲になったと言われる。それはレニングラードが「ボリシェビキの発祥の地」であり、街自体を「地上から消滅」させることを狙っていたからだった。ここにも「世界観戦争」が読み取れる。ヒトラーがスターリングラードの制圧にこだわったのも、同じ理由だ。「スターリン」の名を冠した都市を奪うという政治的な意味合いに執心した。
ナチスドイツがソ戦と戦わなければ、第二次世界大戦の結末は相当違ったのではないかとの見方もあるだろう。だが、本書を読めば、そのような選択がなかったことがわかる。ナチスドイツにとって対ソ戦は、その世界観にのっとった必然、避けられない戦争だったからだ。
一方のソ連が鼓舞したのは、コミュニズムとナショナリズムを足した「大祖国戦争」。ドイツ兵への報復は熾烈を極めた。ソ連に捕まったドイツ軍捕虜数は260万から350万人まで諸説あるが、30%が死亡。ドイツ本土進攻時には民間人に対する略奪、暴行、殺戮が相次いだ。
ソ連は独ソ戦開始前には東欧に勢力を伸ばし、抵抗者を抹殺していた。1940年の「カチンの森」事件は有名だ。捕虜としたポーランド将校を大量抹殺。したがってナチスドイツによる対ソ戦開始は、ソ連の影響下にあった東欧では歓迎された。ブルガリア、ルーマニア、ハンガリーなど、対ソ戦ではドイツ側になって参戦した国も多い。戦後、ソ連が東欧諸国を徹底的に属国化したのには、そうした事情も絡むのだろう。
長期化した独ソ戦は「グロッキーになったボクサー同士の戦い」と言われることがあるそうだ。フラフラになりながら延々と戦いが続き、最終的にソ連が勝利する。
本書によればそのヒストリーは戦後、ソ連側では自国に都合の良い祖国愛の物語として流布されていたが、ペレストロイカ以降、不都合な情報が公開され、修正を強いられる。ドイツ側では、ヒトラー1人を悪の張本人とする軍人たちの回想録が多く、「国防軍はナチ犯罪に加担していない」という伝説を広めたが、国防軍のジェノサイドへの関与を暴露した「国防軍展」などで1990年代には否定された。どちらの国でも長年「歴史修正主義」が大手を振っていたが、改められた。そうした新しい動きは日本には余り伝わっておらず、それが本書刊行のきっかけになっている。
一読者として本書を読んで痛感するのは、独ソ戦争と日中戦争の類似だ。「満蒙は我が国の生命線」と叫びながら中国大陸に乗り込み、戦線を拡大、泥沼化する。補給線が伸び、住民からの徴発が続いて反感を醸成、ゲリラ戦で手を焼く。残虐行為も頻発した。根っこには日本側の民族的な「優越意識」もあった。中国側の犠牲者数は諸説あってはっきりしないが、膨大な数だ。
もう一つは不可侵条約。独ソ戦ではドイツが不可侵条約を破って戦争を始めた。日本は太平洋戦争の末期に、ソ連との中立条約を頼りに和平の仲介さえ頼もうとしていた。ソ連にとっては、どう映っただろうか。ソ連が今度はドイツのように条約を破ってくるかもしれないという想定は、当時の日本になかったのだろうか。
日本が米国との戦争に打って出たのは、ヒトラーのドイツが英国やソ連に勝利するということを期待していたからだ。ところが真珠湾攻撃の2日前にドイツはモスクワから敗走している。ナチスドイツの不敗神話が揺らいだ歴史的瞬間だ。このあたりの情報は、日本にどう伝わっていたのだろうか。しかも12月6日には 米国ルーズベルト大統領が原爆の調査研究予算を承認している。これも当時はわからなかったことだが。
著者の大木さんは、本書について、「おそらくは、昭和前期の歴史をアクチュアルな政治問題として捉える日本人にとっても有益であるはずだ」と記している。まさしくそう感じた。
本欄では関連で『ヒトラーとドラッグ――第三帝国における薬物依存』(白水社)、『なぜ必敗の戦争を始めたのか――陸軍エリート将校反省会議』(文春新書)なども紹介している。
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