(連載タイトル)ローマで居候
イラストレーターのなかざわともさんが「ちょっとだけローマ暮らし」をつづる連載『ローマで居候』。現地の語学学校でイタリア語を習い始めたものの......?
昨年1月にローマへの滞在が決まってから「語学学校に通おう!」とすぐに考えていた。今後の人生でイタリア語を使う機会があるのかわからない。「少しでも語学が身につけばイタリアをもっと身近に感じられるだろう」という、好奇心だけを燃料にした浅はかな計画である。
日本にいるうちに、渋谷にあるイタリア語学校とNHKの講座を利用して基礎を少し学んだ。アルファベットから簡単なあいさつ、基礎単語を少し。イタリア語は発音こそ比較的易しいものの、文法は複雑で姓名詞・動詞の活用など文法はたいへん難しいと聞いていた。参考書の先のページを眺めて顔をしかめては、パタリと閉じて見て見ぬふりをする。
私は変なところで楽観的な人間なので「今はわからなくても行ってしまえば何とかなるだろう! (クラスの共通語になるだろう)英語だって、まったく話せないわけじゃないし」と甘く考えていたのだ。この見積もりは、大誤算であったと後々思い知る。
通いやすく手頃な値段で、少人数制の教室を探した。条件に合う教室をネットで見つけ、8月の第2月曜から始まる初級クラスを4週間分申し込んだ。
学校はローマの中心部、共和国広場とヴェネツィア広場を結ぶナツィオナーレ通りから横道に入った静かな通りにある。石畳のボコボコした細道が入り組んだエリアで、路面には古着屋やアクセサリー店など洒落た店がぽつりぽつりと構えている。
ローマの交通に少しずつ慣れてきた頃、学校の初日がやってきた。初めて通う異国の学校にドキマギしながら申し込みを済ませ、小さな教室に入る。通りに面した窓が一つ、ホワイトボードと、それに向かい合うようにオレンジ色の10数脚のテーブル付きの椅子が壁に沿って並べられた簡素な教室だ。窓から差し込む明かりや、壁や天井にあしらわれた緑とオレンジの装飾、床のタイルの柄が明るい印象を与える。
今日からクラスメイトになるらしい面々が9名ほど、すでに座って授業の開始を待っていた。私は日本人が大多数を占める日本の学校にしか通ったことがないので、外国人しかいない教室の光景はとても新鮮だった。足を踏み入れた私もまた「外国人生徒」であり、その心細さと不安は刺激的で、身体がビリビリするような感覚がした。
どんな授業が始まるのだろうとソワソワしていると、講師が部屋に入る。派手な柄のキャミソールワンピースを着た中年のイタリア人女性である。ブロンドの髪を揺らしながら目の覚めるような大きな声で話し始めると、教室が陽気さでいっぱいになった。圧倒される抑揚のイタリア語で、すぐに授業が始まった。
教わった構文を使って、一人ずつ自己紹介をする。スペイン人の牧師と医師、アメリカ人の写真家、フランス人とナイジェリア人の弁護士、アルゼンチン人の建築家、ブラジル人とイギリス人の大学生、ドイツ人の不動産業、私は日本人のイラストレーターだと名乗った。年齢は上が50代、下が20歳、大半が20〜30代後半である。私を含め、バラバラの国からバラバラの職業の10人が生徒として小さな教室に集っている状況に、私は「なんて国際的なんだろう!」と興奮を覚えた。間抜けな感想だが、初めての経験なので仕方ない。
ひとしきり自己紹介を終えると、先生は大きな口を開け、長音をこれでもかと誇張しながら「イタリア語は歌のように喋りましょう!」と言った。イタリア語の感情的で大袈裟な抑揚は、日本語の平坦なリズムとはあまりにも異なる。イタリア語が歌なら、日本語は念仏のようだ。
授業はイタリア語だけでサクサクと進んでいき、私は説明の意味を理解すること、板書を追うことに大慌てだった。自分の準備が不十分であったことを痛感し、こりゃたいへんなことになったと思っていると、90分の授業があっという間に終わる。1日90分×2コマの授業で、間には15分間のコーヒーブレイクが用意されている。
学校の近くのBAR (バール)に寄りクラスメイトに話しかけてみると、ここで第2のショックに襲われる。彼女の話す英語が、半分くらいしか理解できないのだ。私はいちいち頭で英語に変換するために時間とカロリーを使い、会話にはうまくいかないテレビ中継のように時差が生じる。授業中のグループワークでもこれにはとても困った。教室の共通語である英語さえも、私だけ十分に話せない。
今さらながらようやく自分の無力さを知った愚かな私は、肩を落としながら初日の教室を後にした。トボトボと歩きながら顔を上げると、建物の間にドッカリそびえ立つコロッセオが目に飛び込んできた。ジリジリと身を焦がす太陽の光を受けながら、巨大な石の建造物は悠然と、ただそこにある。息を呑み見惚れていると、さっきまでの落ち込みがあっという間に消えていることに気づいた。古代遺跡には、そんな不思議な力がある。
「まぁ、なんとかなるか!」
一ヶ月間の短い学校生活が始まった。
今回は、あいさつのフレーズを紹介しよう。
「Piacere!」(ピアチェーレ!)「初めまして!」
初回の授業で習った言葉。Piacereは「喜び」という単語としても使われる。初対面の人には「お会いできて嬉しいです」と笑顔で伝えたい。
■なかざわ ともさんプロフィール
1994年生まれ、東京在住のイラストレーター。学習院大学文学部卒。セツモードセミナーを経て、桑沢デザイン研究所に入学。卒業後、イラストレーターとして活動を開始。
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