「わたしたちには家族をめぐる秘密がある」
第66回群像新人文学賞を受賞した、夢野寧子さんの『ジューンドロップ』(講談社)。「ですます調」でつづられた、語りかけるような文体。みずみずしい感性で、物事を丁寧に掬いとる描写。淡く透きとおった世界が、目の前にパッと広がった。
高校2年生のしずくは、人々が願いを込めてお地蔵様を縄で縛り上げる「縛られ地蔵」の前で、タマキと名乗る同い年の少女と出会う。お供え物を盗み食いするという「奇妙な共犯関係」で結ばれたふたりは、やがて家族にも友人にも言えなかった本音を共有するようになる。
「母の不妊治療の失敗、凶暴な白い光と共に襲ってくる片頭痛。しずくとタマキは、持て余した心を抱えて縛られ地蔵に会いに行く――。」
しずくは小学生のころから、視界に光が現れる閃輝暗点(せんきあんてん)を伴う片頭痛に悩まされている。いつ白い凶暴な光が現れて頭痛が襲ってくるかわからないので、どこへ行くにも薬を持ち歩いている。
しずくの親は不妊治療をしているが、これまでに何度も、母のお腹の中で小さな命が潰(つい)えていた。傷つき、憤り、自分を責める母が立ち直っていく過程を見守る一方、しずくは居心地の悪さを感じていた。
そんなある日、近所の公園の「縛られ地蔵」の前で、タマキと出会った。例の光が現れてしゃがみこんでいたところに、「大丈夫ですか?」と声をかけられたのだ。しずくはお礼を言い、自分と同じようにお堂を訪れている人物に興味が湧いて、またここで会う約束をする。
そもそも、お地蔵様に会いにくる女子高生というのもめずらしい。なにか事情がありそうである。はじめはしずくの持病と親の不妊治療がクローズアップされるが、ページが進むにつれて、じつはふたりには「家族をめぐる秘密」があることがわかってくる。それぞれが「縛られ地蔵」に、ある願い事をしていたことも。
苛立ち、後悔、罪悪感、孤独感。全体が穏やかなトーンだった分、終盤にふたりの本音が出てくるシーンが際立つ。ここでは秘密と願い事の中身には触れないが、しずくにもタマキにも、家族に対する愛憎入り混じった複雑な感情がある、ということは書いておきたい。
本作で、6月は特別な意味を持つ。しずくが生まれたのも、しずくとタマキが出会ったのも、ふたりに人生の転換点となる出来事が起こったのも、すべて6月。タイトルの「ジューンドロップ」は6月生まれのしずくのことを表しているようにも思えるが、じつはもう1つの意味があった。
梅雨の時季に、まだ若い実が自然と落下する現象を「ジューンドロップ」「生理的落果(らっか)」というそうだ。一本の木が生育できる果実の数には限りがあるので、木自ら余分な実を落とす。柿や蜜柑など、多くの果樹に共通する自然現象なのだという。
木から落ちた実。月に一度体外に排出される、精子と巡り合えなかった卵子。不妊治療をしている母を間近で見ているしずくには、このふたつが重なって見えた。
「ふと脳裏に、幼い未発達の実が木から落下する光景が過りました。淘汰の末に、枝から振るい落とされた可哀想な赤ん坊達。(中略)どうして自分は彼らと同じ道を辿らなかったんだろう」
ニュースに映し出される戦争も事件も、しずくの身には起こっていない。「わたしは文句なしに幸福な人生を送っている」と、頭では理解している。しかし、家族の秘密も、自分の心も、重たくて抱えきれない。だから「縛られ地蔵」に願い事をした。そしてそれは、タマキも同じだった。
お地蔵様に導かれるようにして出会ったしずくとタマキ。未成熟で多感な年ごろのふたりは揺れ動く心で、家族と、そして自分自身と向き合っていく。
物語は、しずくが「あなた」に語りかけるかたちで進行していく。終盤まで「あなた」の正体は明かされず、歯がゆい。ただ、そのわからなさが作品全体の幻想的な空気感をより濃くしている。
「あなたの部屋で、あなたのMDウォークマンを握りしめながら、ありとあらゆる苦しみをドロップみたいに溶かしてしまえたら、どんなにかいいのに。」
著者の夢野寧子さんは6年前、勤めていた区役所を辞めて執筆に専念するようになったそうだ。受賞の言葉やインタビューを読んで、とても澄んだ心の持ち主なのだろうなと感じてはいたが、本作を読んではっきりとそう思った。
ひと言で表すと、描写が美しいのだ。思わず読み返したくなる表現が、散りばめられている。現実世界のどこかで起きていそうな話でありながら、ファンタジーのようでもあった。無感動に通り過ぎそうな日常の何気ない景色であっても、夢野さんにはこんなふうに見えているのか。その世界の見方が素敵だなと思った。
■夢野寧子さんプロフィール
ゆめの・ねいこ/1986年、東京都生まれ。東京女子大学文理学部社会学科卒業。「ジューンドロップ」で第66回群像新人文学賞を受賞。
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