「ねえ、離婚、まだかな?」
32歳になるスギヤマクミは、恋人のナガセにそう尋ねた。9年間、ずっと言えなかった言葉が、ふいに零れ落ちた瞬間だった――。
『試着室で思い出したら、本気の恋だと思う。』(幻冬舎)は、尾形真理子さんが書いた恋愛小説だ。「Closet」という路地裏のセレクトショップを訪れる恋愛下手な5人の女性たちが服を選びながら、なりたい自分と向き合っていく短編集で、「実らなかった恋にも、ちゃんと実ができている」、「感情は、歳をとらないのかもしれない。対処の仕方が大人になっていくだけで」など、数々の名言が共感を呼び、2014年の発売以来ロングセラーとなっている。
書店でタイトルを見て気になっていたものの、読む機会を逃していた。このたび俳優の松本穂香さんによる朗読がAmazonオーディブルで配信されたと知って、「聴く読書」を試してみることにした。
冒頭のセリフは5つの物語のうちの一篇、「悪い女ほど、清楚な服がよく似合う」のホテルでのシーンから引用したもの。ほんわかとした、それこそ清楚なイメージのある松本さんの声で聴くと、ドキッとさせられる。
損害保険会社の広報企画室で働くクミは大学時代、就活中にOB訪問で知り合ったナガセに惹かれ、何度か会ううちに男女の関係になった。ナガセは当時36歳。妻子があることは分かっていたが、「ほかに好きな彼ができたら、その時は別れればいい」と思っていた。「主導権は私にあるのだから」と。あれから9年。クミは32歳、ナガセは47歳になっていた。
大きな目にベビーフェイス、小柄できゃしゃな体形のわりにDカップの胸が「一定の男子をくすぐる」ことを熟知していたクミは、毎日鏡に映る姿に変化がないかチェックし、美容を怠らなかった。仕事柄、いつもコンサバな服を選び、着る人を選ぶ白の細身のパンツもスタイルよく履きこなす。ナガセに離婚はまだかと尋ねたその日も、上質感のある白のカプリパンツを履いていた。
何度も別れようと決意しては、結局ナガセのもとに戻ってしまうクミ。今回も、妻から提示された「ある条件」を理由にすぐには離婚できない、と答えたナガセに深く失望する。
「私の主導権なんて、どこにもないじゃないか」
心に迷いを抱えながら、赤ワインのシミをつけてしまった白いカプリパンツの代わりを求めて入ったセレクトショップの試着室で着替えながら、クミは自分の心と向き合うことになる。彼女は9年越しの不倫に終止符を打つのか、それとも――。
静かで透明感のある松本さんの声で読み上げられるストーリーに、すぐに引き込まれた。音声は0.5~3.5倍速まで好みの速さに調整できる。個人的には1.2倍速くらいがちょうどいいと感じた。著者の尾形さんはコピーライターで、リズムの良い文章はとても聞きやすく、風景や心情、動作、洋服の色や素材なども細かく描写されていて、情景が目に浮かぶ。一篇が40~55分程度と比較的短く、オーディオブック向きの作品と言える。できれば登場人物の名前の漢字を知りたいが......。
本書にはほかに、「あなたといたい、と、ひとりで平気、をいったりきたり。」「可愛くなりたいって思うのは、ひとりぼっちじゃないってこと。」「ドレスコードは、花嫁未満の、わき役以上で。」「好きは、片思い。似合うは、両思い。」を収録。主人公たちは、不思議な魅力を持つ「Closet」のオーナーのなにげない一言から、自分の本当の気持ちに気づかされる。恋愛の甘さと苦さを思い出させてくれる作品だ。
Audible版『試着室で思い出したら、本気の恋だと思う。』尾形真理子 著(幻冬舎)
■尾形 真理子さんプロフィール
おがた・まりこ/コピーライター・クリエイティブディレクター。2001年、博報堂に入社し、2018年、株式会社Tangを設⽴。LUMINEをはじめ、資⽣堂、Tiffany&Co.、キリンビール、Netflix、FUJITSUなど多くの企業広告を手がける。TCC賞、朝⽇広告賞グランプリ、ACC賞ゴールドなど国内外の受賞多数。
■松本穂⾹さんプロフィール
まつもと・ほのか/1997年2月5日生まれ、大阪府出身。2015年に「風に立つライオン」で⻑編映画デビュー。2017年連続テレビ小説「ひよっこ」に出演して注目を集め、2018年にはTBS日曜劇場「この世界の片隅に」で主演に抜擢。その後も「おいしい家族」「わたしは光をにぎっている」「酔うと化け物になる父がつらい」「みをつくし料理帖」「恋のいばら」など多数の作品で主演を務め、2023年には映画「"それ"がいる森」で⽇本アカデミー賞優秀助演⼥優賞を受賞。主演を務めるNHK夜ドラ「ミワさんなりすます」が10月から放送開始する。
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