ローマやローマ人についての本といえば塩野七生さんであろう。『ローマ人の物語』という全15巻におよぶ連作はその代表だが、20年以上も前に『ローマ人への20の質問』を書いている。今回、その全面改訂版となる『完全版 ローマ人への質問』(文藝春秋)を出した。その理由を「死んだ後に恥ずかしいものを残したくない」と言う塩野さんの覚悟が詰まった本書は、21世紀に生きる私たち、とくに日本人への警句に満ちている。
設定は、古代のローマに迷い込んだ塩野さんが、40代と思しき一人のローマ人の男と出会い、正直な問いを投げかけ、男がそれに答えるというものである。
ローマ史には人間の歴史のすべてが凝縮されているというカバーの言葉どおり、ここで交わされるテーマは、いまの世界につながるものが多いが、一方で、ローマ帝国のイメージについて日本人が抱いている固定観念が、いかにその後のキリスト教の影響を受けた人間観や文明観に色付けされたものであるかも明らかになってくる。
そのひとつが、ローマはなぜ滅亡したのか、というテーマである。「パンとサーカス」に代表される無能な皇帝たちの施政や、周辺の「蛮族」による侵入など、世界史の授業で学んだことが思い出されるが、本書では、その実相がいかなるものであったかが、ローマ人の側から覆されていく。
むしろ、1000年以上という気の遠くなる長い時間、ローマ帝国というシステムが存続した理由は何かを真剣に考えることの方が重要なのではないか。本書は、そのことを古代ローマ人の思想も含めて明らかにしていく。
「帝国」と聞くと、「専制」「帝国主義」「侵略」を反射的に思い浮かべる日本人にとって、生身のローマ皇帝の権限がそれほど強大ではなく、一方でローマ市民の自由(そこには女性の自由も含まれる)をおおらかに認めていたことに驚くだろう。カエサルもネロも、市民と元老院に認められた皇帝だった。だから、民主主義と自由を象徴し、世界最大の軍事力を持つ現代のアメリカ合衆国は、選挙によって選ばれた大統領を頂点とする「帝国」とみなすことにも違和感はなくなってくる。
また、ローマには「奴隷」が存在したことも事実だが、それは日常生活を維持するための仕事を担う人口の大幅な減少に伴ったもので、身分は固定されていたが、家族ともみなされるようなものだった。大航海時代以降の欧米で生まれた黒人を中心とした奴隷制度に象徴される「奴隷」とは、実態を大きくことにすることにも驚く。
本書を読んでいると、これは今の日本に通じるなとか、これはアメリカのことだなと思わせる箇所が随所にあるが、なかでも日本人である塩野さんは、「質問6」で「古代のローマ人と現代の日本人の共通点」という章を設けている。具体的には本書で確認されたいが、古代ローマ人の日常生活は、確かに現代の日本人と似ていることに驚くだろう。
とくにキリスト教を国教とする前のローマは多神教の社会であり、征服した地域の神もローマの神として取り入れていったという事実は、日本の八百万(やおよろず)の神を思い起こさせる。
一方で、ローマ法についての質問の最後では、塩野さんが現代の日本で憲法改正について、ローマ人に「助言」を求めている。その答えはここに引かないが、まったく論点がかみ合わない現代日本の護憲派と改憲派の双方がこの「助言」に耳を傾ければ、少しは建設的な議論ができるのではないか。
本書が言及しているわけではないが、終身雇用と住宅ローンを当たり前とし、それが自由な生活と思ってきた常識が崩れたうえ、急激な人口減少のなかで「移民」の受け入れに戸惑っている日本人は、ローマ人の社会に自分たちの姿を見出すこともできよう。
「パクス・ロマーナ」(ローマの平和)と言われた時代は、後のパクス・ブリタニカやパクス・アメリカーナに引き継がれたのかどうか。ローマ時代にはなかった「核」という存在を解決できず、再び地球規模の戦争が現実味を帯びてきた今、1000年続いたローマというシステムを見つめ直す意味は大きいと感じた。
■塩野七生さんプロフィール
しおの・ななみ/1937年7月、東京生まれ。学習院大学文学部哲学科卒業後、イタリアに遊学。68年から執筆活動を開始。70年、『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』で毎日出版文化賞を受賞。この年よりイタリアに在住。81年、『海の都の物語』でサントリー学芸賞。82年、菊池寛賞。88年、『わが友マキアヴェッリ』で女流文学賞。99年、司馬遼太郎賞。2002年にはイタリア政府より国家功労勲章を授与される。07年、文化功労者に。『ローマ人の物語』は06年に全15巻が完結。『ルネサンスの女たち』『ローマ亡き後の地中海世界』『十字軍物語』『ギリシア人の物語』など著書多数。
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