NHKEテレの教養番組「100分de名著」は、読みたいけど手が届かなかった名著について、毎週25分間、4回で100分間にわたって解説する番組だ。2011年から続く長寿番組で、MC・伊集院光さんの巧みなコメントのファンも多いだろう。
本書『名著の予知能力』(幻冬舎新書)は、番組プロデューサーの秋満吉彦さんが、企画制作の舞台裏を明かしながら、名著が持つ本質の一端、すなわち優れた予知能力について書いたものだ。
「100分de名著」は、単にわかりやすく名著をダイジェストしたものではない。「名著は現代を読む教科書である」という番組コンセプトがある。だから、現代といかに切り結ぶかという観点で本と解説者をアレンジする。放送に合わせてテキストも出すため、およそ8カ月前には企画書を出さなければならない。日頃から、いかに「本と人」を仕込むかがカギとなる。
取り上げた本のエッセンスにもふれているので、本書を名著のダイジェストとして読むこともできるが、それではもったいない。評者は、「発想術」の本として読み込んだ。
本書の構成と各章で取り上げている主な作品は次の通り。
第1章 それはテロリズムから始まった マルクス『資本論』 第2章 名著を人生と接続する 三島由紀夫『金閣寺』、安部公房『砂の女』 第3章 全体主義に抗して アーレント『全体主義の起源』、オルテガ『大衆の反逆』 第4章 発想の大転換 谷崎潤一郎『春琴抄』、呉競『貞観政要』 第5章 名著のイメージを刷新する ミッチェル『風と共に去りぬ』小松左京『虚無回廊』 第6章 時代を見つめるレンズの解像度を上げる カミュ『ペスト』、スピノザ『エチカ』 第7章 メディアの足元を見つめ直す ブラッドベリ『華氏451度』ルボン『群衆心理』 終章 名著の未来
解説する名著をまず決めてから、それを解説してくれる講師を探すという段取りで仕事をしてきた秋満さんは、「平家物語」を取り上げた回で、能楽師・安田登さんの解説と朗読を一人で担う離れ業と「語り」の迫力に圧倒されたという。
それを契機に「語りの空間」こそが、番組の成否を決すると思い、足しげくトークショーへ通い始めた。トークイベントや講演会に年間50回以上、参加したという。会場では必ず質問して、伊集院光さんの変化球的質問に対応できるかを見極めたそうだ。これを「講師からの逆算型企画」と呼んでいる。
本棚も企画の源泉になるという。
「アイデアに詰まったらいつも、三十分ほど本棚に置かれた本の並びをじっと見つめることにしている。そして、やにわに並び替えを始める。本棚の編集だ。この作業を小一時間ほど続けていると、あるラインが見えてくる。(中略)私にとって本棚はアイデアを発酵させる坩堝なのである」
そうした本棚のなかで、不動の位置を占めているのが、臨床心理学者・河合隼雄さんと精神科医・中井久夫さんの著作だ。河合さんは「関連づけ」の天才だといい、河合さんの本を異質なテーマ同士の接着剤に使うそうだ。対する中井さんは「徴候読み」の天才。類似した本のなかから異なるテーマを見つけ出すのにうってつけだという。
2人の本のどちらかを読むと、不思議に脳内がシャッフルされ、状況を打開するヒントが得られ、企画書のパターン化から逃れられる、と書いている。
さて、タイトルの「予知能力」だが、秋満さんは以下のように例示している。
「新型コロナ禍に置かれた私たちの状況をあたかも写し取っているようなアルベール・カミュ『ペスト』、世界で猛威を振るいつつある全体主義的な政治手法を痛烈に撃つジョージ・オーウェル『一九八四年』、対立意見を先鋭化し人々を分断に追い込むSNS社会の暗部を突くルボン『群衆心理』......」
実はカミュの『ペスト』を取り上げたのは、2018年6月だから、コロナ禍のおよそ2年前のことだ。フランス文学者の中条省平さんと哲学者の内田樹さんが、自分を正義の側に置き、邪悪な存在を「外側」につくり出して糾弾する精神のありようをカミュは書いた、と指摘した。
この回は、新型コロナウイルスの緊急事態宣言が出される直前のタイミングで、再放送された。あまりに「今」のことを書いてあるとしか思えなかったという。
ベストセラーになった『人新世の「資本論」』の著者、齋藤幸平さんとの出会いも読みどころの1つだ。マルクスをエコロジカルな視点で読み解いたデビュー作『大洪水の前』を半年かけて読み終えたところに、担当編集者から「斎藤さんとお会いしてみませんか」というメールをもらったという。
斎藤さんにマルクスのどの著作をやってもらうかが問題だった。「100分de名著」は、そもそも「一週間de資本論」からスピンオフした番組だったからだ。ふたたび『資本論』を取り上げるのはハードルが高かった。
しかし、新型コロナ禍の只中で、マスク不足、医療資源の枯渇が大きな社会問題になっていた。貧しい人は、本来共有財産であるはずの「コモン」から締め出されてしまい、命の危険にさらされているという、資本主義の暴走を指摘する論点で企画は通った。
放送後、斎藤さんの新刊『人新世の「資本論」』は爆発的に売れた。「コモン」という概念を再創造したことを、秋満さんは理由に挙げている。
興味のあるものだけをつまみ食いしてきた評者だが、番組の舞台裏を知り、月曜夜(10時25分~)は録画予約することにした。
BOOKウォッチでは、秋満さんが自らの愛読書にふれた『行く先はいつも名著が教えてくれる』(日本実業出版社)を紹介済みだ。
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