「ほどいてつないで私はもう一度踏み出せる。出会いも別れも愛おしくなる物語。」
『52ヘルツのクジラたち』で2021年本屋大賞を受賞し、2022年、2023年と3年連続で本屋大賞にノミネートされた町田そのこさん。本書『あなたはここにいなくとも』(新潮社)は、人生に迷った主人公たちが道を見つけだすまでを、あたたかい筆致でつづった短篇集だ。
家族の悩み、職場でのいじめ、上司との不倫......。それぞれの理由で人生の迷子になった主人公たちに、何らかの影響を与える「老女」が各話に登場する。すでに亡くなっているケースもあるが、彼女たちは生死に関係なく存在感を放っている。
■目次
「おつやのよる」
祖母が亡くなった。わたしが恋人を連れてくることを願っていたが、どうしてもできなかった。わたしは祖母不孝だったかもしれない。
「ばばあのマーチ」
職場でいじめられて退職した。恋人との関係は対等ではなく、もやもやする。そんなとき、庭で食器を叩く「オーケストラばばあ」と知り合う。
「入道雲が生まれるころ」
ある日、恋人に別れを告げた。時を同じくして、親戚の訃報が届いた。実家に帰ると、故人にまつわる思いもよらない問題が起きていて......。
「くろい穴」
不倫相手から「奥さんのために栗の渋皮煮を作ってくれ」と頼まれた。日曜日、祖母直伝の渋皮煮を作っていると、1粒の栗が目に留まった。
「先を生くひと」
幼馴染が恋に落ちた。恋の相手に嫉妬したわたしは、幼馴染が「死神ばあさん」と付き合っているという情報を耳にする。
本書は、2018年から2022年にかけて「小説新潮」に掲載された4篇(単行本化にあたり加筆修正)と、書き下ろし1篇を収録したもの。
ここでは、「入道雲が生まれるころ」を紹介しよう。
「ああ、もう別れどきなんだな」――。眠っている恋人の海斗(かいと)の隣で、萌子(もえこ)はふと思った。「別れましょう。今までありがとう」とメモ用紙に殴り書き、海斗の部屋を後にした。それは萌子に時々起きる「衝動」だった。
すると、田舎に住む母から電話がかかってきた。親戚の藤江(ふじえ)さんが亡くなったという。葬式の準備があるから、帰って手伝ってほしいと頼まれた。「帰るよ」と言って通話を切る。
再びスマホが震え、見ると今度は海斗からだった。戸惑った様子で、「どういうことだろう?」「おれのどこに非があった?」と聞かれた。「あなたに非はない。私にある」と一方的に会話を切り上げ、電源を切る。
萌子は「リセット症候群」なるものを抱えていた。ある日突然、ふとした瞬間、これまで構築してきた人間関係が重たくなり、そこから逃げてしまうのだ。寂しくなることも申し訳なく思うこともあるが、どうしようもなかった。
「誰かと日々を重ねていくことは、私にはできない。決して嫌いになるわけじゃない。(中略)ただ、カチンとスイッチが切り替わるように、一緒に『いる』が『いられない』になってしまった、それだけのこと。」
入道雲がどこまでもついてくるのを、新幹線の車窓から萌子は眺めた。実家に帰ると、問題が起きていた。亡くなった藤江さんが、どこの誰だかわからないのだという。本籍地は北海道で、40年ほど前に死亡したことになっている。しかも、祖父の愛人だったという話まで出てきていた。
藤江さんは控えめで物静かなひとだった。80歳を過ぎていて、独り暮らしをしていた。萌子の妹・芽衣子(めいこ)は藤江さんと友達のようにしていて、「わたしが急に死んだときには、代わりにわたしの人生を全部捨てといて」と頼まれたという。
遺品整理をしながら、藤江さんが昔、写真や手紙を燃やしているのを見かけたことを思い出す。「いらなくなったものをぜーんぶ燃やしとるの」と言っていた。きっと藤江さんはリセット症候群で、自分と同じ感覚を持つひとだったのだろうと、萌子は思う。
「彼女が生きている間に、話がしたかった。もしいま彼女と話ができれば。たくさんのことを訊いただろう。たくさんのことを話し、そして彼女の考えを知りたいと願った。(中略)ああ、問うてほしい。『あなたは、どうしたいん?』と。そうしたら、私は私のこれからを考え、己が何を願うのか分かった気がするのに。」
何もかもを捨ててきた藤江さんだが、どうしても捨てられなかったものはあるのだろうか。藤江さんの生き方が、自分の生き方と重なって見えた萌子は、これからどんなふうに生きたいと思うのだろうか。
亡くなった人、もう会えない人、名前も知らない人。その人たちからもらった言葉を何年も経ってからふと思い出したり、その言葉が自分を形作るパーツになっているのを感じたりすることがある。その人はここにいなくとも、受けとった言葉や思いは目に見えなくとも、ちゃんと残っていることを実感した。
読者一人ひとりの中に、これまでに関わったいろいろな人の顔が浮かんできて、その人たちと再会したような感覚になるだろう。
■町田そのこさんプロフィール
まちだ・そのこ/1980年生まれ、福岡県在住。2016年「カメルーンの青い魚」で第十五回「女による女のためのR-18文学賞」大賞を受賞。2017年、同作を含む短篇集『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』でデビュー。『52ヘルツのクジラたち』で2021年本屋大賞を受賞。他の著書に『ぎょらん』『うつくしが丘の不幸の家』『星を掬う』『宙(そら)ごはん』「コンビニ兄弟」シリーズがある。
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