村上春樹さんの6年ぶりの長編小説『街とその不確かな壁』(新潮社)が、4月13日(2023年)発売された。40年以上前に発表されたが、単行本化されなかった似たタイトルの中編「街と、その不確かな壁」や、その作品をもとにした長編『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』(1985年)との関連が、刊行前に指摘され注目されていた。
そうした事前情報はさておき、虚心坦懐に本作に向かいあうと、村上作品の持つ豊饒な物語性を堪能できるだろう。
三部構成で、第一部では17歳の「ぼく」と16歳の「きみ」が登場する。ふたりは「高校生エッセイ・コンクール」の表彰式で知り合い、文通を始め、やがて交際する。
と言っても、普通の恋愛小説を期待してはいけない。第一部は26のパートからなり、ふたりが登場するパートと、中年の「私」が出るパートが、ほぼ交互に語られる。
さらに、高い壁に囲まれた不思議な街のパートが挿入される。そこでは、自分の影は自立しているらしい。
現実の世界と壁に囲まれた「架空」の世界、さらに誰かはわからないが、「ぼく」に関係あるかもしれない「私」、そして「影」。作品世界がいくつにも分化し、その迷宮ぶりに読者は混乱する。この読みにくさは、作者があえて意図したもので、翻弄されればいいだろう。
いずれ、パートごとに整理し分析した評論が書かれるはずだが、混沌を混沌のままに受け入れ、頭がしびれるような感覚を味わえばいい。
第二部は、一転してリーダブルになる。「私」は書籍流通会社の社員だが、突然退職する。地方の小さな図書館で働く夢を見て、伝手をたどって福島県にある町営の図書館で働き始める。第一部に出てきた「私」の社会的な現実が露わになる。
福島県と言っても、原発事故の被害を受けた浜通りではなく、ずっと内陸の会津だ。「会津若松駅からローカル線に乗り換えて、一時間ほどでそこに着く。人口は一万五千人ほど」と、ほのめかされる。
村上作品では、地名の扱いは重要だ。本作の第一部で地名は、「ぼく」が進学する「東京」以外いっさい登場しない。「ぼく」は海に近い静かな郊外住宅地に住み、「きみ」はずっと大きくて賑やかな都市の中心部に住んでいる。
村上さんが育った兵庫県の芦屋と、通学した高校のある神戸を勝手に連想したが、「電車を二度乗り換え、一時間半ばかりかければ、きみの住む街に着くことができる」と、注意深く設定を変えている。
それなのに、なぜ第二部では「福島県会津地方」と明示しているのだろうか(肝心の町名はぼかされているが)。「私」が内陸部を希望したというのも理由の一つだが、以下の記述がヒントになるかもしれない。
「考えてみれば私はこれまで一度も山間の土地に住んだことはなかった。生まれ育ったのは海のそばだし、東京に来てからはずっと関東平野の真っ平らな土地に暮らしていた。だからこれほど多くの山に囲まれた土地に定住する(かもしれない)というのは、私にとって不思議な気のすることであり、また同時に興味深い新たな展開のようでもあった」
新たなリアルな物語を召喚する場として、「福島」が必要だったのかもしれない。同じ福島県でも浜通りだと「原発事故」という、また別の意味を帯びてくるため、内陸部に設定されたのかもしれない。
ともかく、福島という場所を得て、物語はしだいに精彩を帯びてくる。ここでは明かせない事情のもと、図書館長に就任し、生活は規則正しく充実する。コーヒーショップを営む移住者の女性とも親しくなり、家で手料理を振舞うことも。しかし......。
そしてまた、幻想的なパートが多い第三部は、70番目のパートで幕を閉じる。
通読して強く感じたのは、ある種の村上作品では重要な意味をもつ「性愛」の不在ないし忌避ということである。
第一部で「ぼく」は、性的欲求に駆られることもあるが、「そういうのはもっと先になってからでいいだろう」と本能的に感じ、木陰で抱き合い、唇を重ねるのにとどめる。
また、第二部では親しくなった女性から「セックスというものにうまく臨むことができないの。したいと思ったことはないし、実際にうまくできない」と言われ、「その分野のことはとりあえず、できるだけ忘れるようにしよう」と答えるばかりだ。
どちらも女性の心と身体の分離が原因のように語られる。考えてみれば、登場人物はいくつもの相に分かれている。生と死を往還する者さえいる。
村上さんは刊行前の共同インタビューで次のように話している。
「第二部と第三部は、影と本体はどちらが本体でどちらが影なのかという、物語としてより深く、広がりのある話になってくる。書くのが難しくて、何度も何度も書き直した」(4月13日付、朝日新聞朝刊文化面)
あとがきで、村上さんは中編「街と、その不確かな壁」は、「まるで喉に刺さった魚の小骨のような、気にかかる存在であり続けてきた」と書いている。そして、「真実とはひとつの定まった静止の中にではなく、不断の移行=移動する相の中にある。それが物語というものの真髄ではあるまいか。僕はそのように考えているのだが」と結んでいる。
じっくり読み解くのに、これほどふさわしいテクストはないだろう。自分とはいったい何だろう。何が自分にとっての真実なのか? そう自問しながら。
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