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読み始めと読み終えた後の感想が、まったく違う...。白石一文さん新作に驚き。

松雪先生は空を飛んだ・上

 読み始めと読み終えた後の感想が、これほどかけ離れた小説も珍しいのではないだろうか。恋愛小説かと思ったら、ミステリー、SF、そしてホラー? 本書『松雪先生は空を飛んだ』(KADOKAWA)上下巻を読了した印象である。

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 人名が冠された14の話から構成されている。それぞれのストーリーは、直木賞作家・白石一文さんらしいリアリズムの文体の中に、どこか一点「尋常ならざるもの」が紛れ込んでいる独特の味わい。

 第一話「銚子太郎」は、こんな話だ。スーパー「パリット・ストア」の総菜部新入社員の銚子太郎は窮地に立たされていた。発注ミスで野菜サラダのパックが100個も届いてしまったのだ。困り果てる太郎だったが、ベテランパート久世さんの「サラダ記念日を絡めたポップをつける」という名案に救われる。歳は離れているが、恋愛小説のような趣きがする。それをきっかけに久世さんと仲良くなった太郎は、ある日、屋根から降りられなくなった猫を助けるために、空中を飛行する久世さんを目撃してしまう。その翌日から久世さんは欠勤し、太郎の前から姿を消す。

 続く第二話「糸杉綾音」では、ワイン輸入商の男が不倫相手。妻との間に実は子を成していることを知り、男に復讐する。男が死んだことがトラウマになり、飛び降り自殺を図るが、地面に激突する寸前、ぴたりと中空で静止して命を取りとめる。元プロレスラーの警備員・松波が空中で支えてくれたに違いなかった。

 こうして、空を飛ぶことができる人間の存在がほのめかされる。タイトルが「松雪先生は空を飛んだ」だから、「空飛ぶ人間」が出てくるのは不思議ではない。むしろ、松雪先生の登場を心待ちにしている。しかし、先生はなかなか出てこず、イライラする。「失踪」「不倫」「復讐」「自殺未遂」と、湿度の高いモチーフが続き、読者の心も沈んでいく。

 先生の名前が出てくるのは、ようやく第三話「常見得次郎」に入ってからだ。得次郎は理容師を辞めて、食品卸問屋でワインを商い、出世する。第二話に出てくるワイン輸入商にワインを教えたのは得次郎であったことがわかるあたりから、一見ばらばらに思えたストーリーは、実は複雑に絡み合い、「巡る因果の糸車」状態であったことに気付き、戦慄する。骨太な構造のもとに、ディテールがしっかり編みこまれているのだ。

 得次郎は千葉県の佐倉市で生まれ育った。小学生の頃、松雪先生が営む小さな塾に通っていたことが明かされる。そういえば、第一話でも久世さんは、佐倉の「学童クラブみたいな感じ」の塾に通い、その先生との出会いはかけがけのない宝物だと言っていた。 青年時代に得次郎は付き合っていた女性を窮地から救うために飛行能力を使い、やがてそのことを深く後悔する。

 「松雪功志郎先生から授かったかけがけのない能力を、自分は何と愚かなことに使ってしまったのだろう。これでは松雪先生と再びあいまみえることなどおよそ叶うまい」

 ここまで読むと、松雪先生は何らかの秘儀を子どもたちに授け、飛行能力を与えたことが見えてくる。それはなんのために? そして他の子どもたちはどうしているのか?

ミステリー、SF、最後はホラー?

 当時、塾でただ1人の高校生で、塾頭的な存在だった高岡泰成は、埼玉県を地盤とするスーパーの会長であることが第四話で明らかになる。前年に旅行先のインドネシアで乗っていたセスナ機が墜落し、九死に一生を得たのだった。パイロットを含めた6人は全員死亡、泰成は大けがを負ったが、命に別状はなかった。

 復帰した泰成は、今までの生き方は間違いだったと言い、仕事から離れ、極秘の作業を側近に命じた。セスナ機には、もう2人日本人が乗っていたらしいが、その事実は伏せられていた。彼らはどこに消えたのか? そして泰成との関係は?

 このあたりから、小説はミステリーじみた展開を迎え、下巻へとなだれ込む。第一話に登場した銚子太郎も実は探偵役として重要な役割を果たす。どうやら旧日本陸軍落下傘部隊と松雪功志郎は関係があるらしい。そもそも松雪功志郎とは何者なのか?

 がぜん興味が沸き、本の帯にあるように「一気読み」の態勢に入る。ネタばれになるので、詳細は明かせないが、ヨーロッパに密かに伝わる、ある一族が関係しているらしい。ワインの輸入に関係する登場人物がいることが伏線になっている。ワインは「血」の比喩かもしれない。実際に「血」はこの物語を貫く太い糸になっている。

 最終盤では、きわめてSF的で幻想的な光景が登場する。序盤のじめじめとした湿気は消え去り、空を飛ぶ全能感がからだを包み込み、読者を至福の境地へといざなうだろう。

コロナで変わった結末?

 「小説 野性時代」に連載された第十三話までで物語は、決着したと思われたが、第十四話が書き下ろしで加えられている。コロナ禍の世界。さらにSF的に展開している。あまりに「革命的」な発想に、読者の好みも分かれるかもしれない。

 ここまで読み、少なからざる登場人物がスーパーなど、食品流通の関係者であることに気がつき、背筋が寒くなった。ミステリー、SFの要素を盛り込みつつ、最後はホラーか? 最後まで油断できない小説である。

 BOOKウォッチでは、白石さんの小説『我が産声を聞きに』(講談社)を2021年に紹介した。「コロナが我々の生活を変え、将来を変えるかもしれない。文学者からの一つの回答」と評した。

 だとすれば、本書はコロナによって、結末がまったく変わってしまった作品と言えるかもしれない。



 


  • 書名 松雪先生は空を飛んだ・上
  • 監修・編集・著者名白石一文 著
  • 出版社名KADOKAWA
  • 出版年月日2023年1月30日
  • 定価1980円(税込)
  • 判型・ページ数四六判・364ページ
  • ISBN9784041132234
  • 備考下巻のISBN:9784041133231

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