本を知る。本で知る。

名建築を買い取り修復した佐伯泰英さんの日常

惜櫟荘の四季

 「居眠り磐音」シリーズなど時代小説の書き手である佐伯泰英さんのエッセイ集『惜櫟荘の四季』(岩波現代文庫)の舞台である惜櫟荘は、岩波書店の創業者、岩波茂雄が静岡県・熱海市に建てた別荘である。吉田五十八が設計した名建築。老朽化した惜櫟荘を佐伯さんが譲り受け、修復した。そのいきさつは『惜櫟荘だより』(岩波現代文庫)に書かれており、テレビでも紹介された。本書は続編にあたり、惜櫟荘の番人をし、時代小説を書き、世界を旅する佐伯さんによる肩のこらない読み物になっている。

書き下ろし時代小説で修復

 2008年に譲渡を得てから4年がかりで修復工事が終わった。修復費を払い、税金を納めるという金銭面の仕事は佐伯さんのお嬢さんが引き受けたので、執筆に没頭する日々が続いた。この間に書き下ろした時代小説は61冊。「この執筆と出版点数がなければ、惜櫟荘の修復は成り立たなかったのも事実だ」と書いている。

 今は「売れっ子」作家になった佐伯さんだが、初めて「文庫書下ろし」をした頃の思い出にふれている。ノベルスでミステリーを書いていたが、売れ行きが悪く「もううちでは出せません」と最後通告を受けた。時代小説に転じての第一作『密命 見参! 寒月霞斬り』は初めて増刷がかかり、以後少しずつ注文が増えていった。

 出世作になった『居眠り磐音江戸双紙』は、出版社を辞めざるを得なかった編集者と新刊雑誌の休刊を余儀なくされた編集長と「売れない物書き」の3人が集まり、形になったという。

 NHKの時代劇ドラマとして映像化され、一気にブレークした。すでにシリーズは20巻、累計350万部を突破していたが、放映の始まった2007年以降、他社のシリーズと合わせると年間600万部近い売り上げになった。そんな時に惜櫟荘の譲渡話が舞い込んだのだ。

 しかし、「文庫の時代は終わったのか」という文章で、その功罪について書いている。佐伯さんに多額の印税をもたらした「文庫書下ろし」だが、2007年あたりから陰りを見せているという。また「かつての文庫のイメージを傷つけ、文庫ブランドを曖昧にしたことは確かだろう」と書いている。

東京オリンピックでの屈辱

 本書のタイトルは「惜櫟荘の四季」だが、題材は幅広い。1964年の東京オリンピックにふれた文章もある。当時、日本大学芸術学部映画学科に在籍していた佐伯さんは、公式記録映画づくりの下働きに動員された。学生の役目は主にフィルムの交換。50キロ競歩を撮影している時、交換を命じられた。光が入らないダークバッグに手をいれて交換しようとしたが、うまくいかない。競技場の暗室まで、そのままの格好で移動した。「競技は進行し、雨が私の顔を濡らしたが拭くことも出来ず、ただ屈辱の時間が過ぎるのを車の中で耐えていた」と振り返っている。

画家、鴨居玲のこと

 オリンピックのために輸入された撮影機材は、その後CM撮影などに貸し出されるレンタル屋に流れていた。そこに出入りし使い方を覚えた佐伯さんは撮影助手の臨時仕事を続け、お金を貯めてスペイン行きの費用にした。闘牛の取材はその後の人生を変えたという。

 スペイン滞在中に知り合った画家、鴨居玲についてもふれている。鴨居は1985年、57歳で自殺した。お互い、闘牛好きだったが、「途轍もない人物」と敬遠し、親しく付き合わなかった。没後30年に東京で開かれた回顧展を見に行き、「70年代初めのスペインの貧しさと豊かさ、強権を酔いであざ笑う村人の知恵とユーモアが、動きを止めた一瞬の動作に凝縮されて描写されている」と書き、「私はあの時代を表面しか見ていなかった」と反省している。

旅行前には公正遺言証書

 日々、惜櫟荘で執筆の日々を送っている佐伯さんだが、秋から冬にかけて家族3人で海外に旅行する。本書でもインド、スリランカ、フランス、イタリア旅行の様子が書かれている。旅行前には万が一の場合に備えてそれぞれが公正遺言証書を作成するという。惜櫟荘を入手してからの慣わしだ。3人同時に死亡の場合、惜櫟荘が人手に渡る。分割されるならば売却され、惜櫟荘は消滅する。それを避け、後世に残すための心がけだ。

 設計した吉田五十八は、和建築の名手として知られる。本書でも吉田が手掛けたほかの建物の見学記や晩年に惜櫟荘を撮影した建築写真家、二川幸夫氏のことも書いている。毎日住んでいるのに、「これ以上端正な惜櫟荘の表玄関の写真を私は知らない」と。

 「誤解を恐れずに言うならば、五十八が残した遺産の継続は持ち主が身銭を切って維持していくしかないかと思う。繊細な木造建築はそうやって守られるのだろう」と番人としての矜持を見せている。             

 文化財のような家に住むことになった流行小説家の生真面目な暮らしぶりが伝わってくる。

  • 書名 惜櫟荘の四季
  • 監修・編集・著者名佐伯泰英 著
  • 出版社名岩波書店
  • 出版年月日2019年11月15日
  • 定価本体920円+税
  • 判型・ページ数文庫判・238ページ
  • ISBN9784006023133

オンライン書店で詳しく見る(購入もできます)

デイリーBOOKウォッチの一覧

一覧をみる

書籍アクセスランキング

DAILY
WEEKLY
もっと見る

漫画アクセスランキング

DAILY
WEEKLY
もっと見る

当サイトご覧の皆様!

おすすめの本を教えてください。
本のリクエスト承ります!

出版社の皆様!

御社の書籍も、
BOOKウォッチに
掲載してみませんか?