日本発で世界に広がったものはいくつもある。柔道はその代表格。寿司や盆栽も人気だ。文学の世界では俳句がある。ハイク、もしくはHAIKUと表記されたときは、世界化した俳句のことを指す。本書『子ども地球歳時記 ハイクが新しい世界をつくる』(日本地域社会研究所)は、俳句がHAIKUとして認められるようになった歴史を振り返る。
まったく知らなかったのだが、俳句の国際化には1964年の「東京オリンピック」が深く関係していた。航空会社として、オフィシャルキャリアに決まっていたのは日本航空。オリンピックを盛り上げるために会社として何かできないか、と考えていた人物がいた。サンフランシスコにあった日本航空・米州支社の宣伝課長、ダン中津だ。
ダンは日系二世。初めて日本でオリンピックが開かれるというのに、アメリカ人のほとんどはそのことを知らない。あるいは無関心だった。何とかして多くのアメリカ人に「東京五輪」を周知できる方法はないか。そこで思いついたのが、俳句を使ったキャンペーンだった。
「ハイクを作って、東京オリンピックに行こう」
日本航空は当時、米国のラジオにPR枠を持っていた。それを使ってハイクのコンテストを行うことにしたのだ。64年1月からスタートした。ラジオで音楽を流しながら、DJがハイクの作り方を伝え、応募してきた作品を紹介する。1週間ごとに応募作からベスト5を選び、ソニーのミニテレビやフライトバッグなどの賞品を提供した。
こうした地道な働きかけによって全米から4万以上のハイクが集まり、本選に向けて340句が選ばれた。そこから最終審査で特選が決まり、日本航空から日本への旅行費用2人分が提供された。このとき特選になったJ・W・ハケットは後にハイクの本を何冊も書き、ハイクの普及に貢献した。
本書は「第1部 米国におけるハイク」(全米ハイク・コンテスト/禅とハイク/ビート世代、ほか)、「第2部 子どもによるハイク」(ハイクとの出会い/俳句の国際化/子ども俳句との出会い、ほか)、「第3部 詩としての子どもハイク」(思い出/覚え書き/詩人と子ども)の3部構成。
著者の柴生田俊一さんは1939年生まれ。東京大学経済学部を卒業して65年から96年まで日本航空に勤め、96年から2001年まで日航財団。その後、嘉悦大学で教え、国際俳句交流協会常務理事などを務めた。
日航財団は1989年から90年にかけて第1回世界子どもハイク・コンテストを行い、91年3月『地球歳時記90』を刊行した。19の言語で書かれたハイクが世界中から集まったという。その後も事業は延々と続き、第15回世界こどもハイクコンテスト(2017‐2018)には44の国と地域から25000を超える作品が寄せられた。2018年11月には『歳時記』第15巻が発行されている。
本書では俳句の国際化や、子どもへの普及について詳しいが、いわゆる「ビート詩人」たちと「ハイク」の関わりについても紹介されている。彼らは日本航空の働きかけ以前から「俳句」に注目していた。
例えば『路上』で有名なジャック・ケルアック(1922~69)は、53年から亡くなるまでに約1000のハイクを作っている。本書にその具体例も掲載されている。74年には、コー・ヴァン・デン・フーベルによって『The Haiku Anthology』も出版された。北米の詩人38人の238句が収録されている。
このように本書は、ハイクの大衆化と、北米の詩人たちとハイクの関わりという二つのレベルにおけるハイクの普及・国際化について記されている。「ハイク史」を知る手掛かりになる。タイトルにもあるように、子どもと俳句のかかわりと可能性について特にページを割いている。
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