東京都駒込にある、世界最大級の東洋学研究図書館「東洋文庫」。本シリーズ「マンガでひらく歴史の扉」では、マンガが大好きな東洋文庫の学芸員・篠木由喜さんが、イチオシ作品の学芸員的読み方を紹介してくれる。
今回は、篠木さんご指名の本杉寧々さんと一緒に忍者談義。学芸員1年目の本杉さんがおすすめしてくれたのは、重野なおきさんの4コママンガ『信長の忍び』(白泉社)だ。2023年1月から始まるNHK大河ドラマ『どうする家康』への期待もますます高まり、日本中で戦国時代の話題が盛り上がりを見せている。あの時代を"忍び"の目から見てみると?
【本杉寧々さんプロフィール】
東洋文庫学芸員。趣味は、博物館巡り、香水作りなど。好きな忍者漫画は『信長の忍び』、『ニンジャスレイヤー』、『カムイ伝』シリーズ。
『信長の忍び』の主人公は、伊賀の忍び見習いの少女・千鳥。川で溺れているところを織田信長に助けられ、信長の「乱世を終わらせる」という夢を聞く。戦災孤児であった千鳥はその信念に感銘を受け、一人前の忍びになって信長に奉公しに行く......というストーリーだ。2008年に「ヤングアニマル」という雑誌で連載が開始し、現在も連載中だ。2016~2018年には、3期にわたってテレビアニメ化された。
本杉さん:作者の重野さんは中学校社会科・高等学校公民科一種教員免許状を持っているそうです。本作はマンガとしての面白さを追求しながらも、歴史的に有名なエピソードをテンポよく追っていくことが出来ます。
さらにアニメ版の監督は、NHK Eテレの長寿アニメ「おじゃる丸」を手がけている大地丙太郎さんです。内容的にも、戦国時代が舞台ですがグロテスクなシーンが少なく、子どもから歴史好きの大人まで幅広く楽しめる作品だと思います。
篠木さん:最近は新しい信長像を模索する作品も多いけど、このマンガの信長はわりとステレオタイプというか、昔からある信長像ですよね。ちょっと尖ってて、怖そうで。
本杉さん:確かにそうですね。信長の他にも、戦国武将たちはもちろん、信長の一代記『信長公記』を書いた太田牛一や、イエズス会士のルイス・フロイスなども登場します。大河ドラマで話題の徳川家康は、本作では今のところまだ影が薄めですね。これからもっと活躍してくれることを期待しています。
本作は信長に仕える忍びが主人公だが、実際は、信長のもとにいた忍びの存在は判然としないのだそうだ。
本杉さん:おそらくいたとは思うんですが......。忍びの性質上、資料が残りづらいんですよね。しかも、信長が忍びにいい印象を持っていたという事実があまりないんです。信長が忍びと良い関係でなかったと推測できる最も大きな出来事が、織田が伊賀に攻め込んだ「天正伊賀の乱」ですね。
当時の伊賀・甲賀は、自治色の強い地域でした。人々は山間を駆けて敵を欺く、敵の城に潜り込んで敵情を探るといった、のちの忍びとほぼ変わらない戦い方で国の防衛を図っていました。
篠木さん:伊賀・甲賀は、今の三重県と滋賀県にまたがる地域です。あの土地って、いろんな権力者に目をつけられますよね。東には信長や今川義元がいて、西に行けば京都も近い。名古屋から大阪へ行くには、中山道や東海道より伊賀越えするルートの方が近いらしいです。狙われやすく、ゲリラ戦でないと自分たちの身を守れないということで、神出鬼没の忍術が培われていったようです。
本杉さん:天正伊賀の乱に敗れて伊賀者が散り散りになってから、忍びがそれぞれの主君に仕えるようになります。はじめはその場限りの役割が与えられてスパイ行動をしていましたが、戦が増えるとスパイ専門の集団が必要になり、「忍び」という存在が定着していったと考えられています。忍びのあり方が、時代の需要によって変化していったんですね。
篠木さん:忍びの仕事は情報収集がメインと考えられますが、作中では千鳥が桶狭間の最前線でバリバリ戦ってましたね(笑)
本杉さん:そうですね(笑)とはいえ、本作は「主君のために生き延びる忍び」を一貫して描いているのが見どころです。
本作では、大袈裟な術で戦うことはなく、できる範囲で道具を作り、それを活用して城に忍び込むなど、地道に任務を遂行する忍びの姿を描いています。主君のために戦って死ぬ武士と違い、忍びは、敵の情報を手に入れて持ち帰るまでが仕事です。だから、どうやってでも「生き延びて帰ってくる」ということが最重要事項でした。地味ではありますが、それが忍びのリアリティだったのだと思います。
篠木さん:武士との対比が面白いですよね。信長は武士なので、最初、信長は千鳥に「俺のために死ね」と言うんですよ。でも千鳥は、自分は忍びなので生き延びて貢献します! と反論するんです。序盤の感動ポイントですね。
本杉さん:作品全体のテーマが伝わる場面ですね!
信長は忍びと相性が良くなかった可能性が高い一方で、徳川家康は忍びと強い結びつきがあった。
本杉さん:家康の忍びといえば、服部半蔵が有名ですね。家康は忍びを積極的にかくまい、のちに、本能寺の変後の混乱を抜け出し三河に帰る「神君伊賀越え」を成功させました。主に2人の伊賀者が付き添ったと伝えられています。
篠木さん:家康って、若い頃の立場が不安定ですよね。今川の人質になったり、織田の人質になったり......。そういった勢力が目をつけていないところへ助けを求めたのか? なんて想像しちゃいます。
本杉さん:なるほど、それはありそうですね。伊賀者は信長などの権力者にいい感情を持っていない集団なので、そこが使いどころになると判断したのかもしれません。今度の大河ドラマで、家康と忍びの関係がどう描かれるか注目ですね。
江戸時代に入り戦乱が収まると、忍びはエンターテインメント要素のある存在として受け入れられていく。
本杉さん:江戸期には忍術道場が生まれて、入門希望者に忍術を授け、伝授し終わったら免状が渡されるというシステムが生まれます。江戸期に書かれたとされる忍術書や忍術についての書物として、『正忍記』『忍秘伝』『万川集海』などが残っています。
実地の仕事もきちんとあったようです。17世紀の島原の乱では、忍びが相手の情報を探っていました。18世紀の赤穂事件では、治安維持のために忍びが特定の集団を監視・報告しました。現代の公安のような仕事ですね。最後に確認されている忍びの活躍は、黒船来航です。沢村保祐(やすすけ)という、最後の伊賀者として知られる忍びが、異国船接近の偵察をしたという記述が残っています。
江戸文芸では、『聚楽物語』で忍びが大坂城に潜入するシーンがあるなど、人気のコンテンツでした。忍術のイメージも変わっていきます。水遁の術など実際に使われていた術もありましたが、徐々に中国の妖術と結びつき、神秘的なイメージになっていったと考えられています。このあたりは、山田雄司さん著『忍者の歴史』(KADOKAWA)などに詳しく書かれています。
明治~大正期には、立川文庫から出版された『真田三勇士忍術名人 猿飛佐助』が子どもたちの間で大ブームになり、忍術を試そうとする人が急増しました。また文明開化の影響で、「忍術を科学的に解明しよう」という動きも盛んだったようです。
これまで「忍び」という言葉を用いてきたが、「忍者」という呼称は昭和からのものなのだそう。
本杉さん:よくイメージされる黒い服も、18世紀中頃に人形浄瑠璃や歌舞伎の中で作り上げられたものだといわれています。(参考文献:『「日本の伝統」の正体』藤井青銅著)です。舞台などでは、決まった衣装のほうが見てわかりやすいことから定着しました。実際の忍者は町の人々にまぎれなくてはいけないので、黒ずくめや、千鳥のようなピンクのミニスカだったらかえって目立ってしまいそうですね。
それから現代の忍者のイメージと実際の忍びの大きな違いは、潜入スタイルです。さまざまな作品に、忍者が天井裏に潜んで盗み聞きするシーンがありますが、実際にああするのは本当に緊急事態。長時間潜伏するのはリスクが大きいので、たいていの場合は、使用人などにまぎれ込んで情報を掴んだらすぐに帰っていたと考えられています。
さまざまに変遷しながら、なんと江戸時代から現代まで、人々の心をくすぐり続けている忍び。本杉さんの思う、『信長の忍び』で描かれているその魅力とは?
本杉さん:『信長の忍び』の忍びは、「忍耐」の忍びだと思います。派手さはないけれど、必ず戻るんだという使命を胸に、忍耐で生き延びます。その姿は、これまでの忍者作品とは一線を画しているのではないでしょうか。
忍びが主君への忠義から耐え忍ぶ様子は、どこかけなげでグッとくるものなのではないかと思います。こそこそしていて卑怯だと受け取られる場合もあるかもしれませんが、何としてでも生き延びて任務を遂行することこそ、忍びの行動理念だったのです。
また海外では、忍術が神秘的に映るのが人気の要因の一つではないかと言われています。武士とは違った魅力がある忍びに、ぜひ注目してみてください。
忍びが活躍していた時代から、エンターテインメントとなっていった時代まで下っていくと、これまで抱いていた忍者のイメージが少し変わって見えてくる。『信長の忍び』をきっかけに、忍びの歴史をひもといてみては。
〈東洋文庫〉
1924年に三菱第3代当主岩崎久彌氏が設立した、東洋学分野での日本最古・最大の研究図書館。国宝5点、重要文化財7点を含む約100万冊を収蔵している。専任研究員は約120名(職員含む)で、歴史・文化研究および資料研究をおこなっている。
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